浦上天主堂

浦上天主堂
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

浦上駅の北、浦上の高地に巍然としてそびえ、6,000人を収容できる東洋一の大会堂です。往年禁教時代に長崎を追われたキリシタン宗徒がこの浦上の地に留まり、集落の住民ほとんどがその信者だったといい、今なお厚く信仰されています。この堂は明治13年(1880年)6月旧浦上村庄屋の邸宅を仮聖堂に引き直し、明治28年(1895年)新たに本聖堂を起工、大正3年(1914年)3月はじめて献堂式を挙げました。正門の高塔はその後大正14年(1925年)5月に竣成しました。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
浦上天主堂
かな
うらかみてんしゅどう
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
昭和20年(1945年)の原爆により全壊、戦後に再建されました。
住所
長崎県長崎市本尾町1-79
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

浦上驛の北、浦上の高地に巍然として聳え、六千人を容るゝに足る東洋一の大會堂である。往年禁敎時代に長崎を逐はれた切支丹宗徒がこの浦上の地に止まり、部落民殆んどその信者であつたと云ひ、今尙信仰が厚い。この堂は明治十三年六月舊浦上村庄屋の邸宅を假聖堂に引直し、明治廿八年新に本聖堂を起工、大正三年三月はじめて獻堂式を擧げた。正門の高塔はその後大正十四年五月に竣成した。

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