長崎聖堂跡

聖堂址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

長崎駅の東、伊勢町銭屋橋の袂にあります。創建は江戸時代前期の正保の頃(1644~1648年)ですが、その後変遷を経て、現在は往時の一部分を残すに過ぎません。聖堂は儒学を学ぼうとするものに対し唯一の宝庫でした。聖堂のなかで大学門と呼ばれる正門はその扉面に大学の文句が一面に彫り付けられ、この文字は中国人呂華の筆です。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
長崎聖堂跡
かな
ながさきせいどうあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
長崎県長崎市伊勢町4
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

長崎驛の東方、伊勢町錢屋橋の袂にある。創建は正保の頃であるが、その後變遷を經て、今は往時の一部分を存するに過ぎない。聖堂は儒學を學ばんとするものに對し唯一の寶庫であつた。聖堂中大學門と呼ばれる正門はその扉面に大學の文句が一面に彫り付けられ、この文字は支那人呂華の筆である。

長崎のみどころ