誓願寺

大泉坊(誓願寺)[眞言宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

筑肥線今宿駅の北5km、糸島郡今津村、今津山麓の高見にあり、もと誓願寺の一坊です。誓願寺は平安時代の安元元年(1175年)に創立され本寧阿弥陀仏の供養が栄西を招請して行われ、栄西入宋の時往来ともにこの寺に寓してその間に盂蘭盆縁起、法華経理趣経等を書しました。誓願寺は後に衰退し、わずかに残った大泉坊も現在堂宇が荒廃していますが、なお貴重な寺宝をもって誓願願盛時の昔を偲ばせるものがあります。

  • 宝物
  • 誓願寺盂蘭盆縁起[国宝] 一巻 紙本墨書、治承2年(1178年)栄西筆、用紙には雲と島の地文があります。別に誓願寺建立縁起一巻を附属しています。
  • 経筥[国宝] 一口 沈金彫、長方形、高さ32cm、幅28cm、身の四方および蓋の裏は黒塗の上に孔雀および牡丹の模様を細い線で彫り金を塡充した精巧なものです。身の外側に「通」、蓋縁に「左」の字を刻したのは一切経筥として千字文による函号で、多数一組のものであったことが知られます。蓋裏に黒漆で「延祐二年杭州油局棟梁禅□橋金家造」と記されているのでこの経筥は元の仁宗の延祐2年中国は杭州で製作されたものです。
  • 銭弘俶八万四千塔[国宝] 鉄製、高さ2m36cm、宝筐印塔形の小塔です。かつて中国五代の呉越国王銭弘俶が発願して小塔8万4,000基を造り、これに宝筐印陀羅尼経を納め各所に分け、日本へも500基を頒置したと伝えています。この塔はすなわちその一基にあたるもので塔の内側の一面に「呉越国王銭銭弘俶造八万四千宝塔乙卯歳記」の銘があり、また他の三面には「化」の文字があるのは千字文による塔の号数です。塔は方形で上下二層となり、上層には印度式穹窿のなかに臥虎投身等の本生譚四場面を鋳出し、上に唐草文帯を加え、頂の四隅に角形の突起を造り、頂の中央に九輪を立て、而して下層には周囲に小さい坐仏をめぐらせ、最下縁に蓮台を付けてあります。伝説によるとこの塔は阿育王の8万4,000塔にならったとされますが、いかにも印度趣味の加わったものです。
  • 法華経および理趣経[国宝] 二巻 紙本墨書、前者は斐紙銀罫、後者は黄廊紙上下ならびに裏に金銀切箔、軸は青瑯𤣳。
  • 法華経(開結共)[国宝] 十巻 紙本墨書、斐紙淡墨罫、見返金切箔置。元歴および建久等の記年の奥書があり、いずれも栄西の筆です。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
誓願寺
かな
せいがんじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
福岡県福岡市西区今津851
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

筑肥線今宿驛の北五粁、絲島郡今津村、今津山麓の高見にあり、もと誓願寺の一坊である。誓願寺は安元元年に創立せられ本寧阿彌陀佛の供養が榮西を屈請して行はれ、榮西入宋の時往來共にこの寺に寓してその閒に盂蘭盆緣起、法華經理趣經等を書した。誓願寺は後に廢頽し、僅に存した大泉坊も今堂宇荒廢して居るが、尙本寺の貴重な寺寶を存して誓願願盛時の昔を偲ばしめるものがある。

  • 寶物
  • 誓願寺盂蘭盆緣起[國寶] 一卷 紙本墨書、治承二年榮西筆、用紙には雲と島の地文がある。別に誓願寺建立緣起一卷を附屬している。
  • 經筥[國寶] 一口 沈金彫、長方形、高さ八寸三分幅七寸三分、身の四方及蓋の裏は黑塗の上に孔雀及牡丹の模樣を細い線で彫り金を塡充した精巧なものである。身の外側に「通」、蓋緣に「左」の字を刻したのは一切經筥として千字文に依る函號で、多數一組のものであつたことが知られる。蓋裏に黑漆で「延祐二年杭州油局棟梁禪□橋金家造」と記されて居るのでこの經筥は元の仁宗の延祐二年支那杭州にて製作せられたものである。
  • 錢弘俶八萬四千塔[國寶] 鐵製、高さ六尺二寸、寶筐印塔形の小塔である。嘗て支那五代の吳越國王錢弘俶が發願して小塔八萬四千基を造り、これに寶筐印陀羅尼經を納め各所に分け、我が國へも五百基を頒置したと傳へて居る。この塔は卽ちその一基に當るもので塔の內側の一面に「吳越國王錢錢弘俶造八萬四千寶塔乙卯歲記」の銘があり、また他の三面には「化」の文字があるのは千字文に依る塔の號數である。塔は方形で上下二層となり、上層には印度式穹窿の中に臥虎投身等の本生譚四場面を鑄出し、上に唐草文帶を加へ、頂の四隅に角形の突起を造り、頂の中央に九輪を立て、而して下層には周圍に小さい坐佛を繞らし、最下緣に蓮臺を附けてある。傳說によるとこの塔は阿育王の八萬四千塔に倣つたと稱するが、如何にも印度趣味の加はつたものである。
  • 法華經及理趣經[國寶] 二卷 紙本墨書、前者は斐紙銀罫、後者は黃廊紙上下竝に裏に金銀切箔、軸は靑瑯𤣳。法華經(開結共)[國寶] 十卷 紙本墨書、斐紙淡墨罫、見返金切箔置。元歷及建久等の記年の奧書があり、何れも榮西の筆である。

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