養源院

養源院[天臺宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電三十三間堂前下車、三十三間堂の前にあります。もとは豊臣秀吉の側室、淀君がその父浅井長政(法名養源院)の追福のために建てましたが、後に火災に罹り、江戸時代前期の元和7年(1621年)淀君の妹にあたる徳川秀忠の夫人崇源院が伏見桃山城の旧材を用いて再建したものと伝え、その天井を血天井と称して名高いものです。

襖および杉戸絵[国宝] この絵は早くから野村宗達の筆とされ著名です。現在伝わるところは襖8枚、杉戸4枚ですが、襖の松に岩を添えた構図にも彼一流の特色があり、杉戸の獅子、象、サイの図像も奇抜で、彩色はいずれも豊潤で一見して宗達の筆と納得されるものです。現在その獅子の構図を見るに、ひとつは首を下げ口を閉じて逆立ち、ほかは首をもたげて口を開き、互いに阿吽の約束を守っています。色彩においてはひとつは金色、ほかは黒色で、構図彩色の対称に独特の妙技を振るっています。体躯は四肢を描くには彼得意の筆法を使って極度に軟化し、これに極度の跳躍を与え、かつこれを全幅に放大してさらに余白を遺さず、飽くまで奮迅の勢いをたくましくさせた様子は、誠に比類を絶する作です。宗達は慶長から寛永にかけて盛んに技を揮い、衰えつつあった障屏装飾画の方面に新境地を開拓した大家で、この画はその面目がよくうかがえるものです。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
養源院
かな
ようげんいん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市東山区三十三間堂廻町656
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電三十三閒堂前下車、三十三閒堂の前にある。當院はもと豐臣秀吉の側室、淀君がその父淺井長政(法名養源院)の追福のために建てたが、後火災に罹り、元和七年淀君の妹にあたる德川秀忠の夫人崇源院が伏見桃山城の舊材を用ゐて再建したものと傳へ、その天井を血天井と稱して名高い。

襖及杉戶繪[國寶] この繪は夙に野村宗達の筆と稱して著名である。今傳ふる所は襖八枚、杉戶四枚であるが、襖の松に岩を添へた構圖にも彼一流の特色があり、杉戶の獅子、象、犀の圖像も奇拔で、彩色は何れも豐潤にして一見宗達の筆と頷かるゝものである。今その獅子の構圖を見るに、一は首を下げ口を閉ぢて逆立ち、他は首をもたげて口を開き、互に阿吽の約束を守つて居る。色彩に於ては一を金色、他を黑色となし、構圖彩色の對稱に獨特の妙技を振つて居る。體軀四肢を描くには彼得意の筆法を用ゐて極度に軟化し、これに極度の跳躍を與へ、且つこれを全幅に放大して更に餘白を遺さず、飽くまで奮迅の勢を逞くせしめた如きに至つては、誠に比類を絕する作である。宗達は慶長より寬永にかけて盛に技を揮ひ、漸く衰へんとする障屏裝飾畫の方面に新境土を開拓した大家で、この畫の如き卽ちよくその面目を窺ふべきものである。

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