建仁寺

建仁寺[臨濟宗建仁寺派大本山]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電四条大和大路下車、建仁寺通町にあります。

栄西禅師が中国から帰って、鎌倉時代の建仁2年(1202年)に創建した寺で、日本の禅宗の発祥地として有名です。人家が密集するなかにあって幾度か火災に罹り、往時の偉観はありませんが、壮大な仏堂をもち、鎌倉時代の勅使門、室町時代の方丈など、昔時を偲ぶことができるものが少なくありません。

勅使門[国宝] 鎌倉時代の建築で俗に矢の門とも呼ばれます。四脚門で屋根切妻造桟瓦葺の建築で、その構造様式は純然とした唐様に属し、六波羅第から移建したものと伝えています。

仏殿 勅使門の次に三門があり、その奥にあります。七間六面、重層、入母屋造、本瓦葺、江戸時代宝暦年間(1751~1764年)の建築です。

方丈[国宝] 仏殿の北にあります。もと室町時代に足利尊氏が建立した安芸国安国寺の方丈でしたが、元禄年間(1688~1704年)東福寺に移され、後さらにここに移したものと伝えています。桁行十五間、梁間十一間、単層の大宇で室町時代方丈建築の遺構です。前面および側面に幅広き廻椽を設け、内部各室は畳敷で、その仕切の襖には優秀な絵画が描かれています。

襖画[国宝] 襖画の画題によって、竹林七賢の間、花鳥の間、琴棋書画の間、雲竜の間などに分かれ、その筆者を海北友松と伝えています。七賢の図のようなものは友松式の袋人物をもって描かれ、巨大な水墨の筆が縦横に振るわれています。琴棋書画の図は構図が特に謹厳で、これだけ淡彩が施されています。また雲竜に至っては彼に見る特意の筆致がうかがわれます。

  • 宝物
  • 風神雷神像[国宝] 二曲屏風一双 金地著色、伝宗達筆
  • 十六羅漢像[国宝] 絹本著色 十六幅
  • 以上いずれも京都博物館出陳
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
建仁寺
かな
けんにんじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町584
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電四條大和大路下車、建仁寺通町にある。

榮西禪師が支那から歸つて、建仁二年に創建した寺で、本邦禪宗の發祥地として有名である。人家稠密の閒にあつて幾度か火災に罹り、往時の偉觀は無いが、壯大な佛堂を有し、鐮倉時代の敕使門、室町時代の方丈など、昔時を偲ぶべきものが少くない。

敕使門[國寶] 鐮倉時代の建築で俗に矢の門とも稱して居る。四脚門で屋根切妻造棧瓦葺の建築で、その構造樣式は純然たる唐樣に屬し、六波羅第より移建したものと傳へて居る。

佛殿 敕使門の次に三門があり、その奧にある。七閒六面、重層、入母屋造、本瓦葺、江戶時代寶曆年閒の建築である。

方丈[國寶] 佛殿の北にある。もと室町時代に足利尊氏が建立した安藝國安國寺の方丈であつたが、元祿年閒東福寺に移され、後更にこゝに移したものと傳へて居る。桁行十五閒、梁閒十一閒、單層の大宇で室町時代方丈建築の遺構である。前面及側面に幅廣き廻椽を設け、內部各室は疊敷で、その仕切の襖には優秀な繪畫が描かれて居る。

襖畫[國寶] 襖畫の畫題によつて、竹林七賢の閒、花鳥の閒、琴棋書畫の閒、雲龍の閒などに分たれ、その筆者を海北友松と傳へて居る。七賢の圖の如きは友松式の袋人物を以て描かれ、巨大な水墨の筆が縱橫に揮はれて居る。琴棋書畫の圖は構圖特に謹嚴で、これのみに淡彩が施されて居る。また雲龍に至つては彼に見る特意の筆致が窺はれる。

  • 寶物
  • 風神雷神像[國寶] 二曲屏風一雙 金地著色、傳宗達筆
  • 十六羅漢像[國寶] 絹本著色 十六幅
  • 以上何れも京都博物館出陳

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