西芳寺(苔寺)

西芳寺(苔寺)[臨濟宗天龍寺派]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

松尾神社の南約1.5km、松尾町嵐山の南、松尾谷の渓間、西芳寺川の水流に沿って、北に嵐山、松尾続きの山々を擁した幽邃な境地にあります。

奈良時代の天平3年(731年)行基菩薩の開基と伝えられ、平安時代の弘仁年間(810~824年)高岳親王がここで出家され、また最明寺時頼も寄寓したといわれています。後に荒廃して、室町時代の延元年間(1336~1340年)夢窓国師によって中興されました。その後しばしば火災にかかり、今日堂宇の見るべきものは残っていませんが、庭園とそのなかにある茶亭が名高いものです。

庭園[指定史蹟・名勝] 延元4年(1339年)夢窓国師が住持となり、堂宇の再興とあわせてこの林泉を築造して以来名高くなりました。現在地割を見ると渓間の静境に黄金池を設け池のなかに島3つを築き、丘地には岩を畳み石を敷き、樹林豊かで地には鮮やかな麗しい苔が一面に敷かれ、その間を苑路によって廻遊できるようになっています。実に幽邃閑寂の境で室町初期に作られた名園を偲ぶことができます。

湘南亭[国宝] 庭内の池辺にあり、慶長年間(1596~1615年)に建てられた桃山時代の茶室です。その平面は、待合、廊下本家と続いて矩形となり、本家の一端には舞台を造っています。舞台の構造は非常に珍しく、その天井は土で塗り固められています。茶室は清楚な竿縁天井、吊棚、付書院、窓、水屋などの意匠の勝れたものが多く、かつ全体として非常に明るい感じを出しています。なおこの茶室は維新の際岩倉具視公が難を避けて潜伏していた遺蹟としても知られています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
西芳寺庭園平面図

令和に見に行くなら

名称
西芳寺(苔寺)
かな
さいほうじ(こけでら)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市西京区松尾神ヶ谷町56
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

松尾神社の南方約一粁半、松尾町嵐山の南方松尾谷の溪閒、西芳寺川の水流に沿ひ、北に嵐山、松尾續きの岡巒を擁した幽邃な境地にある。

當寺は天平三年行基菩薩の開基と傳へられ、弘仁年閒高嶽親王こゝに御落飾あり、また最明寺時賴も寄寓したと云はれて居る。後荒廢して、延元年閒夢窓國師によつて中興された。その後屢火災にかゝり、今日堂宇の見るべきものは遣つて居ないが、庭園とその內にある茶亭が名高い。

庭園[指定史蹟・名勝] 延元四年夢窓國師が當寺の住持となり、堂宇の再興と倂せてこの林泉を築造して以來名高くなつた。今地割を見るに溪閒の靜境に黃金池を設け池中に島三つを築き、丘地には岩を疊み石を敷き、樹林豐にして地には鮮かな麗はしい苔が一面に敷かれ、その閒を苑路によつて廻遊し得るやうになつて居る。實に幽邃閑寂の境で室町初期に作られた名園を偲ぶべきものである。

湘南亭[國寶] 庭內の池邊にあり、慶長年閒に建てられた桃山時代の茶室である。その平面は、待合、廊下本家と相續いて矩形をなし、本家の一端には舞臺を造つて居る。舞臺の構造は頗る珍奇で、その天井は土で塗り固められて居る。茶室は淸楚な竿緣天井、吊棚、附書院、窓、水屋などの意匠の勝れたもの多く、且つ全體として非常に明い感じを出して居る。尙この茶室は維新の際岩倉具視公が難を避けて潛伏して居た遺蹟としても知られて居る。

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