大悲閣千光寺
大悲閣
昭和初期のガイド文
渡月橋から戸難瀬滝の畔を経て、西0.5kmにあります。芭蕉の句「花の山二町上れば大悲閣」を刻した碑のあるところから、石の路を約200m登ったところです。閣は千光寺(黄檗宗)といい、本尊は千手観音で、脇壇に角倉了以の木像があります。了以は江戸時代前期の慶長10年(1605年)大堰川の岩石を除去して、丹波の保津村から舟筏を通れるようにした水利家で、閣前に林羅山の撰文による石碑があります。閣上からの眺望は非常によく、遠く京洛の街並みを望み、近く山下に紺碧の流れを見下ろすことができます。
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 大悲閣千光寺
- かな
- だいひかくせんこうじ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 京都府京都市西京区嵐山中尾下町62
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
渡月橋から戶難瀨瀧の畔を經て、西半粁にある。芭蕉の句「花の山二町上れば大悲閣」を刻せる碑のある所から、石逕を登ること約二〇〇米。閣は千光寺(黃檗宗)と云ひ、本尊は千手觀音で、脇壇に角倉了以の木像がある。了以は慶長十年大堰川の岩石を除去して、丹波の保津村から舟筏を通ぜしめた水利家で、閣前に林羅山の撰文に係る石碑がある。閣上からの眺望は甚だよく、遠く京洛の街衢を望み、近く山下に紺碧の流潭を瞰下される。