東光院

東光院[古義眞言宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

博多駅の東約1km、市内堅粕町東堅粕にあります。

平城天皇によって平安時代の大同元年(806年)に創建された伝わり、はじめ堅糟山東光院薬王寺と称し、天台宗の道場でしたが、後に寺運傾き堂宇はまた荒廃に委ねられました。時代下って室町時代になって再興し少し旧観を取り戻しましたが、江戸時代前期の寛永年間(1624~1644年)火災にかかりすべて灰燼に帰しました。現存の堂宇はその後藩主によって復興されたものです。堂内には本尊薬師像をはじめ多数の古仏像が安置されています。

薬師如来立像[国宝] 本堂の本尊です。一木造、高さ約182cm、相好は端厳で、藤原時代の優美な作です。

十二神将立像[国宝] これは前記の本尊薬師立像に附属したもので、須弥壇の下左右両側に12体安置されいずれも木製の岩座に立っています。木造で高さ約91cm、本尊と同様藤原時代の作です。

薬師坐像[国宝] 須弥壇下の台座に安置されています。高さ約91cm。温雅な相好をもつ藤原末期の作です。

薬師十二神将像[国宝] 須弥壇上厨子の左右に安置されています。これは前記薬師坐像に附属するもので高さ約61cm、各像に姿態の変化があり、相当に力の籠ったものです。これも薬師坐像とともに藤原末期の作です。12体のうち3体は江戸時代寛文年間に補足したもので国宝になっています。

日光菩薩立像[国宝] 木造、高さ約80cm、運慶の流れを汲んだ鎌倉中期の佳作です。

阿弥陀如来立像[国宝] 木造漆箔、高さ122cm、上品下生の印を結んで立っています。鎌倉時代の佳作です。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
東光院十二神将像

令和に見に行くなら

名称
東光院
かな
とうこういん
種別
見所・観光
状態
現存しない
備考
寺としては存続しておらず、福岡市の所有となっていますが、文化財として保存されています。

日本案内記原文

驛の東約一粁、市內堅粕町東堅粕にある。

當寺は平城天皇大同元年の創建と傳へ、はじめ堅糟山東光院藥王寺と稱し、天臺宗の道場であつたが、後寺運傾き堂宇また荒廢に委ねられた。下つて室町時代に及び再興して稍舊觀を復したが、寬永年閒火災にかかり悉く灰燼に歸した。現存の堂宇はその後藩主によつて復興されたものである。堂內には本尊藥師像をはじめ多數の古佛像が安置されて居る。

藥師如來立像[國寶] 本堂の本尊である。一木造、高さ約六尺、相好端嚴にして、藤原時代の優美な作である。

十二神將立像[國寶] これは前記本尊藥師立像に附屬せるもので、須彌壇の下左右兩側に十二軀安置され

何れも木製の岩座に立つて居る。木造高さ約三尺、本尊と同樣藤原時代の作である。

藥師坐像[國寶] 須彌壇下の臺座に安置されて居る。高さ約三尺。溫雅な相好を有する藤原末期の作である。

藥師十二神將像[國寶] 須彌壇上厨子の左右に安置されて居る。これは前記藥師坐像に附屬せるもので高さ約二尺、各像に姿態の變化があり、相當に力の籠つたものである。これも藥師坐像と共に藤原末期の作である。十二軀の中三軀は江戶時代寬文年閒に補足したもので國寶になつて居る。

日光菩薩立像[國寶] 木造、高さ約二尺一寸、運慶の流を汲んだ鐮倉中期の佳作である。

阿彌陀如來立像[國寶] 木造漆箔、高さ三尺二寸、上品下生の印を結んで立つて居る。鐮倉時代の佳作である。

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