大浦天主堂

大浦天主堂[國寶]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

長崎駅の南、市内南山手町にあり、電車の便があります。

この天主堂はキリシタン殉教者26名の霊を祀るため江戸時代末期の文久3年(1863年)フランス人宣教師フューレの創始となり、翌4年(1864年)宣教師プティジャン師等の監督の下に棟梁小山某によって建築され、同年12月に竣工しました。当初は三側式木造の教会堂でしたが、明治8年(1875年)宣教師ボアリエ指揮の下に拡張を計画し、左右に各一間の側廊を増築し、かつ外壁を煉瓦積とし、現在見るようなゴシック式五側教会堂となり、屋根の西端に八角尖塔を付けています。内部の身廊奥陣および左右側廊等に木造漆喰塗の方法によって構成されている雄大な穹窿天井の美観は歎賞に値し、その他細部の構造とともによくゴシック式の手法をあらわしています。内陣の中央には壮麗な祭壇を構え、左右側廊にはところどころに小聖龕を作っています。さらに各柱間に設けられた大窓は華麗なステンドグラスを嵌装しています。要するにこの教会堂は仏国宣教師の指揮監督の下に日本の棟梁の経営になった日本の初期の洋風建築を代表する貴重な遺構です。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
大浦天主堂
かな
おおうらてんしゅどう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
長崎県長崎市南山手町5-3
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

長崎驛の南、市內南山手町にあり、電車の便がある。

この天主堂は切支丹殉敎者二十六名の靈を祀るため文久三年佛國宣敎師フユーレの創始にかゝり、翌四年宣敎師プチジヤン師等監督の下に棟梁小山某によつて建築され、同年十二月に竣工した。當初は三側式木造の敎會堂であつたが、明治八年宣敎師ボアリエ指揮の下に擴張を企て、左右に各一閒の側廊を增築し、且つ外壁を煉瓦積となし、現在見る如くゴシツク式五側敎會堂となり、屋根の西端に八角尖塔を附して居る。內部の身廊奧陣及左右側廊等に木造漆喰塗の方法によつて構成されて居る雄大な穹窿天井の美觀は歎賞に値し、その他細部の構造と共によくゴシツク式の手法をあらはして居る。內陣の中央には壯麗な祭壇を構へ、左右側廊には處々に小聖龕を作つて居る。尙各柱閒に設けられた大窓は華麗なステンドグラスを嵌裝して居る。要するにこの敎會堂は佛國宣敎師の指揮監督の下に我が國棟梁の經營になつた我が國初期の洋風建築を代表せる貴重な遺構である。

長崎のみどころ