神護寺

高雄神護寺[古義眞言宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

嵐山電車高雄口の西北6kmあまり、右京区梅ヶ畑高尾町、高雄山景勝の地にあり、自動車の便があります。

神護寺は和気清麿の創建になり、もと河内国にあったものを平安時代の天長元年(824年)この地に移し、弘法大師もここに住んだことがあると伝えています。その後は長く頽廃していましたが、寿永元年(1182年)になって文覚上人がこれを再興して非常に隆盛に向かいました。現存の堂宇で最古の建造物は大師堂で、藤原時代の建造となり、本堂、五大堂および山門はいずれも江戸時代の再建です。

大師堂[国宝] 納涼房と呼ばれ、仁安3年(1168年)の建立で、後に豊臣秀吉が改築したといいます。桁行左側四間右側五間、梁間三間、単層入母屋杮葺、屋根の勾配緩く、軒に反りがあり、その形態は非常に優美です。柱は面取の方柱を建て、舟肘木を用い、柱間には蔀戸唐戸を用い、建立当時の形式を多分に伝え、寝殿造の風を残しています。

内陣には板彫の弘法大師像が安置されています。その像は右に五鈷、左に珠数を執って礼盤上に坐した普通の姿ですが、これを板面に半肉彫とし彩色したのは珍らしいものです。これは鎌倉時代の正安4年(1302年)仏師法眼定善が土佐金剛頂寺のものを模作したものに、法眼円順が彩色を加えたと伝えています。

本堂 江戸時代元和年間(1615~1624年)の再建で、五間五面入母屋造桟瓦葺の建築、本尊薬師三尊は平安時代の傑作で、国宝に指定されています。

五大堂 三間三面入母屋造の建築で、堂内には国宝の五大虚空蔵菩薩および薬師如来の諸像が安置されています。薬師の像は高さ約60cm、乾漆仏で説法の印を結んだ平安初期の優秀な作です。五大虚空蔵菩薩は5体とも木造の坐像で、高さ約91cm、胡粉彩色を施し、女性的美貌を備えた平安時代の優秀な作です。

銅鐘[国宝] 境内の鐘楼にかかっています。高さ186cm、口径78cm、古来三絶の鐘と呼ばれ、日本の梵鐘のなかで最も著名なもののひとつで、鋳出銘によると貞観17年(875年)和気彜範が志我部海継に命じて鋳造させたものです。またその銘文は管原是善の作で、それを書いたのは藤原敏行です。このような詩文の筆蹟に当時第一流の名家を起用していることで名高い。

高雄山はまた紅葉で名高く、とりわけ本堂の奥にある地蔵院から見た景色は当山第一といわれ、清滝川を深く見下した渓谷の紅葉美は真に見事です。

  • 宝物
  • 昆沙門天像[国宝] 一体 木造彩色、非常に華かな甲冑武者の姿を備えた藤原末期の精巧な佳作で、方丈内に安置されています。
  • 神護寺絵図[国宝] 寛喜二年、紙本墨書 一鋪
  • 高山寺絵図[国宝] 寛喜二年、紙本墨書 一鋪
  • 寺領絵図[国宝] 紙本墨書 四鋪
  • 次の宝物は京都博物館出陳
  • 十二天像[国宝] 絹本著色 十二幅
  • 山水図六曲屏風[国宝] 絹本著色 一双
  • 源頼朝外三人肖像[国宝] 絹本著色 伝藤原隆信筆 四幅
  • 両界曼荼羅図[国宝] 紫綾金銀泥絵伝弘法大師筆 二幅
  • 足利義持像[国宝] 絹本著色 応永廿一季怡雲和尚賛 一幅
  • 二荒山碑文[国宝] 紙本墨書 伝弘法大師筆 一巻
  • 文覚四十五箇条起請文[国宝] 一巻 紙本墨書、中山忠親筆 後白河天皇宸筆御跋
  • 文覚上人書状案[国宝] 紙本墨書 一巻
  • 神護寺略記[国宝] 紙本墨書 一巻
  • 潅頂歴名[国宝] 紙本墨書 弘法大師筆 一巻
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
高尾

令和に見に行くなら

名称
神護寺
かな
じんごじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市右京区梅ヶ畑高雄町5
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

嵐山電車高雄口の西北六粁餘、右京區梅ケ畑高尾町、高雄山景勝の地にあり、自動車の便がある。

神護寺は和氣淸麿の創建にかゝり、もと河內國にあつたのを天長元年この地に移し、弘法大師もこゝに住したことがあると傳へて居る。その後年久しく頽廢して居たが、壽永元年に至り文覺上人がこれを再興して頗る隆盛に赴いた。現存諸堂中最古の建造物は大師堂で、藤原時代の建造にかゝり、本堂、五大堂及山門は何れも江戶時代の再建である。

大師堂[國寶] 納涼房と稱し、仁安三年の建立で、後豐臣秀吉が改築したと云ふ。桁行左側四閒右側五閒、梁閒三閒、單層入母屋杮葺、屋根の勾配緩く、軒に反を有し、その形態頗る優美である。柱は面取の方柱を建て 舟肘木を用ゐ、柱閒には蔀戶唐戶を用ゐ、建立當時の形式を多分に傳へ、寢殿造の風を遺存して居る。

內陣には板彫の弘法大師像が安置されて居る。その像は右に五鈷、左に珠數を執つて禮盤上に坐した普通の姿であるが、これを板面に半肉彫とし彩色したのは珍らしい。これは正安四年佛師法眼定善が土佐金剛頂寺のものを模作したものに、法眼圓順が彩色を加へたと傳へて居る。

本堂 江戶時代元和年閒の再建で、五閒五面入母屋造棧瓦葺の建築、本尊藥師三尊は平安時代の傑作で、國寶に指定されて居る。

五大堂 三閒三面入母屋造の建築で、堂內には國寶の五大虛空藏菩薩及藥師如來の諸像が安置されて居る。藥師の像は高約二尺、乾漆佛で說法の印を結んだ平安初期の優秀な作である。五大虛空藏菩薩は五軀とも木造の坐像で、高約三尺、胡粉彩色を施し、女性的美貌をそなへた平安時代の優秀な作である。

銅鐘[國寶] 境內の鐘樓にかゝつて居る。高四尺九寸二分、口徑二尺五分、古來三絕の鐘と稱し、我が國梵鐘中最も著名なものゝ一で、鑄出銘によると貞觀十七年和氣彜範が志我部海繼に命じて鑄造せしめたものである。またその銘文は管原是善の作にかゝり それを書いたのが藤原敏行である。かくの如く詩文に筆蹟に當時第一流名家の手を煩はして居るので名高い。

高雄山はまた紅葉で名高く、わけても本堂の奧なる地藏院から見た景色は當山第一と云はれ、淸瀧川を深く見下した溪谷の紅葉美は眞に美事である。

  • 寶物
  • 昆沙門天像[國寶] 一軀 木造彩色、頗る華かな甲冑武者の姿を備へた藤原末期の精巧なる佳作で、方丈內に安置されて居る。
  • 神護寺繪圖[國寶] 寬喜二年、紙本墨書 一鋪
  • 高山寺繪圖[國寶] 寬喜二年、紙本墨書 一鋪
  • 寺領繪圖[國寶] 紙本墨書 四鋪
  • 左記の寶物は京都博物館出陳
  • 十二天像[國寶] 絹本著色 十二幅
  • 山水圖六曲屏風[國寶] 絹本著色 一雙
  • 源賴朝外三人肖像[國寶] 絹本著色 傳藤原隆信筆 四幅
  • 兩界曼荼羅圖[國寶] 紫綾金銀泥繪傳弘法大師筆 二幅
  • 足利義持像[國寶] 絹本著色 應永廿一季怡雲和尙贊 一幅
  • 二荒山碑文[國寶] 紙本墨書 傳弘法大師筆 一卷
  • 文覺四十五箇條起請文[國寶] 一卷 紙本墨書、中山忠親筆 後白河天皇宸筆御跋
  • 文覺上人書狀案[國寶] 紙本墨書 一卷
  • 神護寺略記[國寶] 紙本墨書 一卷
  • 潅頂歷名[國寶] 紙本墨書 弘法大師筆 一卷

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