住吉神社

住吉神社[官幣小社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

博多駅の南約1km、市内住吉町住吉にあり、電車の便があります。

九州地方で最も古い神社のひとつで、底筒男神、中筒男神および表筒男神を祀ります。この三柱の神は墨江の三前の大神または住吉大神と呼ばれ、神功皇后の三韓御征伐に際し神教を垂れてその荒魂は舟師を導き、その和魂は玉体を守護して霊験を顕しました。こうしてこの神は古くこの地に鎮祭されましたが、その後、日本の海外交易の発展とともに長門、摂津等の地にも海上守護の神として勧請されました。この社は古来これらの諸社とともに朝廷の崇敬が特に厚いものがありました。すなわち奈良時代の天平9年(737年)使を遣わされこの社に奉幣して新羅の無体を告げらたことをはじめとして、王朝時代を通じしばしば奉幣を行われました。延喜の制においては名神大社に列し、後に筑前国一の宮とされ、武家時代に至っても頼朝、尊氏等武将の崇敬が厚かったところです。その後室町時代の戦乱が打ち続いた頃、この社もその兵火に遭い荒廃しました。その後黒田長政入国して再興をはかり新たに神殿を建立し、次で忠之もこれに修理を加えようやく復興の道が見えてきました。すなわち現存の本殿は安土桃山時代の慶長5年(1600年)に長政が再建したものです。拝殿および幣殿は昭和になってから造営されました。

例祭は9月13日。

本殿[国宝] 慶長5年黒田長政の再建、幣殿後方に瑞垣をめぐらしたなかに建っています。二間四面の住吉造屋根檜皮葺、桃山時代の建築です。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
福岡住吉神社

令和に見に行くなら

名称
住吉神社
かな
すみよしじんじゃ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
福岡県福岡市博多区住吉3-1-51
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の南約一粁、市內住吉町住吉にあり、電車の便がある。

當社は九州地方に於ける最も古き神社の一にして、底筒男神、中筒男神及表筒男神を祀る。この三柱の神は墨江の三前の大神または住吉大神と稱し、神功皇后の三韓御征伐に際し神敎を垂れてその荒魂は舟師を導き、その和魂は玉體を守護して靈驗を顯はした。かくてこの神は古くこの地に鎭祭されたが、その後、我が海外發展と共に長門、攝津等の地にも海上守護の神として勸請された。當社は古來これ等の諸社と共に朝廷の崇敬特に厚きものがあつた。卽ち天平九年使を遣はされ當社に奉幣して新羅の無體を吿げられしことを始めとし、王朝時代を通じ屢々奉幣を行はれた。かくて延喜の制に於ては名神大社に列し、後ち筑前國一の宮と稱し、武家時代に至つても賴朝、尊氏等武將の崇敬淺からざるものがあつた。然るにその後室町時代に及んで戰亂打ち續き、當社もその餘禍を蒙り著しく荒廢した。その後黑田長政入國して再興をはかり新に神殿を建立し、次で忠之もこれに修理を加へ漸く復興の緖についた。卽ち現存の本殿は慶長五年に長政が再建したものである。拜殿及幣殿は昭和になつてから造營された。

例祭九月十三日。

本殿[國寶] 慶長五年黑田長政の再建、幣殿後方に瑞垣をめぐらした中に建つて居る。二閒四面の住吉造屋根檜皮葺、桃山時代の建築である。

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