智積院

智積院[新義眞言宗智山派總本山]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電妙法院前下車、大仏東瓦町にあります。もとは豊臣秀吉がその子棄丸の菩提のために建てた祥雲寺の後身と伝えられています。その後一時廃絶していましたが、徳川氏の時代となり新義真言宗の本山として、紀州根来の智積院の名を移して再興されたものです。この院の襖画は京洛寺院に数多くある障屏画のなかにおいても壮麗をもって聞えています。

襖および壁貼付絵[国宝] 画は大書院および宸殿内各室にわたって描かれ、その筆者を狩野永徳あるいは山楽と伝え、いずれも金地に松柏桜楓等の巨幹を中心として、四季の草花を隙間なく描きつめて巧妙に画面の統一を作り、絢爛さに目を奪われる彩色を施した桃山時代の代表的装飾画です。特に大書院二の間桜楓図は墨線を骨子とし、これを助けるため高い盛上彩色をもってし、あくまで力強い印象を与えるとともに、一方においては万架の花に柳の枝がしだれる風情、自ら楚々として人を動かすものあり、豪華のうちにも優美の情緒を寄せたところに、日本趣味の特性が現れています。

  • 宝物
  • 松草花図四曲屏風[国宝] 一双
  • 松梅図二曲屏風[国宝] 一双
  • 金地著色画、もと襖画の一部で、特に松に草花の図は二の間桜楓図にも劣らないもので、恐らく同筆と思われます。
  • 次の宝物は京都博物館に出陳されています。
  • 孔雀明王像[国宝] 絹本著色 一幅
  • 滝図[国宝] 絹本著色 一幅
  • 金剛往[国宝] 紙本墨書、張即之筆 一巻
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
智積院襖絵

令和に見に行くなら

名称
智積院
かな
ちしゃくいん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電妙法院前下車、大佛東瓦町にある。當院はもと豐臣秀吉がその子棄丸の菩提のために建てた祥雲寺の後身と傳へられて居る。その後一時廢絕して居たが、德川氏の世となり新義眞言宗の本山として、紀州根來の智積院の名を移して再興されたものである。當院の襖畫は京洛寺院の數多き障屏畫中に於ても壯麗を以て聞えて居る。

襖及壁貼付繪[國寶] 畫は大書院及宸殿內各室に亘つて描かれ、その筆者を狩野永德或は山樂と傳へ、何れも金地に松柏櫻楓等の巨幹を中心として、四季の草花を隙閒なく描きつめて巧妙に畫面の統一を作り、絢爛目を奪ふばかりなる彩色を施した桃山時代の代表的裝飾畫である。特に大書院二の閒櫻楓圖は墨線を骨子とし、これを助くるに高き盛上彩色を以てし、飽まで力强き印象を與へると共に、一方に於ては萬架の花にこきまぜて柳の枝のしだるゝ風情、自ら楚々として人を動かすものあり、豪華の裡にも優美の情緖を寄せたところに、日本趣味の特性が現はれて居る。

  • 寶物
  • 松草花圖四曲屏風[國寶] 一雙
  • 松梅圖二曲屏風[國寶] 一雙
  • 金地著色畫、もと襖畫の一部であつて、殊に松に草花の圖は二の閒櫻楓圖にも劣らざるもので、恐らく同筆と思はれる。
  • 左記寶物は京都博物館出陳
  • 孔雀明王像[國寶] 絹本著色 一幅
  • 瀧圖[國寶] 絹本著色 一幅
  • 金剛往[國寶] 紙本墨書、張卽之筆 一卷

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