長崎くんち
諏訪祭
昭和初期のガイド文
江戸時代前期の寛永の初(1624年)佐賀の人青木賢清が大村の公文九郎左衛門と協力して、キリシタン宗徒に対抗するため、諏訪三社の祭礼を執行し、寛永11年(1634年)長崎奉行の力を借り、長崎丸山の遊女を利用して祭礼の盛大を図りました。神事は10月1日から13日まで執行され、7~9日の3日間は「おくんち」といいます。
6月1日には小屋入りと称し、8年目ごとに輪番にあたる十二ヶ町の踊町関係者は諏訪神社に参拝して、その日から奉納踊の稽古にかかり、10月3日には自慢の庭見せが行われて、行人は各戸の飾り滞められた庭の隅々まで、自由に見ることを許されています。7日は払暁から社前に奉納踊が行われ、午後1時には本宮から県庁下大波止の仮宮に神輿の渡御があり、非常な賑わいです。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 長崎くんち
- かな
- ながさきくんち
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 長崎県長崎市
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
寬永の初佐賀の人靑木賢淸が大村の公文九郞左衞門と協力して、切支丹宗徒に對抗するため、諏訪三社の祭禮を執行し、寬永十一年長崎奉行の力を借り、長崎丸山の遊女を利用して祭禮の盛大を圖つた。神事は十月一日から十三日まで執行され、七、八、九の三日閒は「おくんち」と云ふ。
六月一日には小屋入りと稱し、八年目每に輪番に當る十二ケ町の踊町關係者は諏訪神社に參拜して、その日から奉納踊の稽古にかゝり、十月三日には自慢の庭見せが行はれて、行人は各戶の飾り滯められた庭の隅々まで、自由に見ることを許されて居る。七日は拂曉から社前に奉納踊が行はれ、午後一時には本宮から縣廳下大波止の假宮に神輿の渡御があり、非常な賑ひである。