京都博物館

恩賜京都博物館
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

三十三間堂の北隣にあります。この博物館は社寺その他の什宝にして歴史、美術および美術工芸の参考となるべきものを受託して一般に観覧させるため、帝室において設立されたものです。明治25年(1892年)4月起工し、同28年(1895年)10月竣工、同30年(1897年)5月1日から開館して京都帝室博物館と称し、以来一般の観覧に供されていましたが、大正13年(1924年)1月26日、皇太子殿下御成婚に際し、宮内省から京都市に下賜され、同年2月から恩賜京都博物館と改称し、京都市経営の下に従来と同じ目的をもって開館されています。陳列館の総坪数は900坪あまりで、17室に分かれています。その陳列品は歴史部、美術部、美術工芸部の三部に分かれ、各部の陳列品はさらに種類によって次のように分類されています。

  • 歴部 図書、古代遺品、祭祀宗教に関する物品、武器、礼式風俗に関する物品、貨幣、度量衡、信印
  • 美術部 絵画、書蹟、雕刻、建築
  • 美術工芸部 金属品、窯製品、抹漆品、織縫品、玉石甲角竹木品、紙革品、写真並図絵
  • 陳列法は大体この分類に従って陳列されています。

第8室 入口が裏にあるのでこの室が最初の室になっています。この室には甲冑、刀剣類が陳列され、その陳列品中厳島神社出陳の国宝大鎧一領、八坂神社出陳の国宝山形造太刀三口、国宝盛光作大薙刀などが特に注目すべきものです。

第6室 第8室から右手に向かって進むと特別観覧室となっている第7室を経て達します。この室には各時代の歴史的遺物、茶器、楽器その他礼式風俗に関するものが陳列されていますが、その中で特に注目すべきものを次に列記します。

  • 小野毛人朝臣墓誌[国宝] 一枚 京都市 崇道神社出陳 金銅製、江戸時代前期の慶長18年(1613年)京都市上高野の小野毛人墓から発掘、丁丑年の銘文があります。丁丑は白鳳6年にあたり昭和7年(1932年)から1,256年前で毛人は小野妹子の息子です。
  • 威奈真人大村卿骨壺[国宝] 一口 大阪市 四天王寺出陳 金銅製、江戸時代後期の明和7年(1770年)大和国﨟下郡馬場村穴虫山開墾の際に発掘、大村卿は越後城司で飛鳥時代の慶雲4年(707年)4月24日越後において没しその遺骨はこの骨壺に納めて大和国葛城郡栢井山岡に葬られたのでした。
  • 経筒 一個 京都府 鞍馬寺出陳 青銅製、八角形で各面に法華経の題号と巻数が刻書されています。
  • 豊臣棄丸坐像[国宝] 一体 京都府 隣華院出陳 木造彩色。葉丸は盟臣秀吉の長子で母は浅井長政の娘(淀君)です。秀吉は石河伊賀守を伝として愛育しましたが、わずか3歳で天正19年(1591年)8月5日に没し、法名を祥雲院殿玉巌麟公神童と称しました。
  • 玩具船[国宝] 一個 京都市 玉鳳院出陳 木造彩色、棄丸所用と伝え、殿中で傅育の道具として使用されたものといいます。この他、棄丸所用と伝わる小形の武具および倶利迦羅守刀があり、これらも国宝になっています。

第5室 この室には装束、舞楽に関する遺物神像類が陳列されています。神像中で松尾神社出陳の男神坐像二体、女神坐像一体はいずれも木造、平安時代の代表的神像で国宝に指定されています。

第4室 この室には優秀な蒔絵漆器類が陳列されています。

  • 唐草蒔絵経箱[国宝] 平安時代。一合 滋賀県 延暦寺出陳
  • 一切継唐櫃中蓋および小箱[国宝] 二個 名古屋市 七寺出陳 中蓋に釈迦十六善神の漆絵があります。藤原時代。
  • 説相箱[国宝] 一個 京都市 警願寺出陳 螺鈿模様および金銅製竜の居文があります。鎌倉時代。
  • 蒔絵調度類[国宝] 十四種 京都市 高台寺出陳 秀吉の夫人浅野氏(高台院)が慶長10年(1605年)高台寺を建立した時に新調されたもので、その種類には椅子、歌書箪笥、手文庫、薬味壺、刀掛、掛盤、飯器捥、銚子、湯桶、天目台、手拭掛、枕提灯などがあります。その蒔絵はいわゆる高台寺蒔絵の代表的なもので平蒔絵に属しています。特に膳部のようなものは全体が厚金梨子地で湖畔の景を写し桐の紋所を散らした豪華なものです。
  • 堆朱盆[国宝] 一枚 京都市 竜翔寺出陳 背面に「張成造」の彫銘があります。模様はツバキと二羽の尾長鳥とを巧みに円形中に収めたもので遒勁な刀法とあいまって、高雅な趣致に富み江州来迎寺の同銘の香盆とともに日本に残る堆朱器の優品です。
  • 堆朱盆[国宝] 一枚 京都市 大仙院出陳 表面に牡丹、木芙蓉に雌雄の孔雀を配した図を彫り、これにも底に「張成造」の針書があります。

第3室 この室には各地の陶磁器が陳列されています。その主な種類には楽焼、仁清、永楽、木米、道八、九谷焼等があり、次の諸品は特に注目すべきものです。

  • 青磁鳳凰耳花瓶[国宝] 一個 京都市 毘沙門堂出陳 銘、万声 この花瓶は日本では昔からいわゆる天下一品として許されてきたもので、実に砧手青磁の代表的名器です。
  • 色絵蓮華式香炉[国宝] 一個 京都市 法金剛院出陳 香炉全体の形は荷葉蓮華に基いて作られています。蓋の荷葉は青く、身の蓮華は赤地に金条を入れ青い縁がとってあり、逆蓮形の台は青地に赤い縁をとって金線で輪宝と唐草を描いています。全体の形態色調は精妙絢爛にしてよく陶器の本質を発揮した日本趣味の豊かな作品です。
  • 油滴および曜変天目茶碗[国宝] 二個 京都市 竜光院出陳

第2室 この室には金属品染織類が陳列されていますが次の諸品は特に注目すべきものです。

  • 獅子唐草毛彫鉢[国宝] 一個 岐阜県 護国之寺出陳 金銅製、円鉄鉢形で外面には魚子地に花を挟んで飛びまわる獅子の模様が流麗な毛彫で現されています。中国の唐朝あるいは日本の奈良朝の製作と見られる傑作です。
  • 金銅琵琶[国宝] 一面 和歌山県 丹生都比売神社出陳 金銅槽に銅線の弦を張り、桿撥に竹に虎の図を高影した極小形のもので実用品ではありません。神社へ奉納するために作られたもので平政子奉納と伝えていますが、それよりも後のもので鎌倉末期に属します。
  • 鸞獣蒲萄鑑[国宝] 一面 愛媛県 大山祇神社出陳 青銅製、径33cm、模様は非常に精緻で唐時代の作です。
  • 金鼓[国宝] 一口 京都府 知恩寺出陳 至治二年十月十六日造成の銘があります。

第1室 この室には国宝の仏像彫刻類が30体あまり陳列されています。

  • 二十八部衆立像[国宝] 八体 京都市 妙法院出陳 これは三十三間堂千手観音の眷属二十八部衆の内の8体で、運慶の作をその後湛慶が修理したことになっています。いずれも木彫で全身に截金彩色を施した写生風に富んだ鎌倉時代の傑作でこの室の偉観です。
  • 五智如来坐像[国宝] 五体 京都市 安祥寺出陳 五智如来というのは大日、阿閦、宝生、弥陀および釈迦の五仏です。いずれも木造、平安時代の作で、これも二十八部衆の諸像と相対し、非常に光輝を放っています。
  • 運慶湛慶坐像[国宝] 二体 京都市六波羅密寺出陳 木造、各自作の像と伝え鎌倉時代の写生風に富んだ優秀な肖像彫刻です。
  • 僧形坐像[国宝] 一体 京都市 六波羅密寺出陳 木造、平満盛の像と伝えこれも非常に写生風な個性の表現に富んだ鎌倉時代の作です。
  • 仏頭[国宝] 一箇 奈良県 唐招提寺出陳 木心乾漆天平時代の作です。激しく破損していますがそのためかえって乾漆を施した手法がよく判り、研究者の好資料です。

第16室 表玄関正面の室で彫刻の大物が陳列されています。

  • 阿弥陀如来来像[国宝] 一体 京都市 万寿寺出陳 弥陀の定印を結んだ定納式の巨大な木彫仏で藤原末期の作。
  • 金剛力士立像[国宝] 二体 京都市 万寿寺出陳 木造、鎌倉時代の優秀な作です。
  • 俱生神坐像[国宝] 一体 京都府 宝積寺出陳 木造彩色、鎌倉時代の作です。
  • 闇黒童子半跏像[国宝] 一体 京都府 宝積寺出陳 木造彩色、鎌倉時代の作です。

第9室から第15室に至る各室は主として絵画の陳列場にあてられていますが、時々陳列替えをするほか、臨時特別展覧会場にもあてられます。このためほとんど全部撤回される場合もあります。ここではこれら各室の陳列絵画を日本画と中国画に大別し、日本画はその主なものをさらに各時代に分類列記して説明を加えて置きます。

  • 日本画
  • 奈良時代
  • 過去現在因果経[国宝] 一巻 京都市 上品蓮台寺出陳
  • 同上[国宝] 一巻 京都府 報恩院出陳
  • 両巻とも黄麻紙で下段に経文を墨書し、その上段に経意を彩画で描いた天平時代の作です。天平時代のものではありますが、画法は極めて幼稚で、彩色にももっぱら原色を用いていますが、中国六朝時代の古風を伝えた非常に高雅な作です。
  • 平安時代
  • 真言七祖像[国宝] 七幅 京都市 教王護国寺出陳 絹本著色、真言の七祖を等身大に描いたものです。七祖の中金剛智、善無畏、不空金剛、一行、慧果の五祖は唐の李真の筆で、竜猛、竜智の二祖は空海の筆になり、名号および行状文もすべて空海の筆と伝えています。画法はいずれも一種の鉄線描ともいうべき肥捜なき線をもって自由に人体を描写しています。平安朝初期における唐画の影響もその日本化を物語る貴重な遺品です。
  • 藤原時代
  • 釈迦金棺出現図[国宝] 一幅 京都府 長法寺出陳 絹本著色、大涅槃に入った釈尊がその母摩耶夫人のため再び金棺より身を起して法を説き人天ともに歓喜している光景を描いたものです。構図は雄大で描線は強く力があり、截金彩色の極めて豊麗なもので藤原時代仏画の傑作です。
  • 不動明王二童子像[国宝] 一幅 京都市 青蓮院出陳 絹本著色、高野の赤不動、三井の黄不動とともに名高くこの不動は青身で剣索を執って岩上に坐し二童子を従えています。身の青色は淡々ともえ上る迦楼羅燄の赤色と相映じ非常に悲愴の気を漂わせていますが、細部には藤原時代の優麗にして繊細な趣致が漲っています。
  • 仁王経曼荼羅[国宝] 一幅 京都市 醍醐寺出陳 絹本著色、仁王般若道場念誦儀軌に説くところを図示したものです。寺では息災の曼荼羅と称し醍醐僧正定海の筆と伝え藤原末期の作です。
  • 閻魔天像[国宝] 一幅 京都市 観智院出陳 絹本著色、寺伝に会理僧都の作といいますが藤原時代後期の作で朱線の輪郭美しく、精巧な截金文様と青緑の華文を有し、優美鮮麗を極めています。
  • 孔雀明王像[国宝] 一幅 京都市 安楽寿院出陳 絹本著色、藤原時代の特色を示した作で衣には優美な華文を画き、截金を置きあるいは銀泥をもって彩色を施し、小品ではありますが繊細な当代の趣味を代表しています。
  • 平家奉納法華経口絵[国宝] 三十三巻の内十巻 広島県 厳島神社出陳 紙本著色、法華経二十八巻のほかに付随の諸経と願文一巻が添えられています。願文は平清盛が認めたもので、末に平安時代の長寛2年(1164年)9月とあり、はじめには仁安元年(1166年)11月18日とあります。すなわち、ひとつは発顔の年でほかは満頭の年です。また経巻は平家一族間で各一、二巻ずつ分担して製作されたものです。各巻その装飾を異にしていますが、華美を極めたものが多く平家一門の栄華の程が偲ばれます。その華美を尽したものになると料紙を染めて各種の色の斑文を作り、あるいは種々の絵を描き、その上に金銀、緑青をもって経文の字を書いたものもあります。特に欄外の天地は最も意匠を凝して装飾しています。見返しは多く総銀地にして各種の色彩が美しく大和絵の山水、人物または蘆手絵などを描き、その中には独立した絵画として優れたものも少なくありません。画題は経文と関係あるものもないものもありますが、貴族の生活を写したものが特に美しいものです。画風は大和絵に属し人物の描写はいわゆる引目勾鼻式です。
  • 鎌倉時代
  • 源頼朝および平重盛画像[国宝] 二幅 京都市 神護寺出陳 絹本著色、藤原隆信の筆と伝え、日本肖像画中の優れた物です。画法は極細線で顔を描き、墨で袍を塗り、色彩は太刀と平緒に金と朱青をわずかに入れているに過ぎず、手法はむしろ簡素ですが、気品の高い鎌倉時代の作です。
  • 山水図六曲屏風[国宝] 一双 京都市 神護寺出陳 密教潅頂の際に用いる山水屏風です。その図は藤原時代の貴族の家居、狩猟等を写したもので、極彩色を使って非常に精密に描いた鎌倉初期の大和絵です。
  • 華厳縁起[国宝] 六巻 京都市 高山寺出陳 紙本著色、非常に巧みな絵で活動的趣致に富んでいます。縦横自在の描線を主とし彩色は簡単を旨としています。
  • 矢田地蔵縁起[国宝] 二巻 京都市 矢田寺出陳 紙本著色、鎌倉中期以後の作で、彩色が特によく保存されているのが珍しいものです。
  • 一遍上人絵伝[国宝] 十二巻 京都市 歓喜光寺出陳 絹本著色、一遍上人一代の事蹟を描いたもので巻末に「正安元年巳亥八月二十三日、西方行人聖誠記之畢、画図法眼円伊外題三品経尹卿筆云々」とあります。画材には山水自然の景多く、その筆致は大体において大和絵流ですが、往々新来の漢画法を摂取して自由に騙使しています。筆者円伊の名はこの絵巻によってのみその名を不朽に伝え、他に何ら伝記として見えるものがありません。
  • 法然上人絵伝[国宝] 四十八巻 京都市 知恩院出陳 紙本著色、法然上人源空の絵伝です。筆者を土佐吉光と伝えていますが、数人の筆になったことは明らかで、初めの2~3巻が特に優れています。現存絵巻中最も浩瀚なもので、また後の大和絵の画風の手本となったものとして注目されています。
  • 山越阿弥陀および地獄極楽図二曲屏風[国宝] 三枚 京都市 金戒光明寺出陳 絹本著色、三枚一組の屏風仕立で、中央の屏風は三枚折、左右は二枚折の屏風で高さ各132cmあります。中央の屏風には阿弥陀三尊が緑したたる嶺峰のなかから半身を現した尊容を描き、左右の屏風には地獄極楽および往生の諸相を現しています。三尊は金色に輝き、衣には細密な截金彩色が施され、構図は非常に説明的で、鎌倉時代に描かれた山越阿弥陀像の代表的遺作です。
  • 室町時代
  • 五百羅漢図[国宝] 四十五幅 京都市 東福寺出陳 絹本著色、東福寺の僧明兆の筆です。1幅に十羅漢ずつ50幅を描いたものですが、今45幅を残しています。図様は全く宋画に基いたものです。
  • 瓢鮎図[国宝] 一幅 京都市 退蔵院出陳 紙本著色、将軍義満が僧如拙に描かせたもので詩僧30名あまりの題語があります。画はいわゆる宋元墨画式に描かれ、彩色にはわずかに淡黄色が用いられているのみです。
  • 夏冬山水図[国宝] 二幅 京都市 曼殊院出陳 紙本墨画、雪舟筆、ひとつは雪景をほかは夏景を描いたもので、構想雄大、筆致確実にして雪舟の名に背かない名品です。
  • 楼閣山水図[国宝] 一幅 京都市 金地院出陳 元信の印があり元信の筆と信じられているものです。墨色を主とし淡彩を添え、筆致非常に剛健にしてよく馬遼、夏珪の正しい骨法を示しています。
  • 花鳥図[国宝] 八幅 京都市 大仙院出陳 紙本著色、大徳寺塔頭の大仙院の襖張付絵でしたが、掛幅に改装されたものです、室町時代漢画家の筆になったもので元信の筆と伝えて名高い。この他相阿弥の筆と伝わる山水図20幅、および元信の弟、之信の筆と伝わる四季耕作図8幅も同じく大仙院の襖絵を掛幅に改装して出陳されています。
  • 山水花鳥図[国宝] 四十幅の内十六幅 京都市 霊雲院出陳 紙本墨画、元信筆、もと妙心寺塔頭の霊雲院の書院を飾った襖絵を掛幅に改めたもので技巧非常に変化に富み元信の傑作として知られています。
  • 松鷹図[国宝] 双幅 京都市 曼殊院出陳 紙本墨画、雪村筆、雪村画中の傑作として知られています。
  • 融通念仏縁起[国宝] 二巻 京都市 禅林寺出陳 紙本著色、藤原時代の末、大原の良忍が唱えた融通念仏の縁起を描いたもので土佐光信の筆と伝えています。
  • 桃山時代
  • 豊国祭図六曲屏風[国宝] 一双 京都市 豊国神社出陳 紙本著色、狩野内膳重卿筆、慶長9年(1604年)8月秀吉の七回忌にあたり豊国大明神で執行された臨時祭の光景を描いたものです。大和絵風の非常に細密な絵で、人物集団の様子を描いたところなど特に巧みです。
  • 調馬図六曲屏風[国宝] 一双 京都市 醍醐寺出陳 紙本著色、非常に細密な写生風の風俗画です。
  • 花卉図六曲屏風[国宝] 一双 京都市 妙心寺出陳
  • 三酸及寒山拾得図屏風[国宝] 一双 京都市 妙心寺出陳 両屏風とも紙本著色、海北友松の代表的作品で、いわゆる桃山芸術の長所を発揮しています。
  • 江戸時代
  • 風神雷神図二曲屏風[国宝] 一双 京都市 建仁寺出陳 紙本著色、野村宗達筆、金地に太い墨線と濃厚な岩絵具とをもって大胆に描いたもので前代の桃山芸術にも見ない豊麗な装飾画です。
  • 柏鷹蘆鷺図六曲屏風[国宝] 一双 京都市 大徳寺出陳 紙本墨甚、曽我二直庵の代表作です。
  • 中国絵
  • 瀑布図[国宝] 一幅 京都市 智積院出陳 絹本墨画、古くから唐の王維の筆と伝えていますが、栄元の間のものとして知られています。
  • 十六羅漢像[国宝] 十六幅 京都市 浦涼寺出陳 絹本著色、僧奝然が宋から将来したものと伝えていますが、北宋の末もしくは南宋の初めのものと見られています。
  • 五百羅漢像[国宝] 八十二幅の中二十幅 京都市 大徳寺出陳 絹本著色、南宋の周季常、林庭珪が淳熙5年に描いたもので羅漢画として古今の大作で、多数の構図にそれぞれ変化を見せ人物の描写も自由に委曲を尽しています。
  • 十六羅漢像[国宝] 十六幅の内八幅 京都市 高台寺出陳 絹本著色、泉涌寺の俊芿が鎌倉時代の建暦元年(1211年)に宋から帰朝の際に持ち帰ったものと伝わります。画は院画系で、類品のなかでも屈指のものです。
  • 十六羅漢像[国宝] 十六幅 京都市 相国寺出陳 絹本著色、陸信忠筆、南宋末の作で画法は従来の羅漢画と趣を異にし写実的で、羅漢は普通人のように表現され、画院の風が一転して「町絵」となろうとする傾向を示しています。
  • 浄土五祖像[国宝] 一幅 京都市 二尊院出陳 絹本著色、僧重源が宋から請来したものと伝わる南宋画です。
  • 不空三蔵像[国宝] 一幅 京都市 高山寺出陳 絹本著色、画風は写実的にして装飾趣味の勝ったものですが気品高く、筆法も確かで宋元人物画の偉彩です。
  • 釈迦文殊普賢像[国宝] 三幅 京都市 東福寺出陳 絹本著色、古くから呉道子の筆とされていますが、疑いもなく南宋時代のもので、顔面を精密に描きながら衣紋に至っては剛健な屈曲の多い描法を用いています。
  • 普賢菩薩像[国宝] 一幅 京都市 妙心寺出陳 絹本著色、馬麟の筆と伝わる南宋画です。
  • 二祖調心図[国宝] 一幅 京都市 正法寺出場 紙本墨画、石格の落款がありますがその真蹟については疑いがあります。その描法は水墨の滅筆によった折蘆描ともいうべき粗大な筆で大体は石格の様式を伝え、中国絵画史研究上貴重な作品です。
  • 観音猿鶴図[国宝] 三幅 京都市 大徳寺出陳 絹本墨画、牧渓筆、画法は大体淡墨で仕立てられ、濃淡の対照も激しくなくその筆致は極めて柔かく、天然の景物にしたがって自在に形を写し、その画趣は人をして自然の実相に反省させるものがあり、東洋画壇における名品として知られています。
  • 蝦蟇鉄拐図[国宝] 二幅 京都市 知恩寺出陳 絹本著色、顔輝筆、画法は人の描写が極めて写実的でひとつひとつ細筆で描き、体にはかすかな影さえも施しながら、衣帯を描くに至っては一転して太い線を用い、中国道釈人物画中有数の名画です。顔輝の作と伝わる作は日本に無数にありますが、真筆と疑いのないものはこの一点のみです。
  • 山水図[国宝] 二幅 京都市 金地院出陳 絹本著色、高然暉の筆と伝え、構図の雄大な中国山水画でいわゆる米点を用いる手法には、後世南画の発達を予想させるものがあり、元朝初期の一名品です。
  • 釈迦説法像[国宝] 一鋪 京都市 勧修寺出陳 これは刺繍ですが、唐朝仏画の様式を見るべきもので中国大陸の製作であることは明らかです。
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
勧修寺刺繍釈迦説法図(京都博物館) 妙心寺友松筆三酸図屏風(京都博物館)

令和に見に行くなら

名称
京都博物館
かな
きょうとはくぶつかん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
備考
現在の京都国立博物館です。
住所
京都府京都市東山区茶屋町527
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

三十三閒堂の北鄰にある。この博物館は社寺その他の什寶にして歷史、美術及美術工藝の參考となるべきものを受託して一般に觀覽せしむるため、我が帝室に於て設立されたのである。明治二十五年四月起工し、同二十八年十月竣工、同三十年五月一日より開館して京都帝室博物館と稱し、爾來一般の觀覽に供せられて居たが、大正十三年一月二十六日、皇太子殿下御成婚に際し、宮內省より京都市に下賜され、同年二月 日より恩賜京都博物館と改稱し、京都市經營の下に從來と同じ目的を以て開館されて居る。陳列館の總坪數は九百餘坪を有し、十七室に別れて居る。その陳列品は歷史部、美術部、美術工藝部の三部に分れ、各部の陳列品は更に種類によつて次の如く分類されて居る。

  • 歷部 圖書、古代遺品、祭祀宗敎に關する物品、武器、禮式風俗に關する物品、貨幣、度量衡、信印
  • 美術部 繪畫、書蹟、雕刻、建築
  • 美術工藝部 金屬品、窯製品、抹漆品、織縫品、玉石甲角竹木品、紙革品、寫眞竝圖繪
  • 陳列法は大體この分類に從つて陳列されて居る。

第八室 入口が裏にあるのでこの室が最初の室になつて居る。この室には甲冑、刀劍類が陳列され、その陳列品中嚴島神社出陳の國寶大鎧一領、八坂神社出陳の國寶山形造太刀三口、國寶盛光作大薙刀など特に注目すべきものである。

第六室 第八室から右手に向つて進むと特別觀覽室となつて居る第七室を經て達する。この室には各時代の歷史的遺物、茶器、樂器その他禮式風俗に關するものが陳列されて居るが、その中特に注意すべきものを左に列記する。

  • 小野毛人朝臣墓誌[國寶] 一枚 京都市 崇道神社出陳 金銅製、慶長十八年京都市上高野の小野毛人墓より發掘、丁丑年の銘文がある。丁丑は白鳳六年に當り昭和七年を距ること千二百五十六年前で毛人は小野妹子の男である。
  • 威奈眞人大村卿骨壺[國寶] 一口 大阪市 四天王寺出陳 金銅製、明和七年大和國﨟下郡馬場村穴蟲山開墾の際發掘 大村卿は越後城司で慶雲四年四月二十四日越後に於て卒しその遺骨はこの骨壺に納めて大和國葛城郡栢井山岡に葬られたのであつた。
  • 經筒 一個 京都府 鞍馬寺出陳 靑銅製、八角形で各面に法華經の題號と卷數が刻書されて居る。
  • 豐臣棄丸坐像[國寶] 一軀 京都府 鄰華院出陳 木造彩色。葉丸は盟臣秀吉の長子母は淺井長政の女(淀君)である。秀吉石河伊賀守を傳として愛育したが、僅に三歲で天正十九年八月五日に沒し、法名を祥雲院殿玉巖麟公神童と稱した。
  • 玩具船[國寶] 一個 京都市 玉鳳院出陳 木造彩色、棄丸所用と傳へ、殿中傅育の具に用ゐしものと云ふ。この他、棄丸所用と傳ふる小形の武具及倶利迦羅守刀があり、これ等も國寶になつて居る。

第五室 この室には裝束、舞樂に關する遺物神像類が陳列されて居る。神像中松尾神社出陳の男神坐像二軀、女神坐像一軀は何れも木造、平安時代の代表的神像で國寶に指定されて居る。

第四室 この室には優秀な蒔繪漆器類が陳列されて居る。

  • 唐草蒔繪經箱[國寶] 平安時代。一合 滋賀縣 延曆寺出陳
  • 一切繼唐櫃中蓋及小箱[國寶] 二個 名古屋市 七寺出陳 中蓋に釋迦十六善神の漆繪あり。藤原時代。
  • 說相箱[國寶] 一個 京都市 警願寺出陳 螺鈿模樣及金銅製龍の居文がある。鐮倉時代。
  • 蒔繪調度類[國寶] 十四種 京都市 高臺寺出陳 秀吉の夫人淺野氏(高臺院)が慶長十年高臺寺を建立した時に新調されたもので、その種類には椅子、歌書箪笥、手文庫、藥味壺、刀掛、掛盤、飯器捥、銚子、湯桶、天目臺、手拭掛、枕提燈などがある。その蒔繪は所謂高臺寺蒔繪の代表的なもので平蒔繪に屬して居る。特に膳部の如きは全體が厚金梨子地で湖畔の景を圖し桐の紋所を散らした豪華なるのである。
  • 堆朱盆[國寶] 一枚 京都市 龍翔寺出陳 背面に「張成造」の彫銘がある。模樣は椿と二羽の尾長鳥とを巧みに圓形中に收めたもので遒勁な刀法と相俟つて、高雅な趣致に富み江州來迎寺の同銘の香盆と共に我が國に存する堆朱器の尤物である。
  • 堆朱盆[國寶] 一枚 京都市 大仙院出陳 表面に牡丹、木芙蓉に雌雄の孔雀を配した圖を彫り、これにも底に「張成造」の針書がある。

第三室 この室には各地の陶磁器が陳列されて居る。その主なる種類には樂燒、仁淸、永樂、木米、道八、九谷燒等があり、左の諸品は特に注目すべきものである。

  • 靑磁鳳凰耳花甁[國寶] 一個 京都市 毘沙門堂出陳 銘、萬聲 この花甁は我國では昔から所謂天下一品として許されてきたもので、實に砧手靑磁の代表的名器である。
  • 色繪蓮華式香爐[國寶] 一個 京都市 法金剛院出陳 香爐全體の形は荷葉蓮華に基いて作られて居る。蓋の荷葉は靑く、身の蓮華は赤地に金條を入れ靑い緣がとつてあり、逆蓮形の臺は靑地に赤い緣をとつて金線で輪寶と唐草を描いて居る。全體の形態色調精妙絢爛にしてよく陶器の本質を發揮せる日本趣味の豐かな作品である。
  • 油滴及曜變天目茶碗[國寶] 二個 京都市 龍光院出陳

第二室 この室には金屬品染織類が陳列されて居るが左の諸品は特に注目すべきものである。

  • 獅子唐草毛彫鉢[國寶] 一個 岐阜縣 護國之寺出陳 金銅製、圓鐵鉢形で外面には魚子地に花を挾んで飛び狂ふ獅子の模樣が流麗な毛彫で現はされて居る。支那の唐朝或は我奈良朝の製作と見るべき傑作である。
  • 金銅琵琶[國寶] 一面 和歌山縣 丹生都比賣神社出陳 金銅槽に銅線の弦を張り、桿撥に竹に虎の圖を高影した極小形のもので實用品ではない。神社へ奉納するために作られたもので平政子奉納と傳へて居るが、それよりも後のもので鐮倉末期に屬する。
  • 鸞獸蒲萄鑑[國寶] 一面 愛媛縣 大山祇神社出陳 靑銅製、徑八寸八分、模樣頗る精緻にして唐時代の作である。
  • 金鼓[國寶] 一口 京都府 知恩寺出陳 至治二年十月十六日造成の銘がある。

第一室 この室には國寶の佛像彫刻類が三十餘軀陳列されて居る。

  • 二十八部衆立像[國寶] 八軀 京都市 妙法院出陳 これは三十三閒堂千手觀音の眷屬二十八部衆の內の八體で、運慶の作をその後湛慶が修理したことになつて居る。何れも木彫で全身に截金彩色を施した寫生風に富んだ鐮倉時代の傑作でこの室の偉觀である。
  • 五智如來坐像[國寶] 五軀 京都市 安祥寺出陳 五智如來と云ふのは大日、阿閦、寶生、彌陀及釋迦の五佛である。何れも木造、平安時代の作で、これも二十八部衆の諸像と相對し、頗る光輝を放つて居る。
  • 運慶湛慶坐像[國寶] 二軀 京都市六波羅密寺出陳 木造、各自作の像と傳へ鐮倉時代の寫生風に富んだ優秀な肖像彫刻である。
  • 僧形坐像[國寶] 一軀 京都市 六波羅密寺出陳 木造、平滿盛の像と傳へこれも頗る寫生風な個性の表現に富んだ鐮倉時代の作である。
  • 佛頭[國寶] 一箇 奈良縣 唐招提寺出陳 木心乾漆天平時代の作である。甚しく破損して居るがそのため卻つて乾漆を施した手法がよく判り、硏究者の好資料である。

第十六室 表玄關正面の室で彫刻の大物が陳列されて居る。

  • 阿彌陀如來來像[國寶] 一軀 京都市 萬壽寺出陳 彌陀の定印を結んだ定納式の巨大な木彫佛で藤原末期の作。
  • 金剛力士立像[國寶] 二軀 京都市 萬壽寺出陳 木造、鐮倉時代の優秀な作である。
  • 俱生神坐像[國寶] 一軀 京都府 寶積寺出陳 木造彩色、鐮倉時代の作である。
  • 闇黑童子半跏像[國寶] 一軀 京都府 寶積寺出陳 木造彩色、鐮倉時代の作である。

第九室より第十五室に至る各室は主として繪畫の陳列場に當てられて居るが、時々陳列替をなす外、臨時特別展覽會場にも當てられる。從つて殆ど全部撤回される場合もある。こゝにはこれ等各室の陳列繪畫を日本畫と支那畫に二大別し、日本畫はその主なるものを更に各時代に分類列記して說明を加へて置く。

  • 日本畫
  • 奈良時代
  • 過去現在因果經[國寶] 一卷 京都市 上品蓮臺寺出陳
  • 同上[國寶] 一卷 京都府 報恩院出陳
  • 兩卷とも黃麻紙で下段に經文を墨書し、その上段に經意を彩畫で描いた天平時代の作である。天平時代のものではあるが、畫法は極めて幼稚で、彩色にも專ら原色を用ゐて居るが、支那六朝時代の古風を傳へた頗る高雅な作である。
  • 平安時代
  • 眞言七祖像[國寶] 七幅 京都市 敎王護國寺出陳 絹本著色、眞言の七祖を等身大に描いたものである。七祖の中金剛智、善無畏、不空金剛、一行、慧果の五祖は唐の李眞の筆で、龍猛、龍智の二祖は空海の筆に成り、名號及行狀文もすべて空海の筆と傳へて居る。畫法は何れも一種の鐵線描とも云ふべき肥搜なき線を以て自由に人體を描寫して居る。平安朝初期に於ける唐畫の影響もその日本化を物語る貴重な遺品である。
  • 藤原時代
  • 釋迦金棺出現圖[國寶] 一幅 京都府 長法寺出陳 絹本著色、大涅槃に入つた釋尊がその母摩耶夫人のため再び金棺より身を起して法を說き人天ともに歡喜せる光景を描いたものである。構圖雄大描線は强く力があり、截金彩色の極めて豐麗なもので藤原時代佛畫の傑作である。
  • 不動明王二童子像[國寶] 一幅 京都市 靑蓮院出陳 絹本著色、高野の赤不動、三井の黃不動と共に名高くこの不動は靑身で劍索を執つて岩上に坐し二童子を從へて居る。身の靑色は淡々ともえ上る迦樓羅燄の赤色と相映じ頗る悲愴の氣を漂はして居るが、細部には藤原時代の優麗にして纖細な趣致が漲つて居る。
  • 仁王經曼荼羅[國寶] 一幅 京都市 醍醐寺出陳 絹本著色、仁王般若道場念誦儀軌に說く所を圖示したものである。寺では息災の曼荼羅と稱し醍醐僧正定海の筆と傳へ藤原末期の作である。
  • 閻魔天像[國寶] 一幅 京都市 觀智院出陳 絹本著色、寺傳に會理僧都の作と云ふも藤原時代後期の作で朱線の輪郭美しく、精巧な截金文樣と靑綠の華文を有し、優美鮮麗を極めて居る。
  • 孔雀明王像[國寶] 一幅 京都市 安樂壽院出陳 絹本著色、藤原時代の特色を示した作で衣には優美な華文を畫き、截金を置き或は銀泥を以て彩色を施し、小品ではあるが纖細な當代の趣味を代表して居る。
  • 平家奉納法華經口繪[國寶] 三十三卷の內十卷 廣島縣 嚴島神社出陳 紙本著色、法華經二十八卷の外に附隨の諸經と願文一卷が添へられて居る。願文は平淸盛が認めたもので、末に長寬二年九月とあり、始には仁安元年十一月十八日とある。卽ち、一は發顏の年で他は滿頭の年である。また經卷は平家一族閒で各一、二卷づゝ分擔して製作せられたものである。各卷その裝飾を異にして居るが、華美を極めたもの多く平家一門の榮華の程が偲ばれる。その華美を盡したものになると料紙を染めて各種の色の斑文を作り、或は種々の繪を描き、その上に金銀、綠靑を以て經文の字を書いたものもある。殊に欄外の天地は最も意匠を凝して裝飾して居る。見返は多く總銀地にして各種の色彩美しく大和繪の山水、人物または蘆手繪などを描き、その中には獨立した繪畫として優れたものも少くない。畫題は或は經文と關係し或は無關係であるが、貴族の生活を寫したものが殊に美しい。畫風は大和繪に屬し人物の描寫は所謂引目勾鼻式である。
  • 鐮倉時代
  • 源賴朝及平重盛畫像[國寶] 二幅 京都市 神護寺出陳 絹本著色、藤原隆信の筆と傳へ、本邦肖像畫中の巨擘である。畫法は極細線で顏を描き、墨で袍を塗り、色彩は太刀と平緖に金と朱靑を僅か點ずるに過ぎず、手法は寧ろ簡素であるが、氣品の高い鐮倉時代の作である。
  • 山水圖六曲屏風[國寶] 一雙 京都市 神護寺出陳 密敎潅頂の際に用ふる山水屏風である。その圖は藤原時代の貴族の家居、狩獵等を寫したもので、極彩色を用ひて頗る精密に描いた鐮倉初期の大和繪である。
  • 華嚴緣起[國寶] 六卷 京都市 高山寺出陳 紙本著色、頗る巧みな繪で活動的趣致に富んで居る。縱橫自在の描線を主とし彩色は簡單を旨として居る。
  • 矢田地藏緣起[國寶] 二卷 京都市 矢田寺出陳 紙本著色、鐮倉中期以後の作で、彩色が特によく保存されて居るのが珍しい。
  • 一遍上人繪傳[國寶] 十二卷 京都市 歡喜光寺出陳 絹本著色、一遍上人一代の事蹟を畫いたもので卷末に「正安元年巳亥八月二十三日、西方行人聖誠記之畢、畫圖法眼圓伊外題三品經尹卿筆云々」とある。畫材には山水自然の景多く、その筆致は大體に於て大和繪流であるが、往々新來の漢畫法を攝取して自由に騙使して居る。筆者圓伊の名はこの繪卷によつてのみその名を不朽に傳へ、他に何等傳記の徵すべきものがない。
  • 法然上人繪傳[國寶] 四十八卷 京都市 知恩院出陳 紙本著色、法然上人源空の繪傳である。筆者を土佐吉光と傳へて居るが、數人の筆になつた事は明で、初めの二三卷が殊に優れて居る。現存繪卷中最も浩瀚なもので、また後の大和繪の畫風を一定せしものとして注意されて居る。
  • 山越阿彌陀及地獄極樂圖二曲屏風[國寶] 三枚 京都市 金戒光明寺出陳 絹本著色、三枚一組の屏風仕立で、中央の屏風は三枚折、左右は二枚折の屏風で高さ各三尺四寸八分ある。中央の屏風には阿彌陀三尊が綠滴たゝる嶺峰中より半身を現はした尊容を描き、左右の屏風には地獄極樂及往生の諸相を現はして居る。三尊は金色に輝き、衣には細密な截金彩色が施され、構圖は頗る說明的で、鐮倉時代に描かれた山越阿彌陀像の代表的遺作である。
  • 室町時代
  • 五百羅漢圖[國寶] 四十五幅 京都市 東福寺出陳 絹本著色、東福寺の僧明兆の筆である。一幅に十羅漢づゝ五十幅を描いたものであるが、今四十五幅を殘して居る。圖樣は全く宋畫に基いたものである。
  • 瓢鮎圖[國寶] 一幅 京都市 退藏院出陳 紙本著色、將軍義滿が僧如拙をして描かしめたもので詩僧三十餘名の題語がある。畫は所謂宋元墨畫式に描かれ、彩色には僅かに淡黃色が用ひられて居るのみである。
  • 夏冬山水圖[國寶] 二幅 京都市 曼殊院出陳 紙本墨畫、雪舟筆、一は雪景を他は夏景を描いたもので、構想雄大、筆致確實にして雪舟の名に背かざる名品である。
  • 樓閣山水圖[國寶] 一幅 京都市 金地院出陳 元信の印があり元信の筆と信ぜられるものである。墨色を主とし淡彩を雜へ、筆致頗る剛健にしてよく馬遼、夏珪の正しい骨法を示して居る。
  • 花鳥圖[國寶] 八幅 京都市 大仙院出陳 紙本著色、大德寺中の大仙院の襖張附繪であつたが、掛幅に改裝されたものである、室町時代漢畫家の筆になつたもので元信の筆と傳へて名高い。この他相阿彌の筆と傳ふる山水圖二十幅、及元信の弟、之信の筆と傳ふる四季耕作圖八幅も同じく大仙院の襖繪を掛幅に改裝して當館に出陳されて居る。
  • 山水花鳥圖[國寶] 四十幅の內十六幅 京都市 靈雲院出陳 紙本墨畫、元信筆、もと妙心寺中靈雲院の書院を飾つた襖繪を掛幅に改めたもので技巧頗る變化に富み元信の傑作として知られて居る。
  • 松鷹圖[國寶] 雙幅 京都市 曼殊院出陳 紙本墨畫、雪村筆、雪村畫中の傑作として知られて居る。
  • 融通念佛緣起[國寶] 二卷 京都市 禪林寺出陳 紙本著色、藤原時代の末、大原の良忍が唱へた融通念佛の緣起を描いたもので土佐光信の筆と傳へて居る。
  • 桃山時代
  • 豐國祭圖六曲屏風[國寶] 一雙 京都市 豐國神社出陳 紙本著色、狩野內膳重卿筆、慶長九年八月秀吉の七回忌に當り豐國大明神で執行された臨時祭の光景を描いたものである。大和繪風の頗る細密な繪で、人物集團の狀を描ける所など特に巧みである。
  • 調馬圖六曲屏風[國寶] 一雙 京都市 醍醐寺出陳 紙本著色、頗る細密な寫生風の風俗畫である。
  • 花卉圖六曲屏風[國寶] 一雙 京都市 妙心寺出陳
  • 三酸及寒山拾得圖屏風[國寶] 一雙 京都市 妙心寺出陳 兩屏風とも紙本著色、海北友松の代表的作品で、所謂桃山藝術の長所を發揮して居る。
  • 江戶時代
  • 風神雷神圖二曲屏風[國寶] 一雙 京都市 建仁寺出陳 紙本著色、野村宗達筆、金地に太い墨線と濃厚な岩繪具とを以て大膽に描いたもので前代の桃山藝術にも見ない豐麗な裝飾畫である。
  • 柏鷹蘆鷺圖六曲屏風[國寶] 一雙 京都市 大德寺出陳 紙本墨甚、曾我二直庵の代表作である。
  • 支那繪
  • 瀑布圖[國寶] 一幅 京都市 智積院出陳 絹本墨畫、古くから唐の王維の筆と傳へて居るが、榮元の閒のものとして知られて居る。
  • 十六羅漢像[國寶] 十六幅 京都市 浦涼寺出陳 絹本著色、僧奝然が宋から將來したものと傳へて居るが、北宋の末若しくは南宋の初めのものと見られて居る。
  • 五百羅漢像[國寶] 八十二幅の中二十幅 京都市 大德寺出陳 絹本著色、南宋の周季常、林庭珪が淳熙五年に描いたもので羅漢畫として古今の大作で、多數の構圖にそれぞれ變化を見せ人物の描寫も自由に委曲を盡して居る。
  • 十六羅漢像[國寶] 十六幅の內八幅 京都市 高臺寺出陳 絹本著色、泉涌寺の俊芿が建曆元年に宋より歸朝の際將來せるものと傳ふ。畫は院畫系にし、類品中屈指のものである。
  • 十六羅漢像[國寶] 十六幅 京都市 相國寺出陳 絹本著色、陸信忠筆、南宋末の作で畫法は從來の羅漢畫と趣を異にし寫實的で、羅漢は普通人の如く表現せられ、畫院の風が一轉して「町繪」とならんとする傾向を示して居る。
  • 淨土五祖像[國寶] 一幅 京都市 二尊院出陳 絹本著色、僧重源が宋より請來せしものと傳ふる南宋畫である。
  • 不空三藏像[國寶] 一幅 京都市 高山寺出陳 絹本著色、畫風は寫實的にして裝飾趣味の勝つたものであるが氣品高く、筆法も確かで宋元人物畫の偉彩である。
  • 釋迦文殊普賢像[國寶] 三幅 京都市 東福寺出陳 絹本著色、古くから吳道子の筆と稱して居るが、疑もなく南宋時代のもので、顏面を精密に描きながら衣紋に至つては剛健な屈曲の多い描法を用ゐて居る。
  • 普賢菩薩像[國寶] 一幅 京都市 妙心寺出陳 絹本著色、馬麟の筆と傳ふる南宋畫である。
  • 二祖調心圖[國寶] 一幅 京都市 正法寺出場 紙本墨畫、石格の落款があるがその眞蹟については疑を存して居る。その描法は水墨の滅筆によつた折蘆描とも云ふべき粗大な筆で大體は石格の樣式を傳へ、支那繪畫史硏究上貴重な作品である。
  • 觀音猿鶴圖[國寶] 三幅 京都市 大德寺出陳 絹本墨畫、牧溪筆、畫法は大體淡墨で仕立てられ、濃淡の對照甚しからずその筆致極めて柔かく、天然の景物に從つて自在に形を寫し、その畫趣たるや人をして自然の實相に反省せしむるものがあり、東洋畫壇に於ける名品として知られて居る。
  • 蝦蟇鐵拐圖[國寶] 二幅 京都市 知恩寺出陳 絹本著色、顏輝筆、畫法は人體を寫すことに於て極めて寫實的で一々細筆を以て描き、肉體には暈翳をさへ施しながら、衣帶を畫くに至つては一轉して太い線を用ゐ、支那道釋人物畫中有數の名畫である。顏輝の作と傳ふる作は我國に無數にあるが、眞筆疑なきものはこの一點あるのみである。
  • 山水圖[國寶] 二幅 京都市 金地院出陳 絹本著色、高然暉の筆と傳へ、構圖の雄大な支那山水畫で所謂米點を用ゐる手法には、後世南畫の發達を豫想せしむるものがあり、元朝初期の一名品である。
  • 釋迦說法像[國寶] 一鋪 京都市 勸修寺出陳 これは刺繍であるが、唐朝佛畫の樣式を見るべきもので支那大陸の製作たるは明かである。

洛東・東山のみどころ