銀閣寺(慈照寺)

銀閣寺(慈照寺)[臨濟宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電銀閣寺道下車、浄土寺町にあります。この地は室町時代の文明12年(1480年)足利八代将軍義政が隠退して、義満の北山山荘にならい別荘を営んだところです。義政は風流を好み、茶、香、生け花などの宗祖と仰がれている程の風流将軍として知られた人で、北山の金閣にならって銀閣を建てましたが、その竣成を見ずに亡くなりました。当時すでに12棟の殿舎と広大な林泉ができ上がり、義政は豪奢を極め、政治をよそに書画骨董、名器珍宝を愛し、広くこれを収集してひたすら風流事に耽ったのでした。これがためいわゆる東山時代美術の最盛期を現出し、日本の文化史上に顕著な影響を与えました。

この別荘は義政の死後その遺命によって、義政の法名慈照院殿の名をとって仏寺とし、夢窓国師を開山に推したものです。

しばしば兵火にかかりましたが、幸いにして当初の銀閣と東求堂およびその林泉を残しています。

総門、中門を入ると左に庫裡があり、宝物拝観の受付があります。拝観の順序は仏堂、東求堂、茶の湯の間、寺清亭、銀閣の順となり、各堂内には宝物が陳列されています。

銀閣[国宝] 文明15年(1483年)の建造で、四間三面、上下二層からなり、屋根は宝形造杮葺です。初層を心空殿、上層を潮音閣と称し、金閣にならって上層全部に銀箔を押そうとしたが完成しなかったともいいます。

上層は方三間、桟唐戸、火灯窓を用い、四方に縁をめぐらし、組勾欄があり、内に観音像が安置されています。構造、装飾、細部の手法、すべて優雅清淡、仏寺と邸宅の折衷建築で、金閣と並んで東山時代を代表する貴重な標本です。

東求堂[国寳] 林泉を挟んで銀閣と相対し、もと義政の持仏堂でした。桁行前面五間、後面四間、梁間三間、単層、屋根は入母屋造杮葺です。全体に木割細く面取の方柱を建て、舟肘木を用い、間仕切には舞良戸および腰高障子を立てた瀟洒な住宅風の建築です。正面の室には義政の木像を祀っています。室町時代肖像彫刻の佳作です。この中に同仁斎と呼ぶ四畳半の茶室があります。義政の創意となるもので、最初の茶室と伝わっています。付書院、違棚を設け、天井は猿頬天井とし腰高障子を立て、室の中央に炉が設けてあります。

庭園[指定史蹟・名勝] 相阿弥の作と伝わっています。銀閣から見てもまた東求堂から見ても表裏なく、四方正面の庭であって、池の中央に架けられた橋によって統一された気韻の高い庭です。向月台、銀沙灘と称する奇抜な大盛砂があります。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
銀閣

令和に見に行くなら

名称
銀閣寺(慈照寺)
かな
ぎんかくじ(じしょうじ)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市左京区銀閣寺町2
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電銀閣寺道下車、淨土寺町にある。この地は文明十二年足利八代將軍義政が隱退して、義滿の北山山莊に倣ひ別莊を營んだ所である。義政は風流韻事を事とし、斯茶、品香、插花などの宗祖と仰がれて居る程の風流將軍として知られた人で、北山の金閣に倣つて銀閣を建てたが、その竣成を見ずして薨じたのである。當時既に十二棟の殿舍と廣大な林泉が出來上り、義政は豪奢を極め、政事を他所に書畫骨董、名器珍寶を愛し、弘くこれを蒐めて只管風流韻事に耽つたのであつた。これがためいはゆる東山時代美術の盛期を現出し、我が國文化史上に顯著な影響を與へたのである。

この別莊は義政の死後その遺命によつて、義政の法名慈照院殿の名をとつて佛寺となし、夢窓國師を開山に推したのである。

當寺も屢兵火にかゝつたが、幸にして當初の銀閣と東求堂及その林泉を殘して居る。

總門、中門を入ると左に庫裡があり、寶物拜觀の受付がある。拜觀の順序は佛堂、東求堂、茶の湯の閒、寺淸亭、銀閣の順となり、各堂內には寶物が陳列されて居る。

銀閣[國寶] 文明十五年の建造にかゝり、四閒三面、上下二層より成り、屋根は寶形造杮葺である 初層を心空殿、上層を潮音閣と稱し、金閣に倣つて上層全部に銀箔を押さんとしたが完成しなかつたとも云ふ。

上層は方三閒、棧唐戶、火燈窓を用ゐ、四方に緣をめぐらし、組勾欄があり、內に觀音像が安置されて居る。構造、裝飾、細部の手法、總て優雅淸淡、佛寺と邸宅の折衷建築で、金閣と竝んで東山時代を代表する貴重な標本である。

東求堂[國寳] 林泉を挾んで銀閣と相對し、もと義政の持佛堂であつた。桁行前面五閒、後面四閒、梁閒三閒、單層、屋根は入母屋造杮葺である。全體に木割細く面取の方柱を建て、舟肘木を用ゐ、閒仕切には舞良戶及腰高障子を立てた瀟洒な住宅風の建築である。正面の室には義政の木像を祀つて居る。室町時代肖像彫刻の佳作である。この中に同仁齋と呼ぶ四疊半の茶室がある。義政の創意にかゝり、最初の茶室と傳へて居る。附書院、違棚を設け、天井は猿頬天井となし腰高障子を立て、室の中央に爐が設けてある。

庭園[指定史蹟・名勝] 相阿彌の作と傳へて居る。銀閣から見てもまた東求堂から見ても表裏なく、四方正面の庭であつて、池の中央に架せられた橋によつて統一された氣韻の高い庭である。向月臺、銀沙灘と稱する奇拔な大盛砂がある。

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