長崎ハタ揚げ
凧揚
昭和初期のガイド文
盂蘭盆会および諏訪祭とともに長崎三大行事のひとつに数えられます。陽春の頃からはじまり、往古は市内いたるところで行われましたが、電灯線が張られてから、明治30年(1897年)に市内のはた揚げを禁じ、現在では4月10日金比羅山、同15日風頭山、同21日城の古跡、同25日女風頭山、同28日準提観音(唐八景)を各紋日として盛大な凧合戦が催されます。凧の文様は万国旗および信号旗から生まれたものが多いため、凧をこの地では「はた」と称しています。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 長崎ハタ揚げ
- かな
- ながさきはたあげ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 長崎県長崎市
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
盂蘭盆會及諏訪祭と共に長崎三大行事の一つに數へられる。陽春の頃から始まり、往古は市內到る所で行はれたが、電燈線が張られてから、明治三十年に市內のはた揚げを禁じ、現在では四月十日金比羅山、同十五日風頭山、同二十一日城の古址、同二十五日女風頭山、同二十八日準提觀音(唐八景)を各紋日として盛大な凧合戰が催される。凧の文樣は萬國旗及信號旗から生れたものが多い爲、凧をこの地では「はた」と稱して居る。