大仏殿(方広寺)
大佛殿(方廣寺)[天臺宗]
昭和初期のガイド文
豊国神社の北に隣接しています。豊臣秀吉が天正14年(1586年)に奈良東大寺の大仏をまねて創建したもので、慶長元年(1596年)大地震のため破壊したまま、再建されることなく秀吉は亡くなりましたが、徳川家康は秀頼および淀君に勧めてこれを再興させました。慶長17年(1612年)春仏像殿堂が完成し、19年(1614年)4月梵鐘を鋳造しましたが、いわゆる「国家安康」の問題を起こし、豊臣氏の滅亡を招くこととなったのは有名な話です。現在この鐘は豊国神社北門前の鐘楼にかかっています。その後寛文2年(1662年)の地震に遭って仏殿は倒れ、大仏は寛永通宝に改鋳されました。現在安置されている半身の大仏は、江戸時代後期の天保14年(1843年)に尾張の人が寄附したもので稚気愛すべきものがあります。その背後に陳列している遺物には豊臣家の哀史を想い起こさせるものがあります。
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 大仏殿(方広寺)
- かな
- だいぶつでん(ほうこうじ)
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存しない
- 備考
- 方広寺は存続していますが、昭和48年(1973年)の火災によって大仏殿および大仏は焼失しました。
日本案内記原文
豐國神社の北に鄰接して居る。豐臣秀吉が天正十四年に奈良東大寺の大佛に擬して創建したもので、慶長元年大地震の僞破壞した儘、再建成らずして秀吉は薨じたが、德川家康は秀賴及淀君に勸めてこれを再興させた。慶長十七年春佛像殿堂完成し、十九年四月梵鐘を鑄造したが、いはゆる「國家安康」の問題を起し、豐臣氏の滅亡を招くに至つたのは有名な話である。今この鐘は豐國神社北門前の鐘樓にかゝつて居る。その後寬文二年の地震に遭つて佛殿は倒れ、大佛は寬永通寶に改鑄された。現に安置する半身の大佛は、天保十四年に尾張の人の寄附したもので稚氣愛すべきものがある。その背後に陳列せる遺物には豐臣家の哀史を想ひ起さしむるものがある。
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