鹿谷寺跡

鹿谷寺址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

大阪鉄道太子口喜志の東13km、山田村大道、竹内峠の頂上に近く、街道から北に入った小径のそばにあります。凝灰岩のような岩石が露出した平坦地の中央に、高さ約4mあまりの十三重塔を彫り出し、塔の東に浅い石窟があり、その東側の磨崖面に三尊仏坐像の線彫があり、また西側には摩損した半肉彫仏像等があります。塔と三尊仏とはともに様式上奈良末期もしくは平安時代初期のものと思われます。またこの東にある当麻に通ずる旧道のそばにある岩屋峠の石窟の内部には、石塔を彫り残し、弥陀三尊等を壁面に刻し、阿弥陀の窟と称し、中将姫が当麻曼荼羅を織った場所と伝わっています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
鹿谷寺跡
かな
ろくたんじあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府南河内郡太子町山田
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同太子口喜志の東一三粁、山田村大道、竹內峠の頂上に近く、街道から北方に入りたる小徑の傍にある。凝灰岩樣の岩石が露出した平坦地の中央に、高約四米餘の十三重塔を彫り出し、塔の東方に淺い龕ありて、その東側の磨崖面に三尊佛坐像の線彫あり、また西側には摩損した半肉彫佛像等がある。塔と三尊佛とは共に樣式上奈良末期若くは平安時代初期のものと思はれる。またこの東方にある當麻に通ずる舊道の傍にある岩屋峠の石窟の內部には、石塔を彫り殘し、彌陀三尊等を壁面に刻し、阿彌陀の窟と稱し、中將姬の當麻曼荼羅を織つた場所と俗傳されて居る。

南河内地方のみどころ