承天寺
承天寺[臨濟宗東福寺派]
昭和初期のガイド文
博多駅の東約100m、市内上辻堂町にあります。
鎌倉時代の仁治3年(1242年)宋の商人謝国明の懇請によって聖一国師が開創したところと伝わっています。寛元元年(1243年)に官寺となり、吉野朝時代には征西将軍宮懐良親王が錦旗をこの寺に掲げられていたこともあり、古来この地方における名利です。
法堂 五間四面、軍層屋根入母屋造本瓦葺、江戸時代の再建築で釈迦三尊が安置されています。
釈迦三尊像[国宝] 法堂安置の本尊です。木造漆箔、中尊は結跏趺坐の坐像で、高さ109cm、右手に説法印を結び、左手は掌を上にして膝上に置いています。肉髻および白毫に水晶を嵌め、相好円満、衣文流麗にして藤原末期の作と思われます。脇侍は文殊普賢の立像で、本尊と同時代の作です。
- 宝物
- 禅家六祖像[国宝] 六幅 絹本著色、寺伝に無準筆と伝えています。輪郭は鉄線描式の強い線を使用していますが、顔面の輪郭には特に細い柔かな淡墨線をもって描いています。いずれも非常に緻密な肖像画で子曇の讃があります。子曇は吉野朝時代康安元年(1361年)77歳で寂し、この寺に住んでいたこともあったといいます。
- 銅鐘[国宝] 庫裏の廊下にかかっています。銘文によってこの鐘は清寧11年高麗文宗の19年に鋳造されたもので、後に日本にもたらされ、室町時代の明応7年(1498年)にはすでにこの寺の所有となっていたことがわかっています。すなわちその様式は全く朝鮮鐘で上下に牡丹唐草中央に天人および七賢が飛行する様子を現した非常に優美な作です。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 承天寺
- かな
- じょうてんじ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 福岡県福岡市博多区博多駅前1-29-9
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の東約一〇〇米、市內上辻堂町にある。
當寺は仁治三年宋の商人謝國明の懇請によつて我が聖一國師の開創せし所と傳へて居る。寬元元年に官寺となり、吉野朝時代には征西將軍宮懷良親王が錦旗を當寺に樹て給ひしこともあり、古來この地方に於ける名利である。
法堂 五閒四面、軍層屋根入母屋造本瓦葺、江戶時代の再建築で釋迦三尊が安置されて居る。
釋迦三尊像[國寶] 法堂安置の本尊である。木造漆箔、中尊は結跏趺坐の坐像で、高さ二尺八寸七分、右手に說法印を結び、左手は掌を上にして膝上に置いて居る。肉髻及白毫に水晶を嵌し、相好圓滿、衣文流麗にして藤原末期の作と思はれる。脇侍は文殊普賢の立像で、本尊と同時代の作である。
- 寶物
- 禪家六祖像[國寶] 六幅 絹本著色、寺傳に無準筆と傳へて居る。輪郭は鐵線描式の强い線を用ゐて居るが、顏面の輪郭には特に細い柔かな淡墨線を以て描いて居る。何れも頗る緻密な肖像畫で子曇の讃がある。子曇は吉野朝時代康安元年七十七歲で寂し、當寺に居つたこともあつたと云ふ。
- 銅鐘[國寶] 庫裏の廊下にかゝつて居る。銘文によつてこの鐘は淸寧十一年高麗文宗の十九年に鑄造されたもので、後我が國に齎らされ、明應七年には既に當寺の有に臨したことが明かにされて居る。卽ちその樣式は全く朝鮮鐘で上下に牡丹唐草中央に天人及七賢の飛行せる有樣を現はした頗る優美な作である。
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