龍安寺の庭園

※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

嵐山電車竜安寺の北約1km、花園竜安寺の方丈に附属する庭園で、衣笠山西南山腹の台地にあります。竜安寺は文治の頃藤原実能の別業でしたが、後文明5年細川勝元これを譲り受け、日峯を請じて建立したものです。文明年中勝元ここに住し今方丈のある位置は当時書院のあったところと伝えられています。寛政年中火災に罹り堂宇悉く焼失、現存のものはその後の再建です。

この庭園は勝元在住当時に建造されたもので、相阿弥の作と伝え、堂宇火災の際にも変異を受けなかつたと称しています。庭園の形状は長方形をなし、東西約三一m、南北約一五m、南前より西に亙り高さ約二mの低い築地塀が取り廻され、正面塀の外に松林があります。庭面は全体に白砂を敷き砂上には十五個の石が散在的に置かれています。園内は砂と岩石のほかに一本の樹木も無いが、遠望の外景を領する点において特殊の風致を呈し、非常に気品の高いものがあります。この庭に対して虎子渡の称があります。それは細川勝元を後漢の劉昆に比してその徳を頌し、石を虎に敷砂を河に擬し、親虎が仔虎を率いて河を渡る有様を現したものといいます。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
龍安寺庭園

令和に見に行くなら

名称
龍安寺の庭園
かな
りょうあんじのていえん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市右京区龍安寺御陵下町13
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

嵐山電車龍安寺の北約一粁、花園龍安寺の方丈に附屬せる庭園で、衣笠山西南山腹の臺地にある。龍安寺は文治の頃藤原實能の別業であつたが、後文明五年細川勝元これを讓り受け、日峯を請じて建立したものである。文明年中勝元こゝに住し今方丈のある位置は當時書院のあつた所と傳へられて居る。寬政年中火災に罹り堂宇悉く燒失、現存のものはその後の再建である。

この庭園は勝元在住當時に建造されたもので、相阿彌の作と傳へ、堂宇火災の際にも變異を受けなかつたと稱して居る。庭園の形狀は長方形をなし、東西約三一米、南北約一五米、南前より西に亙り高さ約二米の低い築地塀が取り廻され、正面塀の外に松林がある。庭面は全體に白砂を敷き砂上には十五個の石が散在的に置かれて居る。園內は砂と岩石の外に一本の樹木も無いが、遠望の外景を領する點に於て特殊の風致を呈し、頗る氣品の高いものがある。この庭に對して虎子渡の稱がある。それは細川勝元を後漢の劉昆に比してその德を頌し、石を虎に敷砂を河に擬し、親虎が仔虎を率ゐて河を渡る有樣を現はしたものと云ふ。

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