出島和蘭商館跡

出島和蘭商館址[指定史蹟]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

長崎駅の南、市内出島町にあります。この地はもと扇島と呼ばれ、扇形をした小島で、江戸時代前期の寛永11年(1634年)江戸幕府が長崎商人に命じてポルトガル人のために海中に埋築させたところです。同13年(1636年)竣工してポルトガルの商館を対岸からここに移しましたが、同16年(1639年)に至ってポルトガル人の通商を禁じ退去を命じたため一時空屋となり、同18年(1641年)平戸からオランダ人を移してその商舘としました。以来安政元年(1854年)神奈川条約締結に至るまで日本における唯一の海外貿易場でした。ヨーロッパにおいてナポレオン一世が威を振るっていた時代、オランダ国旗の掲げられたのはこの地のみであったといいます。当時島の中央から現在の通路を進み江戸町に向かい、突き当りに橋を架けて内地と唯一の交通路とし、出入を厳格にしました。明治19年(1886年)および32~33年(1899~1900年)両度の長崎港湾修築以後現状のようになりましたが、当時の遺構として扇形の町並み、通路、河岸、2~3の石塀、倉庫等があります。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
出島古図

令和に見に行くなら

名称
出島和蘭商館跡
かな
でじまおらんだしょうかんあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
長崎県長崎市江戸町8
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

長崎驛の南方、市內出島町にある。この地はもと扇島と呼ばれ、扇形を成した小島で、寬永十一年江戶幕府が長崎商人に命じて葡萄牙人のために海中に埋築せしめた所である。同十三年工竣りて葡萄牙の商館を對岸からこゝに移したが、同十六年に至つて葡萄牙人の通商を禁じ退去を命じたため一時空屋となつたが、同十八年平戶から和蘭人を移してその商舘となした。爾來安政元年神奈川條約締結に至るまで我が國に於ける唯一の海外貿易場であつた。歐洲に於てナポレオン一世威を振ふ時に當り、和蘭國旗の揭げられたのはこの地のみであつたと云ふ。當時島の中央から今の通路を進み江戶町に向ひ、突當りに橋を架して內地と唯一の交通路となし、出入を嚴にした。明治十九年及三十二、三年兩度の長崎港灣修築以後現狀の如くなつたが、當時の遺構として扇形の町竝、通路、河岸、二、三の石塀、倉庫等がある。

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