福岡市

福岡市
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

吉塚、博多両駅所在地。北の方は博多湾に沿い、東西約11.3km、南北も約11.3km、面積約64.5km²です。この地は日本最古の貿易港、黒田氏の旧城下で、現在県治、学問の中心地、交通の要地となり、九州第一の大都会です。近年隣接町村を編入すること約十回におよびました。

地勢は南に高く北に低く、室見、樋井、那珂、御笠、多々良などの川が福岡湾に注ぎ、那珂川以東に博多、以西に福岡の名があります。古書に見られる儺之津は那珂の港の意味です。

昭和7年(1932年)の生産3,753万円、その9割あまりは工産が占め、工産の首位にあるものはゴム靴で、印刷物がこれに次ぎ、飴菓子、博多織、機械器具類、綿織物等がさらにその下にあります。外国貿易はいまだ振るわず、昭和7年も翌年も輸出入合計600万円未満です。

市内目抜の場所は博多では掛筋、川端筋、福岡では六町筋です。掛筋は橋口町、麹屋町、掛町、綱場町、中間町、石堂町、官内町の通りをいい、川端筋は上新川端町、下新川端町、川端町一帯をいいます。六町筋は橋口町、上名島町、下名島町、本町、呉服町、簀子町、大工町で、掛筋、川端筋におよばないようです。電車通は特に上呉服町から天神町に至る間は車馬の往来が多いところです。

年中行事の主なものは玉競り、松囃子、博多山笠、流潅頂、放生会、誓文払、春の市などです。人口は27万6,000人。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
飛行場から見た福岡市

令和に見に行くなら

名称
福岡市
かな
ふくおかし
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
福岡県福岡市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

吉塚、博多兩驛所在地。北の方博多灣に沿ひ、東西約一一粁三、南北また約一一粁三面積約六四方粁五である。この地は我が國最古の貿易港、黑田氏の舊城下で、現今縣治、學問の中心地、交通の要地となり、九州第一の大都會である。近年鄰接町村を編入せしこと約十回に及んだ。

地勢南に高く北に低く、室見、樋井、那珂、御笠、多々良の諸川福岡灣に注ぎ、那珂川以東に博多、以西に福岡の名がある。古書に見ゆる儺之津は那珂の港の意である。

昭和七年の生產三千七百五十三萬圓、その九割餘は工產が占め、工產の首位にあるものは護謨靴で、印刷物これに次ぎ、飴菓子、博多織、機械器具類、綿織物等が更にその下にある。外國貿易は未だ振はず、昭和七年も翌年も輸出入合計六百萬圓未滿である。

市內目拔の場所は博多では掛筋、川端筋、福岡では六町筋である。掛筋は橋口町、麹屋町、掛町、綱場町、中閒町、石堂町、官內町の通りを云ひ、川端筋は上新川端町、下新川端町、川端町一帶を云ふ。六町筋は橋口町、上名島町、下名島町、本町、吳服町、簀子町、大工町で、掛筋、川端筋に及ばないやうである。電車通殊に上吳服町より天神町に至る閒は車馬絡驛の地である。

年中行事の主なるものは玉競り、松囃子、博多山笠、流潅頂、放生會、誓文拂、春の市等である。人口二十七萬六千。

博多・糸島のみどころ