貝原益軒の墓

貝原益軒墓
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

博多駅の西約4km、市内西町金龍寺境内にあり、電車の便があります。貝原益軒公之墓と題し、貝原家累代の墓域内にあります。益軒は筑前の人、代々福岡藩侯に仕える医者でしたが、常に書を好み、世益に関する事を第一とし、慎思録、養生訓など100種以上にのぼります。江戸時代中期の正徳4年(1714年)85歳で没しました。境内に入り向かって左に書見する坐像の銅像が建っています。なお隣の浄満寺内に藩儒亀井南溟の墓があります。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
貝原益軒の墓
かな
かいばらえきけんのはか
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
福岡県福岡市中央区今川2-3-34
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の西約四粁、市內西町金龍寺境內にあり、電車の便がある。貝原益軒公之墓と題し、貝原家累代の墓域內に存する。益軒は筑前の人、世々福岡藩侯に仕へ醫を業としたが、常に著書を好み、世益に關する事を第一とし、愼思錄、養生訓等百餘種に上る。正德四年歲八十五で沒した。境內に入り向つて左方に書見する坐像の銅像が建つて居る。尙鄰の淨滿寺內に藩儒龜井南溟墓がある。

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