清水寺

淸水寺[法相宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電東山松原下車、清水坂上にあります。大同年中(806~810年)長岡京の紫宸殿を賜って坂上田村麻呂がこれを寺としたものと伝えられています。平安朝以後観音の霊場として名高く、現在も多くの参詣者をあつめています。清水焼を売る店が軒を並べている清水坂を登り詰めると、朱塗の高い仁王門に達します。門を入ると鐘楼、西門、三重塔、経堂、田村堂、本堂、釈迦堂、阿弥陀堂および奥の院等が景勝の地を占めて散在しています。

鐘楼[国宝] 仁王門を入って左手にあります。江戸時代前期のの慶長12年(1607年)の建立にかかり、桁行一間、梁間二間、単層、屋根切妻造、本瓦葺の建築で、手法雄健、絵様彫刻等皆よく桃山時代の豪華な特質を現しています。

西門[国宝] 仁王門の後に高く石段の上に建っています。鐘楼と同じく慶長12年の建築、三間一戸の八脚門で、正面に一間の向拝を有し、背面に軒唐破風を付け、昇勾欄等を備え、八脚門としては非常に珍しい意匠を施しています。

本堂[国宝] 寛永10年(1633年)徳川家光によって再建されたもので、その様式は懸崖造に属し、本宇は崖の上に建っています。九間七面、屋根は四注造でその左右に裳階を付け、前方に両翼を出し、すべて檜皮葺になっています。前方から左右にかけて舞台があり、擬宝珠高欄を巡らせ懸崖に掛り、下に長柱を列植し、貫でこれを固め、非常に奇観を呈するとともに、複雑な屋根は各方面から見たときに形状高低大小が変わって見え、優雅多趣の意匠も非常に巧みで、自然の景色とよく調和した江戸初期の優秀な復古的建築です。内陣は後方須弥壇を作り、三個の厨子を置き、中央に十一面観音像、左に将軍地蔵像、右に毘沙門天の立像を安置しています。礼堂は無数の絵馬が懸かっていることで名高く、そのなかには国宝の末吉船や角の倉船の絵馬も懸かっています。

音羽滝 本堂の東側、釈迦堂および阿弥陀堂との間から百数十段の石段を降りたところ、懸崖の中腹にある奥の院の直下にあります。滝は三箇の筧から落ち、その前に垢離堂があります。この滝の西の谷間にはカエデの樹が非常に多く新高雄と呼ばれ紅葉、新緑の景勝地として知られています。

成就院 地主神の西北谷を隔ててあります。清水寺の住坊で、その庭園は相阿弥の作、小堀遠州、松永貞徳が補修したものと伝えています。池の設計は非常に巧みで、島を築き橋を架け、遠近の山林を背景に取り入れて庭を広く見せています。住職の月照上人は幕末に天下の志士にくみして討幕を図った人で、現在門前に彼の碑が弟信海上人および西郷南洲の碑と並んで立っています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
清水寺

令和に見に行くなら

名称
清水寺
かな
きよみずでら
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市東山区清水1-294
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電東山松原下車、淸水坂上にある。當寺は大同年中長岡京の紫宸殿を賜つて坂上田村麻呂がこれを寺としたものと傳へられて居る。平安朝以後觀音の靈場として名高く、今に多くの參詣者をあつめて居る。淸水燒を賣る店の軒を竝べて居る淸水坂を登り詰めると、朱塗の高い仁王門に達する。門を入ると鐘樓、西門、三重塔婆、經堂、田村堂、本堂、釋迦堂、阿彌陀堂及奧の院等が景勝の地を占めて散在して居る。

鐘樓[國寶] 仁王門を入つて左手にある。慶長十二年の建立にかゝり、桁行一閒、梁閒二閒、單層、屋根切妻造、本瓦葺の建築で、手法雄健、繪樣彫刻等皆よく桃山時代の豪華な特質を現はして居る。

西門[國寶] 仁王門の後に高く石段の上に建つて居る。鐘樓と同じく慶長十二年の建築、三閒一戶の八脚門で、正面に一閒の向拜を有し、背面に軒唐破風を附け、昇勾欄等を備へ、八脚門としては順る珍しい意匠を施して居る。

本堂[國寶] 寬永十年德川家光によつて再建されたもので、その樣式は懸崖造に屬し、本宇は崖の上に建つて居る。九閒七面、屋根は四注造でその左右に裳階を附け、前方に兩翼を出し、悉く檜皮葺になつて居る。前方より左右にかけて舞臺があり、擬寶珠高欄を繞らし懸崖に掛り、下に長柱を列植し、貫でこれを固め、頗る奇觀を呈すると共に、複雜な屋根は各方面より見て形狀高低大小を異にし、優雅多趣の意匠甚だ巧にして、自然の景色とよく調和せる江戶初期の優秀な復古的建築である。內陣は後方須彌壇を作り、三個の厨子を置き、中央に十一面觀音像、左に將軍地藏像、右に毘沙門天の立像を安置して居る。禮堂は無數の繪馬が懸つて居るので名高く、その中には國寶の末吉船や角の倉船の繪馬も懸つて居る。

音羽瀧 本堂の東側、釋迦堂及び阿彌陀堂との閒から百數十階の石段を降りた所、懸崖の中腹にある奧の院の直下にある。瀧は三箇の筧から落ち、その前に垢離堂がある。この瀧の西方の谷閒には楓樹極めて多く新高雄の名を以て紅葉、新綠の勝地として知られて居る。

成就院 地主神の西北谷を隔てゝある。淸水寺の住坊で、その庭園は相阿彌の作、小堀遠州、松永貞德の補修せるものと傳へて居る。池の設計は甚だ巧みで、島を築き橋を架し、遠近の山林を背景に取り入れて庭を廣く見せて居る。當院の住職月照上人は幕末に天下の志士にくみして討幕を圖つた人で、今門前に彼の碑が弟信海上人及西鄕南洲の碑と竝んで立つて居る。

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