五社山

五社山
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

長崎駅の北にあたり、西坂町に続く高台で、現在は人家の密集した町ですが、昔はキリスト教徒の斬罪、磔刑、焚殺等の極刑が行われた血なまぐさい史跡です。ここには天草一揆の盟主益田四郎以下3,300人の理められた有馬塚および南蛮塚という2基の塔婆があります。南蛮塚は江戸時代前期の寛永17年(1640年)南蛮人61人を惨刑に処した場所だといいます。また天和7年ポルトガル人、日本人、朝鮮人等55人のバテレンが虐殺され、明治初年まですべての犯罪者を獄門にさらしたところです。外国人の間ではセントヒル(聖山)の名によって知られています。二十六聖人殉教の祝日2月5日には、市内はもちろん、全国の信徒が山頂に集まって、祈りの一日を送ります。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
五社山
かな
ごしゃざん
種別
見所・観光
状態
現存しない
備考
史跡はないでしょうか。地図位置は五社公園にしておきます。

日本案内記原文

長崎驛の北に當り、西坂町に續く高臺で、今は人家稠密した町であるが、昔は耶蘇敎徒の斬罪、磔刑、焚殺等の極刑が行はれた血腥い史蹟である。こゝには天草一揆の盟主益田四郞以下三千三百人の理められた有馬塚及南蠻塚と云ふ二基の塔婆がある。南蠻塚は寬永十七年南蠻人六十一人を慘刑に處した場所だと云ふ。また天和七年葡萄牙人、日本人、朝鮮人等五十五人の伴天連が虐殺され、明治初年まで凡ての犯罪者を獄門に曝したところである。外人閒にはセントヒル(聖山)の名によつて知られて居る。二十六聖人殉敎の祝日二月五日には、市內は勿論、全國の信徒が山頂に集つて、熱祷の一日を送る。

長崎のみどころ