清涼寺(釈迦堂)

淸涼寺(釋迦堂)[淨土宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

嵯峨駅の西北0.5km、また愛宕山電鉄釈迦堂下車、嵯峨町にあります。この地はもと嵯峨天皇の離宮の一部で、皇子源融公が山荘を営み、栖霞観と名づけ、後これを仏寺として棲霞寺と称しました。その後南都東大寺の僧奝然が、平安時代の永延元年(987年)宋から釈迦像を将来し、ここに精舎を建てて安置しようとしましたが果たせず亡くなりました。弟子の盛算その遺志を継いでこれを果たし、五台山清涼寺と号したものです。

釈迦如来立像[国宝] 本堂安置の本尊にして奝然の将来とされ、三国伝来とも称する有名な木彫の釈迦像です。その形式は従来日本では見なかった異相で、清涼寺式と称されています。この像が一度日本へ伝えられてから模造するもの多く、その分布は近畿はもちろん東北地方にもおよび、その時代は藤原末から鎌倉のものが少なくありません。なお本尊のそばには国宝十大弟子の立像が安置されています。鎌倉時代の木彫です。

  • 宝物
  • 地蔵菩薩立像[国宝] 木造 一体
  • 釈迦堂縁起[国宝] 伝元信筆 紙本著色 六巻
  • 融通念仏縁起[国宝] 伝土佐行秀外五名筆 紙本著色 二巻
  • 十六羅漢像[国宝] 絹本著色 十六体 京都博物館出陳
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
清涼寺釈迦像

令和に見に行くなら

名称
清涼寺(釈迦堂)
かな
せいりょうじ(しゃかどう)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

嵯峨驛の西北半粁、また愛宕山電鐵釋迦堂下車、嵯峨町にある。この地はもと嵯峨天皇の離宮の一部で、皇子源融公が山莊を營み、棲霞觀と名づけ、後これを佛寺として棲霞寺と稱した。その後南都東大寺の僧奝然が、永延元年宋より釋迦像を將來し、こゝに精舍を建てゝ安置せんとしたが果さずして遷化した。弟子盛算その遺志を繼いでこれを果し、五臺山淸涼寺と號したのである。

釋迦如來立像[國寶] 本堂安置の本尊にして奝然の將來と稱し、一にまた三國傳來とも稱する有名な木彫の釋迦像である。その形式は從來我が國では見なかつた異相で、淸涼寺式と稱されて居る。この像が一度我が國へ傳へられてから模造するもの多く、その分布は近畿は勿論東北地方にも及び、その時代は藤原末から鐮倉のものが少くない。尙本尊の傍には國寶十大弟子の立像が安置されて居る。鐮倉時代の木彫である。

  • 寶物
  • 地藏菩薩立像[國寶] 木造 一軀
  • 釋迦堂緣起[國寶] 傳元信筆 紙本著色 六卷
  • 融通念佛緣起[國寶] 傳土佐行秀外五名筆 紙本著色 二卷
  • 十六羅漢像[國寶] 絹本著色 十六軀 京都博物館出陳

洛西・嵐山のみどころ