大覚寺

大覺寺[眞言宗大覺寺派本山]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

嵯峨駅の北約1km、愛宕電車釈迦堂下車北へ約0.5km、嵯峨町にあります。

この地はもと嵯峨天皇の離宮のあったところですが、平安時代の貞観18年(876年)離宮を改めて仏寺とし、淳和天皇第二の皇子恒寂法親王を開祖とし寺号を大覚寺としました。その後代々法親王をもって相承し、あるいは天皇が出家された後ここに遷られた例もあります。

現存の諸堂の主なものには御影堂、心経奉安殿、本堂、客殿および宸殿等があり、客殿は桃山時代、宸殿は江戸初期の建築ですが、その他はいずれもその後のもので、殿舎の拝観をすることができます。

客殿[国宝] 対面所あるいは正宸殿とも称し、桁行前面七間、後面八間、梁間四間、単層入母屋造、檜皮葺、桃山時代の大建築です。内部はすべて畳敷で御冠の間、紅葉の間、竹の間、雪の間、鷹の間、山水の間等に分かれ、その室内装飾は桃山時代の華麗高雅な趣味をよく発揮しています。特に御冠の間は最も見るべきもので、狩野元信筆とされる遠山山水を描いた貼付絵があり、また古風な帳台飾があります。その框に施された桐、竹、鳳凰の蒔絵は嵯峨蒔絵と呼ばれ名高く、その作は優秀にして、時代は桃山より古く室町時代の作と思われます。

宸殿[国宝] 寺伝には延宝年間(1673~1681年)後水尾上皇の御下賜とされています。九間五面、単層、屋根入母屋造、桟瓦葺の建築で、その様式から見ると、江戸初期寛永頃の建造と思われます。内部の装飾は客殿と同様桃山風の豪華なもので、特に中央の広間の襖には金地に大きな牡丹を極彩色で描き、筆者を山楽と伝えています。その他柳松の間、紅梅の間等にも金地に濃彩の襖絵があり、また裏側の探幽の筆と伝わる襖絵には、竹と鶴が水墨で描かれていて、いずれも壮麗高雅な優れたものです。

毎年5月1日の愛宕祭には、古来愛宕神社の神輿をこの宸殿前に据えて僧侶の読経が催されます。

  • 宝物
  • 五大明王像[国宝] 木造 鎌倉時代 五体
  • 五大虚空蔵像[国宝] 一幅 絹本著色 藤原末期 東京帝室博物館出陳
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
大覚寺襖絵 大覚寺境内平面図

令和に見に行くなら

名称
大覚寺
かな
だいかくじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市右京区嵯峨大沢町4
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

嵯峨驛の北約一粁、愛宕電車釋迦堂下車北へ約半粁、嵯峨町にある。

この地はもと嵯峨天皇の離宮のあつた所であるが、貞觀十八年離宮を改めて佛寺となし、淳和天皇第二の皇子恆寂法親王を開祖とし寺號を大覺寺と稱した。その後代々法親王を以て相承し、或は天皇落飾後こゝに遷御あらせられた例もある。

現存諸堂の主なるものには御影堂、心經奉安殿、本堂、客殿及宸殿等があり、客殿は桃山時代、宸殿は江戶初期の建築であるが、その他は何れもその後のもので、殿舍の拜觀を許して居る。

客殿[國寶] 對面所或は正宸殿とも稱し、桁行前面七閒、後面八閒、梁閒四閒、單層入母屋造、檜皮葺、桃山時代の大建築である。內部は總て疊敷で御冠の閒、紅葉の閒、竹の閒、雪の閒、鷹の閒、山水の閒等に別れ、その室內裝飾は桃山時代の華麗高雅な趣味をよく發揮して居る。殊に御冠の閒は最も見るべきもので、狩野元信筆と稱する遠山山水を描ける貼付繪があり、また古風な帳臺飾がある。その框に施された桐、竹、鳳凰の蒔繪は嵯峨蒔繪と稱して名高く、その作優秀にして、時代は桃山より古く室町時代の作と思はれる。

宸殿[國寶] 寺傳には延寶年閒後水尾上皇の御下賜と稱して居る。九閒五面、單層、屋根入母屋造、棧瓦葺の建築で、その樣式から見ると、江戶初期寬永頃の建造と思はれる。內部の裝飾は客殿と同樣桃山風の豪華なもので、殊に中央の廣閒の襖には金地に大なる牡丹を極彩色で描き、筆者を山樂と傳へて居る。その他柳松の閒、紅梅の閒等にも金地に濃彩の襖繪があり、また裏側の探幽の筆と傳ふる襖繪には、竹と鶴が水墨で描かれて居り、何れも壯麗高雅賞すべきものである。

每年五月一日の愛宕祭には、古來愛宕神社の神輿をこの宸殿前に据ゑて僧侶の讀經が催される。

  • 寶物
  • 五大明王像[國寶] 木造 鐮倉時代 五軀
  • 五大虛空藏像[國寶] 一幅 絹本著色 藤原末期 東京帝室博物館出陳

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