祇園祭

祇園祭
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

7月17日から24日まで。八坂神社の祭ではありますが、京洛を挙げての一大祭として名高いものです。まず7月10日に神輿洗の儀というものを行い、16日夜は宵山として賑わいます。祭の当日17日は午前中鉾6本、山棚13基の行列。午後神幸式があり、いずれも古例に倣い盛観を極めます。24日には前記と同一祭式にて午前中8基の山棚行列があり、午後神輿還幸があります。両日巡幸する鉾6本、山棚22本はいずれも装飾の方法に定式があり、11日頃から組立てて各担当の町内に立ててあります。

この祭は平安時代の貞観年間(859~877年)に疫病流行の際疫神の退散を祈るため、祇園の神輿を神泉苑に奉じ、鉾を立てて疫神を祀ったことに始まったといいます。後に大嘗会の標の山などに倣い、作山を曳き渡す事も始まり、次第に趣向をこらし、今日見るような華麗な山車を各町から出すようになりました。山車には山と鉾の2種あります。その山鉾の行列は17日の午前に行われ、祇園囃を奏しながら、順次氏子の各町を巡り、午後四条通東洞院に集合し、年々抽籤によって定められた順席に従い、神輿を御旅所に迎え、さらに寺町通を南下し、松原通を西に向かい東洞院通に至りここで解散します。山鉾に懸けられる織物は精巧華麗なもので、オランダあたりから輸入されたいわゆる古渡のゴブラン織などもあります。昔は上皇、后宮の御覧もあり、聖上は紫宸殿に御して御覧になったこともあり、また摂関大臣および将軍は、桟敷を構えてこれを見物したものです。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
祇園鉾

令和に見に行くなら

名称
祇園祭
かな
ぎおんまつり
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市東山区
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

(七月十七日から二十四日まで)八坂神社の祭ではあるが、京洛を擧げての一大祭として名高い。先づ七月十日に神輿洗の儀と云ふのを行ひ、十六日夜は宵山とて賑ふ。祭の當日十七日は午前中鉾六本、山棚十三基の行列。午後神幸式があり、何れも古例に倣ひ盛觀を極める。二十四日には前記と同一祭式にて午前中八基の山棚行列があり、午後神輿還幸がある。兩日巡幸する鉾六本、山棚二十二本は何れも裝飾の方法に定式があり、十一日頃から組立てゝ各擔當の町內に立てゝある。

この祭は貞觀年閒に疫病流行の際疫神の退散を祈る爲め、祇園の神輿を神泉苑に奉じ、鉾を立てて疫神を祀りしに始まつたと云ふ。後大嘗會の標の山などに倣ひ、作山を曳き渡す事も始まり、次第に趣向をこらし、今日見る如き華麗なる山車を各町から出すやうになつた。山車には山と鉾の二種ある。その山鉾の行列は十七日の午前に行はれ、祇園囃を奏し乍ら、順次氏子の各町を巡り、午後四條通東洞院に集合し、年々抽籤によつて定められた順席に從ひ、神輿を御旅所に迎へ、更に寺町通を南下し、松原通を西して東洞院通に至りこゝで解散する。山鉾に懸けられる織物は精巧華麗なもので、オランダあたりから輸入されたいはゆる古渡のゴブラン織などもある。昔は上皇、后宮の御覽あり、聖上は紫宸殿に御して御覽ありしことあり、また攝關大臣及び將軍は、棧敷を構へてこれを見物したものである。

洛東・東山のみどころ