延命寺

延命寺[眞言宗御室派]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

南海電車高野線三日市町の東南2.5km、川上村鬼住にあります。江戸時代前期の延宝(1673~1681年)の頃覚彦(浄厳)が旧宅を捨てて寺としたものです。覚彦は江戸時代中期の元禄4年(1691年)に徳川綱吉に謁見し江戸に霊雲寺を創設した人です。本尊の木造釈迦如来立像は清涼寺式で、鎌倉時代の作、釈迦堂に安置されています。寺宝の兜率天曼荼羅図は絹本著色で、残っているのが稀な弥勒菩薩の兜率浄土の描写で、かつこの図は実景として鳥瞰的に画かれ、金殿玉楼をこれに配し、仏菩薩の設法、供養、歌舞往来の様を仔細に描いた珍品です。截金を交えた彩色は真に絢爛なもので、鎌倉時代の作品で本尊とともに国宝に指定されています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
延命寺
かな
えんめいじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府河内長野市神ガ丘492
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同三日市町の東南二粁半、川上村鬼住にある。延寶の頃覺彥(淨嚴)故宅を捨てゝ寺となしたもので、覺彥は元祿四年に德川綱吉に謁し江戶に靈雲寺を創めた人である。本尊木造釋迦如來立像は淸涼寺式で、鐮倉時代の作に係り、釋迦堂に安置され、寺寶の兜率天曼荼羅圖は絹本著色で彌勒菩薩の兜率淨土の描寫はその遺品が稀有であつて、且この圖は實景として鳥瞰的に畫かれ、金殿玉樓をこれに配し、佛菩薩の設法、供養、歌舞往來の樣を仔細に描かれた珍品である。截金を交へた彩色は眞に絢爛なもので、鐮倉時代の作品で本尊と共に國寶に指定されて居る。

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