八坂神社

八坂神社[官幣大社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電祇園石段下下車、境内は円山公園に隣接し、祇園町の北側にあります。この社は祇園社、牛頭天王また武塔天神ともいいましたが、明治元年(1868年)改めて八坂神社と称しました。平安時代の貞観年中(859~877年)播磨の広峯から移し祀ったと伝わり、素盞嗚命、稲田比売命および八柱御子神が祀られています。藤原時代すでに二十二社のひとつに加えられて朝廷の尊崇厚く、特に疫疾流行のことがあれば奉幣され、その後武家の崇敬も厚くしばしばその寄進を受けました。

例祭は6月15日に行われ、7月17日から同24日に至る間には有名な祇園祭が催されます。

現在社殿の主なものは本殿、拝殿、南楼門、西楼門等ですが、西楼門を除きいずれも江戸時代の建築です。

西楼門[国宝] 元来は脇門ですが、交通上の便利から現在はこの門から参拝する人が多いところです。すなわち四条通の東端、祇園石段下で電車を降りると高い石階の上に優美な丹塗の楼門が建っているのがそれです。三間一戸、屋根は切妻造本瓦葺、構造形式は室町時代に属し、形状のよく整った建築です。左右の袖は大正年間(1912~1926年)に新しく補ったものです。

本殿[国宝] 江戸時代前期の承応3年(1654年)に四代将軍徳川家綱が古式によって再建したものです。桁行七間、梁間六間、単層屋根は入母屋造、檜皮葺ですが、左右および背面の廂は別に檜皮葺の廂屋根を出しさらに前面および後面に中央三間の向拝を付しています。平面および立面ともに特殊の形状を有し、祇園造と称されています。古伝によると、もとの本殿は紫宸殿を模したとされ、あるいは摂政藤原基経の邸宅を模したともいいますが、とにかく神社建築に宮殿建築のおもかげを遺した特殊な建築です。柱、桝組、棰等は内外ともすべて朱塗、正面向拝の蟇股には中央には竜、左右には獅子および虎の丸彫極彩色の彫刻を加え、手狭には菊および牡丹極彩色の華麗な彫刻があります。

末社蛭子社社殿[国宝] 西楼門と本殿の中間にある小社で、一間社流造の左右および後面の三面に廂を付した珍奇な形式をしています。正保年間の建築で、本殿とともに祇園造の部類に属する神社建築です。

石鳥居[国宝] 正面南楼門の前方にあり、その形式は明神鳥居に属し、正保3年(1646年)に建立されたもので、桂間約8m、高さ約9.5m、笠石両端の反りも美しく、均衡する安定の姿があり、現存する日本の石鳥居のなかで最大のものといいます。

  • 宝物
  • 狛犬[国宝] 一対 木造で麻布を張り、漆箔彩色の精巧な作です。社伝には運慶の作、頼朝の寄進といっていますが、鎌倉時代の写実風を残す優秀な作で、本殿内中陣の左右に置かれています。
  • 祇園社絵図[国宝] 一幅 紙本著色 隆円筆 紙背に元徳3年辛未12月うんぬんとあります。鎌倉末期におけるこの社の状態を現す資料です。
  • 鶴図 衝立仕立 円山応挙筆 一基
  • 祇園社務家日記[国宝] 七冊 紙本墨書、京都博物館出陳
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
八坂神社表門 八坂神社狛犬

令和に見に行くなら

名称
八坂神社
かな
やさかじんじゃ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市東山区祇園町北側625
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電祇園石段下下車、境內は圓山公園に鄰接し、祇園町の北側にある。當社は祇園社、牛頭天王また武塔天神とも云つたが、明治元年改めて八坂神社と稱した。貞觀年中播磨の廣峯から移し祀つたと傳へ、素盞嗚命、稻田比賣命及八柱御子神が祀られて居る。藤原時代既に二十二社の一に加へられて朝廷の尊崇厚く、特に疫疾流行の事があれば奉幣せられ、その後武家の崇敬も厚く屢その寄進を受けた。

例祭は六月十五日に行はれ、七月十七日から同二十四日に至る閒には有名な祇園祭が催される。

現在社殿の主なるものは本殿、拜殿、南樓門、西樓門等であるが、西樓門を除き何れも江戶時代の建築である。

西樓門[國寶] 元來は脇門であるが、交通上の便利から現今はこの門より參拜するものが多い。卽ち四條通の東端、祇園石段下で電車を降りると高い石階の上に優美な丹塗の樓門が建つて居るのがそれである。三閒一戶、屋根は切妻造本瓦葺、構造形式は室町時代に屬し、形狀のよく整つた建築である。左右の袖は大正年閒に新しく補つたものである。

本殿[國寶] 承應三年に四代將軍德川家綱が古式によつて再建したのである。桁行七閒、梁閒六閒、單層屋根は入母屋造、檜皮葺であるが、左右及背面の廂は別に檜皮葺の廂屋根を出し更に前面及後面に中央三閒の向拜を附して居る。平面及立面共に特殊の形狀を有し、祇園造と稱されて居る。古傳によると、もとの本殿は紫宸殿を模したと稱し、或は攝政藤原基經の邸宅を模したとも云ふが、兎に角神社建築に宮殿建築の俤を遺した特殊の建築である。柱、桝組、棰等は內外共すべて朱塗、正面向拜の蟇股には中央には龍、左右には獅子及虎の丸彫極彩色の彫刻を加へ、手狹には菊及牡丹極彩色の華麗な彫刻がある。

末社蛭子社社殿[國寶] 西樓門と本殿の中閒にある小社で、一閒社流造の左右及後面の三面に廂を附した珍奇な形式を有する。正保年閒の建築で、本殿と共に祇園造の部類に屬すべき神社建築である。

石鳥居[國寶] 正面南樓門の前方にあり、その形式は明神鳥居に屬し、正保三年に建立されたもので、桂閒約八米、高さ約九米半、笠石兩端の反も美しく、權衡を得て安定の姿を有し、現存せる我が國石鳥居中最大なるものと云ふ。

  • 寶物
  • 狛犬[國寶] 一對 木造で麻布を張り、漆箔彩色の精巧な作である。社傳には運慶の作、賴朝の寄進と云つて居るが、鐮倉時代の寫實風を存する優秀な作で、本殿內中陣の左右に置かれて居る。
  • 祇園社繪圖[國寶] 一幅 紙本著色 隆圓筆 紙背に元德三年辛未十二月云々とある。鐮倉末期に於ける當社の狀態を徵すべき資料である。
  • 鶴圖 衝立仕立 圓山應擧筆 一基
  • 祇園社務家日記[國寶] 七册 紙本墨書、京都博物館出陳

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