吉田神社
昭和初期のガイド文
市電東一条通下車、吉田町神楽岡の丘腹にあります。創建は清和天皇の頃、平安時代の貞観年中(859~877年)、藤原山蔭が春日神社の四神を勧請し、帝都守護の神として崇めたことに始まり、建御賀豆智命、伊波比主命、天之子八根命、および比売神の四神が祀られています。室町時代の文明年間(1469~1487年)に神職吉田兼倶が唯一神道を唱道して、大いに朝野の尊信をあつめ、吉田流神道の総家となりました。
現存の本殿は江戸時代前期の慶安年間(1648~1652年)再建の春日造で、丘腹に四社並び立っています。本殿から200m程上に有名な斎場所があります。
斎場所大元宮[国宝] 慶長6年(1601年)の建築です。八角円堂で屋根を檜皮葺とする一種の唯一神明造で、伊勢大神宮を始めとし全国八百万神が奉祀されています。棟に千木、勝男木を並べ、もとは棟の中央に金銅の宝珠露盤を上げ、極めて珍奇な意匠を施したもので、神仏習合陰陽五行の諸説を参酌した当時の神道家の理想をそのまま建築に実現したものです。なおこの社殿の後には神祇官八神殿の跡があります。
吉田山の大半はこの社の神苑で、松柏鬱蒼として翠色滴るばかり、初夏はツツジ、晩秋は紅葉に彩られ、特に洛北の眺望が広がります。
例祭は4月18日、毎年節分の夜は、数万の参詣者が群集し、斎場で厄除けの神符を請う人が多く来られます。
令和に見に行くなら
- 名称
- 吉田神社
- かな
- よしだじんじゃ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 京都府京都市左京区吉田神楽岡町30
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市電東一條通下車、吉田町神樂岡の丘腹にある。當社の創建は淸和天皇の貞觀年中、藤原山蔭が春日神社の四神を勸請し、帝都守護の神として崇めたに始まり、建御賀豆智命、伊波比主命、天之子八根命、及比賣神の四神が祀られて居る。文明年閒に神職吉田兼倶が唯一神道を唱道して、大いに朝野の尊信をあつめ、吉田流神道の總家となつた。
現存の本殿は慶安年閒再建の春日造で、丘腹に四社竝び立つて居る。本殿から二〇〇米程上に有名な齋場所がある。
齋場所大元宮[國寶] 慶長六年の建築である。八角圓堂で屋根を檜皮葺となせる一種の唯一神明造で、伊勢大神宮を始めとし全國八百萬神が奉祀されて居る。棟に千木、勝男木を竝べ、もとは棟の中央に金銅の寶珠露盤を上げ、極めて珍奇な意匠を施したもので、神佛習合陰陽五行の諸說を參酌した當時の神道家の理想をそのまゝ建築に實現したものである。尙この社殿の後には神祇官八神殿の跡がある。
吉田山の大半は當社の神苑で、松柏鬱蒼として翠色滴るばかり、初夏は躑躅、晚秋は紅葉に彩られ、殊に洛北の眺望が廣い。
例祭は四月十八日、每年節分の夜は、數萬の參詣者が群集し、齋場で厄除けの神符を乞ふ者が多い。
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