知恩院

知恩院[淨土宗總本山]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電祇園石段下下車、東山三十六峰のひとつ、華頂山の麓にあり、東山第一の巨刹、僧源空(法然上人、円光大師および明照大師の追諡あり)によって開かれた寺です。上人は初め密教を学び、円頓戒を受けましたが、後中国唐代善導大師の編述にかかる観経疏によって日本の浄土宗を開き、藤原時代の末葉、承安年中(1171~1175年)東山の吉水に草庵を営み、盛んに浄土宗を唱えました。当時関白藤原兼実のために浄土門を説き、「選択本願念仏集」を草して彼に授けました。本書は今日なお浄土門の実典として重んぜられています。以来浄土宗の総本山として今日におよんでいます。本宗に属する僧侶は5万8,000名あまり、信徒は1,690万人あまりといいます。

現在の寺域諸堂は徳川氏の帰依によって始めて整備したもので、三門、御影堂、集会堂、経蔵、阿弥陀堂、勢至堂、唐門、大方丈、小方丈、鐘楼等を具備し規模宏壮を極めています。

三門[国宝] 新門より入り広い馬場を過ぎ、高い石段を登り詰めたところに高くそびえ立っています。この三門は元和5年(1619年)徳川秀忠の建立になり、五間三戸の楼門、入母屋造、本瓦葺、両袖に山楼をもつ大建築で、江戸初期における最大の楼門です。柱は上部に粽をもつ雄大な円柱で、石製礎盤の上に建っています。桝組は唐様で下層は二手先詰組、上層は三手先詰組を用い、軒は下層二重繁棰、上層二重扇棰を使用しています。上層は腰に高欄を有する廻椽をめぐらし、その内部は拭板敷の床を有し、奥壁に接して壇を設け、中央に宝冠を有する華厳の釈迦像を安置し、左右には善財童子、須達長者および十六羅漢の木像を安置しています。いずれも仏師康猶法師の作といいます。天井は鏡天井で、中央に雲竜、左右に天人の彩画を施し、桝組には繧繝彩色を加え、虹梁には極彩色で麒麟、波に怪獣などを描いています。この三門は江戸初期における雄大な寺門の代表的傑作で、外部はすべて白木のままですが、楼上の内部は彩色をもって充たされ非常に華麗です。

御影堂[国宝] 開祖法然上人の木像を安置していることから御影堂といい、また大殿とも称しています。すなわちこの寺の本堂です。寛永10年(1633年)、徳川家光の建立になり、桁行十一間、梁間九間、単層で屋根は入母屋造、本瓦葺の雄大な流れを有し、前後両面に向拝があり、腰に廻椽をめぐらした大建築です。軒には二重の繁棰を配し、桝組には唐様三手先を用い尾棰を加えています。柱は太い円柱を建て、柱頭には台輪を置いています。前面の向拝は桁行五間、桝組は出三斗を用い、方柱を建て、桝組の中間には蟇股を置き、手挟には雲竜、天人、蓮華等の雄大な彫刻を施し、後面の向拝は桁行三間、その手挟には菊、牡丹、楓に鳳凰などの彫刻があります。これらの彫刻はその作いずれも優秀ですが彩色はありません。なお左右の破風内にある牡丹の彫刻はその規模雄大にして、桃山式豪華な気分を現しています。

内部は正面三間通りを外陣となし、後方十一間六面を内陣とし、内外両陣は上蔀戸をもって仕切られています。内陣の中央四間四面を内々陣とし、後方の四天柱は漆箔を貼し、内に宮殿を置き、法然上人の像を安置しています。宮殿は屋根を除きほとんど全部漆箔を施して荘厳されています。宮殿の前面には案上に三具足を置き、その前に礼盤があり、さらにその前には曲禄があります。この曲禄は僧侶が参詣の諸人に向かい説法する時の用に供されるものです。要するに本堂は江戸初期における民衆的仏殿の代表的遺構です。

本堂正面の軒裏には知恩院の傘と称するものがあり、左甚五郎の忘れたものであるという俗説があり、あるいはまた防火のまじないであるという説もあります。

阿弥陀堂 御影堂の西にあり、五間六面、重層、屋根は入母屋造、本瓦葺で、明治43年(1910年)の建立となり、本尊阿弥陀像を安置しています。

集会堂 御影堂の後方にあり、御影堂から廊下が通じています。寛永年間(1624~1644年)の建立で、俗に千豊敷と称する360畳敷の大建築で、大集会の道場です。

大方丈[国宝] 集会堂の東に連なっています。寛永10年の建築で桁行九間、梁間六間、単層、入母屋造、檜皮葺の大建築、玄関および歩廊が附属しています。正面中央の軒端には唐破風を造り、軒には二重の疎棰を配しています。軒廻りはいずれも舟肘木を冠した面取方柱を立て、周囲には簀子椽および広椽があります。内部は表裏二区に分かれ、さらに各区が四室になっています。各室の仕切には主として襖を立てています。中央正面を仏間とし、その東に上段の間、中段の間および下段の間があります。上段の間は構造最も精緻にして非常に華麗です。天井は二重折上げ小組格天井、奥壁に接して大床があります。床の西脇には違棚および袋棚等を設け、違棚の右横前には帳台飾があります。床の壁には金粉地に李白観瀑の図が描かれ襖および帳台には山水が描かれています。中段の間は上段の間より一段低く、天井は折上げ格天井で襖には山水、中国人物等が描かれています。下段の間の襖には山水人物および鶴に乗った仙女、秋草などが描かれています。上段および中段の間の絵は狩野尚信の筆と伝わり、下段の間の絵は狩野信政の筆とされています。中央の仏間には阿弥陀仏の立像および天皇、后妃、法親王の尊牌37基、徳川氏歴代の霊牌13基を安置しています。仏前の間は畳54畳を敷く大広間で、襖には金地に大きな松と鶴を描き鶴の間と称し、筆者を狩野尚信と伝えています。裏側に廻ると宮様得度の間があります。襖および床の壁には金地に梅および竹を描き、その構図および色彩になお桃山式の特徴を残しています。

小方丈[国宝] 大方丈の東北に南面して立ち、大方丈とは歩廊をもって連なっています。これも寛永10年の建築、五間五面、単層、屋根入母屋造檜皮葺の書院造で、その構造は大方丈によく似ています。すなわち外廻りには板引戸と明障子とを併用し、さらに広椽と各室との仕切には舞良戸を用いています。内部は六室に分かれ、壁および襖には主として水墨の山水を描いて装飾しているため、大方丈と比べると、その内部が清酒軽妙の感に富んでいます。要するに大方丈および小方丈はいずれも江戸時代初期において完備された方丈建築の代表的遺構です。

唐門[国宝] 本堂の後方東寄りにあります。寛永10年の建築、四脚の唐門で、屋根は入母屋造、檜皮葺、前後に唐破風があります。梁上には大瓶束を立て、蟇股を置き、桝組は三斗を用い、親桂は円桂、脚柱は角柱です。なお慕股内および大瓶束左右の笈形にも優美な彫刻があります。

経蔵[国宝] 御影堂の東南、高い石壇の上に建っています。元和5年の建築、方五間、重層、尾根は宝形造本瓦葺です。上層は三間三面二重の扇棰を配し、桝組は唐様三手先を用い、下層は唐様出三斗を組んでいます。内外の仕切には正面および左右両側面ともに中央一間に桟唐戸、両脇の間には火灯窓、後面は中央一間を桟唐戸となし、両脇の柱間は板壁になっています。内部は石敷で、天井および小壁などには伽陵頻迦、麒麟、花卉などの彩画をもって華麗な装飾を施し、中央に輪蔵を置き、宋版の一切経五千六百余巻を納めています。輪蔵の正面には傅大士の像および四隅には経典守護の為に安置された四天王の立像があります。

大鐘 経蔵南方の山腹にある鐘楼にかかっています。寛永13年(1636年)霊殿上人の鋳造になり、高さ5.5m、径2.7m、厚さ29cm、重量70トン近くあるといいます。

勢至堂[国宝] 本地堂ともいい、御影堂の東方華頂山の中腹にあります。室町時代の建築で、この寺最古の建造物です。七間四方、単層、入母屋造本瓦葺です。軒には二重の疎棰を配し、舟肘木を冠した方柱を立てています。内部は中央三間四面を内陣として、正面左右両側各二間通りおよび後面一間通を外陣とし、内陣の後方に須弥壇があり、勢至菩薩の像を安置しています。

円光大師霊廟 勢至堂の東方崖上にあり、円光大師は当山の開祖です。

このほか納骨堂、華頂会館、信徒宿泊所および大小庫裡などが境内各所に散在しています。

  • 宝物
  • 法然上人絵伝[国宝] 四十八巻 紙本著色 伝土佐吉光筆、詞書は伏見天皇ほか七筆 法然上人の絵伝は国宝となっているものだけでも少なくありませんが、この絵伝は伏見、後伏見の両帝が勅願により土佐吉光に描かせられたとの伝から勅修御伝と呼ばれ、最も著名なものです。48巻のうち42巻までは上人の託胎から小倉山建塔に至る事項を叙述し、第43巻以下は門弟の事蹟を叙しています。絵は48巻中237段あって、各段の絵は数人の筆者によって鎌倉末期に描かれたものと思われますが、いずれも濃厚な著色を施しています。足利時代における土佐画風の先駆をなすものです。特にこの絵巻物は章段が極めて多いため、種々の光景が描き出され、あるいは俗里の風俗を現し、あるいは僧侶の生活を描き、非常に変化に富んでいます。これにより風俗史あるいは建築史等の参考となる点が少なくありません。48巻中10巻は京都博物館出陳。
  • 法然上人絵伝[国宝] 一巻 紙本著色 奥に「黒谷上人絵 釈弘顕」の奥書があります。この絵巻は室町時代初期にできた法然絵伝の一異本の残欠で、詞および絵各13段を残しています。48巻伝に比して描写の非常に自由素朴なものです。
  • 阿弥陀二十五菩薩来迎図[国宝] 一幅 絹本著色 普通に早来迎ともいわれ、聖衆の乗る白雲は画面の左上から険しい山々をかすめて右下へ対角線の方向をとってほとんど逆落しに天降り来る勢いを現した来迎図で、いかにも急速切迫した情景を現しています。聖衆は肉身も衣裳も金色で荘厳され、衣には七宝文卍字文雷文等の截金文様を施しています。背景には爛漫とした桜花と松の緑に彩られた山容を現し、鎌倉時代における弥陀来迎の信仰をよく現しています。京都博物館出陳
  • 観経曼荼羅[国宝] 絹本著色 足利時代 一幅
  • 阿弥陀経曼荼羅[国宝] 絹本著色 足利時代 一幅
  • 前2種ともに当麻曼荼羅の模写です。
  • 紅玻璃阿弥陀像[国宝] 絹本著色 鎌倉時代 名は紅玻璃阿弥陀とありますが、儀軌によらず、普通の朱衣金紋右肩偏祖定印の金剛界の弥陀で、周囲に種子が書いてあります。彩色鮮麗宋画の影響を受けた鎌倉時代の作品です。
  • 三尊仏[国宝] 金銅押出仏 奈良時代 二面 唐招提寺、法隆寺等のものと同様のものです。
  • 地蔵菩薩像[国宝] 絹本著色 東京帝室博物館出陳 一幅
  • 毘沙門天像[国宝] 絹本著色 鎌倉時代 一幅 絵画として遺品の少ない毘沙門天曼荼羅です。
  • 天平年間写経生日記[国宝] 紙本墨書 奈良博物館出陳 一巻
  • 大唐三蔵玄弉法師表啓[国宝] 一巻 紙本墨書 玄弉の表啓を載録した希覯の古抄本で、彼の事蹟を現す確実な資料です。なお紙背には天平神護元年東大寺僧興顕の奥書のある華巌八会剛目章が書いてあります。この書もまた希世の珍本ですが、表啓はさらに書写年代の上るもので、古抄本として尊重すべきものです。
  • 上宮聖徳法王帝説[国宝] 紙本墨書 奈良帝室博物館出陳 一巻
  • 蓮華図[国宝] 絹本著色 二幅
  • 牡丹図[国宝] 絹本著色 京都博物館出陳 一幅
  • 桃李園金谷園図[国宝] 絹本著色 同上 二幅
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
知恩院三門 知恩院御影堂

令和に見に行くなら

名称
知恩院
かな
ちおんいん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市東山区新橋通大和大路東入3丁目林下町400
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電祇園石段下下車、東山三十六峯の一、華頂山の麓にあり、東山第一の巨刹、僧源空(法然上人、圓光大師及明照大師の追諡あり)によつて開かれた寺である。上人は初め密敎を學び、圓頓戒を受けたが、後支那唐代善導大師の編述にかゝる觀經疏によつて我が淨土宗を開き、藤原時代の末葉、承安年中東山の吉水に草庵を營み、盛に淨土宗を唱へた。當時關白藤原兼實のために淨土門を說き、「選擇本願念佛集」を草して彼に授けた。本書は今日尙淨土門の實典として重んぜられて居る。爾來當寺は淨土宗の總本山として今日に及んで居る。本宗に屬する僧侶は五萬八千餘名、信徒は一千六百九十萬餘を算すと云ふ。

現在の寺域諸堂は德川氏の歸依によつて始めて整備したもので、三門、御影堂、集會堂、經藏、阿彌陀堂、勢至堂、唐門、大方丈、小方丈、鐘樓等を具備し規模宏壯を極めて居る。

三門[國寶] 新門より入り廣き馬場を過ぎ、高き石段を登り詰めた所に高く聳え立つて居る。この三門は元和五年に德川秀忠の建立にかゝり、五閒三戶の樓門、入母屋造、本瓦葺、兩袖に山樓を有する大建築で、江戶初期に於ける最大なる樓門である。柱は上部に粽を有する雄大な圓柱で、石製礎盤の上に建つて居る。桝組は唐樣で下層は二手先詰組、上層は三手先詰組を用ゐ、軒は下層二重繁棰、上層二重扇棰を使用して居る。上層は腰に高欄を有する廻椽をめぐらし、その內部は拭板敷の床を有し、奧壁に接して壇を設け、中央に寶冠を有する華嚴の釋迦像を安置し、左右には善財童子、須達長者及十六羅漢の木像を安置して居る。何れも佛師康猶法師の作と云ふ。天井は鏡天井で、中央に雲龍、左右に天人の彩畫を施し、桝組には繧繝彩色を加へ、虹梁には極彩色で麒麟、波に怪獸などを描いて居る。この三門は江戶初期に於ける雄大な寺門の代表的傑作で、外部はすべて白木の儘であるが、樓上の內部は彩色を以て充たされ頗る華麗である。

御影堂[國寶] 開祖法然上人の木像を安置せるが故に御影堂と云ひ、また大殿とも稱して居る。卽ち當寺の本堂である。寬永十年、德川家光の建立にかゝり、桁行十一閒、梁閒九閒、單層で屋根は入母屋造、本瓦葺の雄大な流れを有し、前後兩面に向拜があり、腰に廻椽をめぐらした大建築である。軒には二重の繁棰を配し、桝組には唐樣三手先を用ゐ尾棰を加へて居る。柱は太き圓柱を建て、柱頭には臺輪を置いて居る。前面の向拜は桁行五閒、桝組は出三斗を用ゐ、方柱を建て、桝組の中閒には蟇股を置き、手挾には雲龍、天人、蓮華等の雄大な彫刻を施し、後面の向拜は桁行三閒、その手挾には菊、牡丹、楓に鳳凰などの彫刻がある。これ等の彫刻はその作孰れも優秀であるが彩色は無い。尙左右の破風內にある牡丹の彫刻はその規模雄大にして、桃山式豪華な氣分を現はして居る。

內部は正面三閒通りを外陣となし、後方十一閒六面を內陣とし、內外兩陣は上蔀戶を以て仕切られて居る。內陣の中央四閒四面を內々陣となし、後方の四天柱は漆箔を貼し、內に宮殿を置き、法然上人の像を安置して居る。宮殿は屋根を除き殆ど全部漆箔を施して莊嚴されて居る。宮殿の前面には案上に三具足を置き、その前に禮盤があり、更にその前には曲祿がある。この曲祿は僧侶が參詣の諸人に向ひ說法する時の用に供せられるものである。要するに本堂は江戶初期に於ける民衆的佛殿の代表的遺構である。

本堂正面の軒裏には知恩院の傘と稱するものがある、左甚五郞の忘れたものであると云ふ俗說があり、或はまた防火の咒であらうと云ふ說もある。

阿彌陀堂 御影堂の西にあり、五閒六面、重層、屋根は入母屋造、本瓦葺で、明治四十三年の建立にかゝり、本尊阿彌陀像を安置して居る。

集會堂 御影堂の後方にあり、御影堂から廊下が通じて居る。寬永年閒の建立で、俗に千豐敷と稱する三百六十疊敷の大建築で、大集會の道場である。

大方丈[國寶] 集會堂の東方に連つて居る。寬永十年の建築で桁行九閒、梁閒六閒、單層、入母屋造、檜皮葺の大建築、玄關及步廊が附屬して居る。正面中央の軒端には唐破風を造り、軒には二重の疎棰を配して居る。軒廻りはいづれも舟肘木を冠せる面取方柱を立て、周圍には簀子椽及廣椽がある。內部は表裏二區に別かれ、更に各區が四室になつて居る。各室の仕切には主として襖を立てゝ居る。中央正面を佛閒とし、その東に上段の閒、中段の閒及下段の閒がある。上段の閒は構造最も精緻にして頗る華麗である。天井は二重折上げ小組格天井、奧壁に接して大床がある。床の西脇には違棚及袋棚等を設け、違棚の右橫前には帳臺飾がある。床の壁には金粉地に李白觀瀑の圖が描かれ襖及帳臺には山水が描かれて居る。中段の閒は上段の閒より一段低く、天井は折上げ格天井で襖には山水、支那人物等が描かれて居る。下段の閒の襖には山水人物及鶴に乘れる仙女、秋草などが描かれて居る。上段及中段の閒の繪は狩野尙信の筆と傳へ、下段の閒の繪は狩野信政の筆と稱して居る。中央の佛閒には阿彌陀佛の立像及天皇、后妃、法親王の尊牌三十七基、德川氏歷代の靈牌十三基を安置して居る。佛前の閒は疊五十四疊を敷く大廣閒で、襖には金地に大なる松と鶴を描き鶴の閒と稱し、筆者を狩野尙信と傳へて居る。裏側に廻ると宮樣得度の閒がある。襖及床の壁には金地に梅及竹を描き、その構圖及色彩に尙桃山式の特徵を殘して居る。

小方丈[國寶] 大方丈の東北に南面して立ち、大方丈とは步廊を以て連つて居る。これも寬永十年の建築、五閒五面、單層、屋根入母屋造檜皮葺の書院造で、その構造は大方丈によく似て居る。卽ち外廻りには板引戶と明障子とを倂用し、更に廣椽と各室との仕切には舞良戶を用ゐて居る。內部は六室に別れ、壁及襖には主として水墨の山水を描いて裝飾して居る爲め、大方丈と比べると、その內部が淸酒輕妙の感に富んで居る。要するに大方丈及小方丈は何れも江戶時代初期に於ける完備せる方丈建築の代表的遺構である。

唐門[國寶] 本堂の後方東寄りにある。寬永十年の建築、四脚の唐門で、屋根は入母屋造、檜皮葺、前後に唐破風がある。梁上には大甁束を立て、蟇股を置き、桝組は三斗を用ゐ、親桂は圓桂、脚柱は角柱である。尙慕股內及大甁束左右の笈形にも優美な彫刻がある。

經藏[國寶] 御影堂の東南、高き石壇の上に建つて居る。元和五年の建築、方五閒、重層、尾根は寶形造本瓦葺である。上層は三閒三面二重の扇棰を配し、桝組は唐樣三手先を用ゐ、下層は唐樣出三斗を組んで居る。內外の仕切には正面及左右兩側面共に中央一閒に棧唐戶、兩脇の閒には火燈窓、後面は中央一閒を棧唐戶となし、兩脇の柱閒は板壁になつて居る。內部は石敷で、天井及小壁などには伽陵頻迦、麒麟、花卉などの彩畫を以て華麗な裝飾を施し、中央に輪藏を置き、宋版の一切經五千六百餘卷を納めて居る。輪藏の正面には傅大士の像及四隅には經典守護の爲に安置された四天王の立像がある。

大鐘 經藏南方の山腹にある鐘樓にかゝつて居る。寬永十三年靈殿上人の鑄造にかゝり、高さ一丈八尺、徑九尺、厚さ九寸五分、重量一萬八千貫ありと云ふ。

勢至堂[國寶] 本地堂とも云ひ、御影堂の東方華頂山の中腹にある。室町時代の建築で、當寺最古の建造物である。七閒四方、單層、入母屋造本瓦葺である。軒には二重の疎棰を配し、舟肘木を冠した方柱を立てゝ居る。內部は中央三閒四面を內陣となし、正面左右兩側各二閒通り及後面一閒通を外陣となし、內陣の後方に須彌壇があり、勢至菩薩の像を安置して居る。

圓光大師靈廟 勢至堂の東方崖上にあり、圓光大師は當山の開祖である。

この外納骨堂、華頂會館、信徒宿泊所及大小庫裡などが境內各所に散在して居る。

  • 寶物
  • 法然上人繪傳[國寶] 四十八卷 紙本著色 傳土佐吉光筆、詞書は伏見天皇外七筆 法然上人の繪傳は國寶となれるものだけでも少くない、この繪傳は伏見、後伏見の兩帝が敕願により土佐吉光に畫かしめられたとの傳から敕修御傳と稱し、最も著名なものである。四十八卷の內四十二卷迄は上人の託胎から小倉山建塔に至る事項を敍述し、第四十三卷以下は門弟の事蹟を敍して居る。繪は四十八卷中二百三十七段あつて、各段の繪は數人の筆者によつて鐮倉末期に描かれたものと思はれるが、何れも濃厚な著色を施して居る。足利時代に於ける土佐畫風の先驅をなすものである。殊にこの繪卷物は章段が極めて多いため、種々の光景が描き出され、或は俗里の風俗を現はし、或は僧侶の生活を描き、頗る變化に富んで居る。從つて風俗史或は建築史等の參考となる點が少くない。四十八卷中十卷は京都博物館出陳
  • 法然上人繪傳[國寶] 一卷 紙本著色 奧に「黑谷上人繪 釋弘顯」の奧書がある。この繪卷は室町時代初期に出來た法然繪傳の一異本の殘缺で、詞及繪各十三段を存して居る。四十八卷傳に比して描寫の頗る自由素朴なものである。
  • 阿彌陀二十五菩薩來迎圖[國寶] 一幅 絹本著色 普通に早來迎とも云はれ、聖衆の駕する白雲は畫面の左上から嵯峨たる峯巒をかすめて右下へ對角線の方向をとつて始んど逆落しに天降り來る勢を現はした來迎圖で、如何にも急速切迫した情景を現はして居る。聖衆は肉身も衣裳も金色で莊嚴せられ、衣には七寶文卍字文雷文等の截金文樣を施して居る。背景には爛漫たる櫻花と松の綠に彩られた山容を現はし、鐮倉時代に於ける彌陀來迎の信仰をよく現はして居る。京都博物館出陳
  • 觀經曼荼羅[國寶] 絹本著色 足利時代 一幅
  • 阿彌陀經曼荼羅[國寶] 絹本著色 足利時代 一幅
  • 右二種共に當麻曼荼羅の模寫である。
  • 紅玻璃阿彌陀像[國寶] 絹本著色 鐮倉時代 名は紅玻璃阿彌陀とあるが、儀軌に依らず、普通の朱衣金紋右肩偏祖定印の金剛界の彌陀で、周圍に種子が書いてある。彩色鮮麗宋畫の影響を受けた鐮倉時代の作品である。
  • 三尊佛[國寶] 金銅押出佛 奈良時代 二面 唐招提寺、法隆寺等のものと同樣のものである。
  • 地藏菩薩像[國寶] 絹本著色 東京帝室博物館出陳 一幅
  • 毘沙門天像[國寶] 絹本著色 鐮倉時代 一幅 繪畫として遺品の少ない毘沙門天曼荼羅である。
  • 天平年閒寫經生日記[國寶] 紙本墨書 奈良博物館出陳 一卷
  • 大唐三藏玄弉法師表啓[國寶] 一卷 紙本墨書 玄弉の表啓を載錄した希覯の古抄本で、彼の事蹟を徵すべき確實な資料である。尙紙背には天平神護元年東大寺僧興顯の奧書のある華巖八會剛目章が書いてある。この書もまた希世の珍本であるが、表啓は更に書寫年代の上るもので、古抄本として尊重すべきものである。
  • 上宮聖德法王帝說[國寶] 紙本墨書 奈良帝室博物館出陳 一卷
  • 蓮華圖[國寶] 絹本著色 二幅
  • 牡丹圖[國寶] 絹本著色 京都博物館出陳 一幅
  • 桃李園金谷園圖[國寶] 絹本著色 同上 二幅

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