妙心寺

妙心寺[臨濟宗妙心寺派大本山]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

嵐山電車妙心寺の東南約0.5km、花園妙心寺町にあります。

この地は初め清原左大臣の別荘で、その後花園上皇が離宮とされましたが、上皇退位の後深く禅宗に帰依され、捨てて寺とし、関山国師を開山としたものです。後、応仁の兵火に全山の伽藍はすべて失われましたが、その後また次第に再建が計画され、江戸時代に至って旧観に復し、堂々とした禅宗伽藍の好典型を見るに至りました。これを大徳寺伽藍と比較すると、その建築の時代はやや下りますが、堂宇の整備されている点においてはむしろ勝るものがあります。その大体の平面は南から北へ延び、勅使門、三門、仏殿、法堂、寝堂、玄関、大方丈、小方丈、庫裡と建ち並び、また伽藍の東側には浴室、鐘楼、経蔵があります。

勅使門[国宝] 江戸時代前期の慶長15年(1610年)に建った切妻、檜皮葺の四脚門で、その蟇股には雲竜、竹に虎などの豪放雄大な桃山式の彫刻があります。

この門の前にある石の反橋には、その青銅製の擬宝珠に「平安城正法山 妙心禅寺摠門橋 金帽子 座長庚戌十月十二日」と刻書されています。

三門[国宝] 慶長4年(1599年)に建築された五間三戸、朱塗の楼門で 屋根は人母屋造、上層に扇棰を有する唐様建築です。

仏殿[国宝] 安土桃山時代の天正11年(1583年)に再建されたものを、江戸時代後期の文政11年(1828年)に改造されたもので、五間五面重層入母屋造の唐様建築です。

法堂[国宝] 江戸時代前期の明暦2年(1656年)に建った七間六面重層入母屋造唐様の建築です。堂内の天井にはいわゆる八方睨の竜の墨画があり、そばに「探幽法眼守信筆」の墨書があります。

寝堂[国宝] 承応3年(1654年)の建築、方三間単層の建築で、一間七面の廊下によって法堂と連絡しています。

大方丈[国宝] 承応3年の建立 単層入母屋造、杮葺の建築です。内部はすべて畳敷で6室に分かれ、中央に仏間があります。襖、障子の絵には狩野探幽、同益信の墨画山水あるいは獅子図などがあります。

小方丈[国宝] 承応3年の建立、単層入母屋造、杮葺の建築です。内部は総畳敷で室を表裏各3室に区分し、仕切の襖および壁の貼付絵は主として墨画の山水を描いていますが筆者は明らかでありません。

このほか庫裡、浴室、鐘楼、経蔵はいずれも国宝で、庫裡は承応3年の建立、浴室は明暦2年、鐘楼は寛永16年(1639年)、経蔵は元禄9年(1696年)の建築です。

妙心寺庭園はその塔頭玉鳳院、霊雲院、退蔵院、桂春院の庭園および東海庵書院庭園とともに史蹟、名勝として指定されています。

  • 宝物
  • 銅鐘[国宝] 一口 寺務所の西の鐘楼にかかっています。内面に「戊戌年四月十三日」云々の銘があります。狩谷掖斎の説によると、戊戌年は飛鳥時代の文武2年(698年)にあたり日本最古の古鐘で、考古学上貴重な遺品です。
  • 琴棋書画六曲屏風[国宝] 一双 紙本著色、「友松筆」の落款があり、友松の作として確かなものです。
  • 竜虎図六曲屏風[国宝] 一双 紙本著色。これも友松の筆と伝えていますが、その門弟の筆であるという説があります。
  • 虚堂和尚像[国宝] 絹本著色 宝祐戊午自賛 一幅
  • 大応国師像[国宝] 絹本著色 賛あり 一幅
  • 大灯国師像[国宝] 絹本著色 元徳2年自賛 一幅
  • 花園天皇御像[国宝] 絹本著色後花園天皇宸筆御賛 一幅
  • 十六羅漢像[国宝] 絹本著色 十六幅
  • 俱利迦羅竜守刀[国宝] 中身銘尚宗 豊臣棄丸所用 一口
  • 小形武器[国宝] 三種 甲二領 冑一頭 鞍一脊 豊臣棄丸所用
  • 桃園天皇関山国師徽号勒書[国宝] 一幅 紙本墨書 宝暦六年十月二十日
  • 次の宝物は京都博物館出陳
  • 三酸及寒山拾得図六曲屏風[国宝] 紙本著色 友松筆 一双
  • 花卉図六曲屏風[国宝] 紙本著色 友松筆 一双
  • 普賢菩薩像[国宝] 絹本墨書 一幅
  • 中達磨左右豊千布袋図[国宝] 三幅 紙本墨書 中文礼左右広聞賛
  • 巌子陵及虎渓三笑図二曲屏風[国宝] 一双 紙本著色 友松筆 奈良帝室博物館出陳
  • 呂望及商山四皓六曲屏風[国宝] 紙本著色 友松筆 東京帝室博物館出陳
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
妙心寺境内平面図

令和に見に行くなら

名称
妙心寺
かな
みょうしんじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市右京区花園妙心寺町64
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

嵐山電車妙心寺の東南約半粁、花園妙心寺町にある。

この地は初め淸原左大臣の別業で、その後花園上皇が離宮とせられたが、上皇退位の後深く禪宗に歸依し給ひ、捨てゝ寺となし、關山國師を開山としたものである。後、應仁の兵燹に全山の伽藍は悉く失はれたが、その後また次第に再建が企てられ、江戶時代に至つて舊觀に復し、堂々たる禪宗伽藍の好典型を見るに至つた。これを大德寺伽藍と比較すると、その建築の時代は稍降るが、堂宇の整美せる點に於ては寧ろ優るものがある。その大體の平面は南から北へ延び、敕使門、三門、佛殿、法堂、寢堂、玄關、大方丈、小方丈、庫裡と建ち竝び、また伽藍の東側には浴室、鐘樓、經藏がある。

敕使門[國寶] 慶長十五年に建つた切妻、檜皮葺の四脚門で、その蟇股には雲龍、竹に虎などの豪放雄大な桃山式の彫刻がある。

この門の前にある石の反橋には、その靑銅製の擬寶珠に「平安城正法山 妙心禪寺摠門橋 金帽子 座長庚戌十月十二日」と刻書されて居る。

三門[國寶] 慶長四年に建築された五閒三戶、朱塗の樓門で 屋根は人母屋造、上層に扇棰を有する唐樣建築である。

佛殿[國寶] 天正十一年に再建されたものを、文政十一年に改造されたもので、五閒五面重層入母屋造の唐樣建築である。

法堂[國寶] 明曆二年に建つた七閒六面重層入母屋造唐樣の建築である。堂內の天井には所謂八方睨の龍の墨畫があり、傍に「探幽法眼守信筆」の墨書がある。

寢堂[國寶] 承應三年の建築、方三閒單層の建築で、一閒七面の廊下によつて法堂と連絡して居る。

大方丈[國寶] 承應三年の建立 單層入母屋造、杮葺の建築である。內部は總て疊敷で六室に分かれ、中央に佛閒がある。襖、障子の繪には狩野探幽、同益信の墨畫山水或は獅子圖などがある。

小方丈[國寶] 承應三年の建立、單層入母屋造、杮葺の建築である。內部は總疊敷で室を表裏各三室に區分し、仕切の襖及壁の貼付繪は主として墨畫の山水を描いて居るが筆者は詳かでない。

この外庫裡、浴室、鐘樓、經藏は何れも國寶で、庫裡は承應三年の建立、浴室は明曆二年、鐘樓は寬永十六年、經藏は元祿九年の建築である。

妙心寺庭園はその塔頭玉鳳院、靈雲院、退藏院、桂春院の庭園及び東海庵書院庭園と共に史蹟、名勝として指定されて居る。

  • 寶物
  • 銅鐘[國寶] 一口 寺務所の西の鐘樓にかゝつて居る。內面に「戊戌年四月十三日」云々の銘がある。狩谷掖齋の說によると、戊戌年は文武二年に當り本邦最古の古鐘で、考古學上貴重な遺品である。
  • 琴棋書畫六曲屏風[國寶] 一雙 紙本著色、「友松筆」の落款があり、友松の作として確なものである。
  • 龍虎圖六曲屏風[國寶] 一雙 紙本著色。これも友松の筆と傳へて居るが、その門弟の筆であらうと云ふ說がある。
  • 虛堂和尙像[國寶] 絹本著色 寶祐戊午自贊 一幅
  • 大應國師像[國寶] 絹本著色 贊あり 一幅
  • 大燈國師像[國寶] 絹本著色 元德二年自贊 一幅
  • 花園天皇御像[國寶] 絹本著色後花園天皇宸筆御贊 一幅
  • 十六羅漢像[國寶] 絹本著色 十六幅
  • 俱利迦羅龍守刀[國寶] 中身銘尙宗 豐臣棄丸所用 一口
  • 小形武器[國寶] 三種 甲二領 冑一頭 鞍一脊 豐臣棄丸所用
  • 桃園天皇關山國師徽號勒書[國寶] 一幅 紙本墨書 寶曆六年十月二十日
  • 左記寶物は京都博物館出陳
  • 三酸及寒山拾得圖六曲屏風[國寶] 紙本著色 友松筆 一雙
  • 花卉圖六曲屏風[國寶] 紙本著色 友松筆 一雙
  • 普賢菩薩像[國寶] 絹本墨書 一幅
  • 中達磨左右豐千布袋圖[國寶] 三幅 紙本墨書 中文禮左右廣聞贊
  • 巖子陵及虎溪三笑圖二曲屏風[國寶] 一雙 紙本著色 友松筆 奈良帝室博物館出陳
  • 呂望及商山四皓六曲屏風[國寶] 紙本著色 友松筆 東京帝室博物館出陳

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