土師神社(道明寺天満宮)

土師神社
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

大阪鉄道道明寺の西北300m、道明寺村字道明寺にあります。道明寺天満宮と呼ばれ、菅原道真、天穂日命、菅原麗寿を祀ります。朱雀天皇が平安時代の天慶年中(938~947年)菅原道真を北野に祀らせた頃、ここにも天満宮が創立され、その木像を道明寺から遷して祀り、ついで天穂日命と道真の伯母覚寿尼を合祀しました。もと道明寺と同じ境内にありましたが、明治5年神仏分離の際、道明寺は境外に移転し、同時に今の社号となりました。神宝の銀装革帯一条および、玳瑁装牙櫛一枚があり、革帯は革を2枚合せ、その上下の両端に各々麻の捻糸を通して心とし、中央を二筋の糸目が見える様に縫い黒漆を塗り、これに金属有文の巡方を装った礼服の帯です。帯は破損して三条になっていますが、巡方金物の十三列んだのが中央で、他の二条がその左右に繋がるものです。巡方すなわち長方形の銀鍍金々具が15個あります。その文様は変わったもので、狩猟に因んだ騎馬人物、鳥獣等を表し、中央に水晶を嵌装した全く唐式のもので、菅公が使用したという伝説もその時代の遺品としてありうることです。櫛も同時代のもので象牙製峯と裏表両側面にべっこうで花文を嵌入し、漆でその蔓草を描いています。上代服飾の遺品は非常に少ないなか、この2品のような特に平安時代のものなどは最も貴重で、ともに国宝に指定されています。境内に宝庫があり、社宝類を陳列しています。境内大鳥居の向かって右側に鎌倉時代の康元2年(1257年)の銘のある石灯籠があります。

なお社前の西側に礎石が数個あり、一個は大形で中央に径約60cmの円柱孔があり、その外方に向かって小溝があります。毎年11月道明寺の塔供養として、読経の仏事が行われます。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
土師神社(道明寺天満宮)
かな
はじのじんじゃ(どうみょうじてんまんぐう)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
備考
昭和27年(1952年)に土師神社から道明寺天満宮へ正式名称を改めています。
住所
大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同道明寺の西北三〇〇米、道明寺村字道明寺にある。道明寺天滿宮と呼び、菅原道眞、天穗日命菅原麗壽を祀る。朱雀天皇の天慶年中菅原道眞を北野に祀らしめ給うた頃、こゝにも天滿宮が創立せられ、その木像を道明寺から遷し祀り、ついで天穗日命と道眞の伯母覺壽尼を合祀した。もと道明寺と同境內であつたが、明治五年神佛分離の際、道明寺は境外に移轉し、同時に今の社號となつた。神寶の銀裝革帶一條及び、玳瑁裝牙櫛一枚あり、革帶は革を二枚合せ、その上下の兩端に各々麻の捻絲を通して心となし、中央を二筋の絲目の見ゆる樣に縫ひ黑漆を塗り、これに金屬有文の巡方を裝うた禮服の帶である。帶は今破損して三條になつて居るが、巡方金物の十三列んだのが中央で、他の二條がその左右に繋がるのである。巡方卽ち長方形の銀鍍金々具が十五個ある。その文樣奇古にして、狩獵に因んだ騎馬人物、鳥獸等を表はし、中央に水晶を嵌裝した全く唐式のもので、菅公佩用と云ふ傳說はその時代の遺品として首肯される。櫛も同時代のもので象牙製峯と裏表兩側面に鼈甲を以て花文を嵌入し、漆を以てその蔓草を描いて居る。上代服飾の遺品甚だ乏しきに、この二品の如き特に平安時代のものとして最も重寶すべく、共に國寶に指定されて居る。境內に寶庫あり、社寶類を陳列して居る。境內大鳥居の向つて右側に康元二年の銘ある石燈籠がある。

尙社前の西側に礎石數個存し、一箇は大形で中央に徑約六〇糎の圓柱孔があり、その外方に向つて小溝を有して居る。每年十一月道明寺の塔供養と稱し、讀經の佛事が行はれる。

南河内地方のみどころ