天龍寺

天龍寺[臨濟宗天龍寺派大本山]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

山陰本線嵯峨駅の西1km、嵐山電車嵐山下車、嵯峨にあります。

夢窓国師が足利尊氏に勧めて後醍醐天皇の冥福を祈るために創建したもので、その寺域はもと後亀山および後嵯峨二上皇の仙宮のあったところです。応仁の兵火に遭い、その後またしばしば火災に罹り、堂宇はすべて焼失しましたが、明治年間(1868~1912年)に法堂、本殿、方丈等が再建され、やや旧観を取り戻すに至りました。

庭園[指定史蹟・名勝] 天龍寺創建の時に築造されたもので、大体において今なおその原形を残しています。前庭と内庭に分かれ、前庭は総門前の広場と総門を入って本堂所在の台地、唐門の下に至る地区で、その範を中国寺院園地の態型にとったものです。内庭は自然型の泉水園で、その主要部は方丈の背後にあたっています。亀山を取り入れ、その脚下にある池は創設当時の曹源池で、山脚によって滝を懸け、北岸に近く小島を置き橋を渡し、東岸に出島を延べ、南には小岬を出し、池中には数個の浮石が立てられています。なお庭は北方書院から茶室集端軒の前にまで続いて置石配樹が見られます。山は下方にシイ、カシが高く立ち、上方には松が繁茂し、池面に映じて清邃優雅の気分を生じ、室町初期に作造された山水園として名高いものです。

  • 宝物
  • 夢窓国師像[国宝] 絹本著色 比丘徳済 一幅
  • 夢窓国師像[国宝] 絹本著色 暦応庚辰仲秋自賛 一幅
  • 清涼法眼禅師像[国宝] 絹本著色 一幅
  • 雲門大師像[国宝] 絹本著色 一幅
  • 釈迦如来坐像[国宝] 木像 一体
  • 遮那院御領絵図[国宝] 紙本墨書 一鋪
  • 往古諸卿館地之絵図[国宝] 紙本墨書 一鋪
  • 応永鈞命絵図[国宝] 紙本著色 一鋪
  • 観世音菩薩像[国宝] 絹本著色 一幅 東京帝室博物館出陳
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
天龍寺庭園

令和に見に行くなら

名称
天龍寺
かな
てんりゅうじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

山陰本線嵯峨驛の西一粁、嵐山電車嵐山下車、嵯峨にある。

本寺は夢窓國師が足利尊氏に請うて後醍醐天皇の冥福を祈るために創建したもので その寺域はもと後龜山及後嵯峨二上皇の仙宮のあつた所である。應仁の兵火に會ひ、その後また屢火災に罹り、堂宇悉く燒失したが、明治年閒に法堂、本殿、方丈等再建され、稍々舊觀を復するに至つた。

庭園[指定史蹟・名勝] 天龍寺創建の時に築造されたもので、大體に於て今尙その原形を存して居る。前庭と內庭に別れ、前庭は總門前の廣場と總門を入りて本堂所在の臺地、唐門の下に至る地區で、その範を支那寺院園地の態型にとつたものである。內庭は自然型の泉水園で、その主要部は方丈の背後に當つて居る。龜山を取り入れ、その脚下にある池は創設當時の曹源池で、山脚に倚つて瀧を懸け、北岸に近く小島を置き橋を渡し、東岸に出島を延べ、南方には小岬を出し、池中には數個の浮石が立てられて居る。尙庭は北方書院より茶室集端軒の前にまで續いて置石配樹が見られる。山は下方に椎、樫が高く立ち、上方には松樹繁茂し、池面に映じて淸邃優雅の氣分を生じ、室町初期に作造された山水園として名高い。

  • 寶物
  • 夢窓國師像[國寶] 絹本著色 比丘德濟 一幅
  • 夢窓國師像[國寶] 絹本著色 曆應庚辰仲秋自贊 一幅
  • 淸涼法眼禪師像[國寶] 絹本著色 一幅
  • 雲門大師像[國寶] 絹本著色 一幅
  • 釋迦如來坐像[國寶] 木像 一軀
  • 遮那院御領繪圖[國寶] 紙本墨書 一鋪
  • 往古諸卿館地之繪圖[國寶] 紙本墨書 一鋪
  • 應永鈞命繪圖[國寶] 紙本著色 一鋪
  • 觀世音菩薩像[國寶] 絹本著色 一幅 東京帝室博物館出陳

洛西・嵐山のみどころ