観心寺

觀心寺[眞言宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

南海電車高野線長野の東南約3.5km、川上村大字寺元にあり、自動車の便があります。

飛鳥時代の大宝年間(701~704年)の創建と伝わり、はじめは雲心寺と称しましたが僧空海がこれを再興して観心寺と改め、その弟子実慧に託したので実慧を開山としているといいます。実慧の弟子真紹は大いに伽藍を造営し、平安時代の承和年中(834~848年)定額寺に列し、歴朝皇室の帰依が厚いところでした。吉野朝の頃には楠木氏との関係が特に深く、室町時代の正平15年(1360年)後村上天皇はこの寺を行在所とされました。現在表門を入って右側の池に、「後村上天皇御旧址」と記した碑が立っているのは、その跡を表したものです。その後安土桃山時代の慶長年間(1596~1615年)には豊臣秀頼が、片桐且元を奉行として堂宇を修理させました。

現存諸堂中の古建築には本堂、訶梨帝母天堂および書院があり、その他優秀な古仏像を多く安置しています。

本堂[国宝] 寺記によると後醍醐天皇建武中興に際し、楠木正成を奉行として再建されたもので、その構造様式には唐様、和様、天竺様を自由に取り入れ、よく折衷統一の功を奏し、特に観心寺様と称され、鎌倉末期の優秀な代表的建築となっています。七間七面単層入母屋造本瓦葺で正面に三間の向拝があり、桝紙は主として和様三斗組を用い、随所に唐様を混ぜ、桝組の間には特に双斗を用いています。前面には桟唐戸を用い、周囲に廻縁をめぐらしています。内部は前方の七間二面が外陣で、残りの七間五面が内陣になっています。内外両陣の境は格子戸によって区切られ、内陣には奥壁に接して須弥壇があり、壇上には厨子があります。厨子の中央には国宝の如意輪観音像を、また左右には同じく国宝の不動および愛染明王の像を安置し、須弥壇の四隅には四天王像を安置しています。須弥壇の前面には三個の大壇を置き、その左右両側には両界曼荼羅を描いた板壁を造り付けています。密教道場として実に森厳荘重の設備を具備しています。

如意輪観音坐像[国宝] 本堂安置の本尊にして平安時代の元慶6年(882年)のこの寺縁起資財帳に記載のあるものです。木造著色、高さ108cm、六臂半跏の坐像で、六臂中の一手をもって頬を支え、思惟の相を現し、面貌や姿態は豊麗にして霊妙な表情が漂っています。頭上には寳珠および雲形を透彫した金箔押の宝冠を戴き、腕には金属製の釧を着けています。全体の作風は神護寺の五大虚空蔵像などによく似たもので、本像に附属する八重の台座の蓮弁には極めて優美な繧繝彩色が残っています。平安初期に発達した密教仏像のなかでも稀に見る優秀な傑作で、正に海内無比の霊像です。左右の愛染明王と不動明王の両像は鎌倉末期の作で国宝です。

愛染明王像[国宝] 本堂の厨子内に安置されています。木造、鎌倉時代末期の作で、後村上天皇の御念持仏と伝わっています。

四天王像[国宝] 本堂の須弥壇上に安置されています。木造著色、多聞持国の二天、広目増長の二天各2体ずつ対をなして、別手のものを取合せて四天としたもので、高さはいずれも150cmほどで、平安時代初期木彫の雄大な刀法を示した像で、面貌や姿態ともに一種の特色をもち鈍重ながら荘重な形相を現しています。

観音立像[国宝] 5体あり、本堂内陣の一隅に陳列、寳蔵内の三観音とともに八観音像と呼ばれます。いずれも木造で高さ121~182cm、刀法は力強くよく弘仁式仏像の特徴を伝えています。

地蔵菩薩立像[国宝] 本堂内陣の一隅に前記観音像とともに陳列されています。衣に朱色を施し、袈裟には宝相華文が残存し、手法雄大にして弘仁式の特徴を示しています。

薬師、釈迦、宝生および弥勒像[国宝] これらの諸像も本堂内陣の一隅に陳列されています。木造漆箔、藤原時代の作でよく保存されています。

鉄灯籠[国宝] 本堂の庭前に立っています。鉄製の鋳物で高さ約197cm、笠および火舎ともに円形で、四方の格子には四天王像を鋳出しています。竿の鋳出銘に貞永二年願主沙門良心大工大原光為とあって製作年代と作者が明らかとなっています。

塔婆 本堂の東南にあり、楠木正成建掛塔と称し、初重のみが残っています。

詞梨帝母天堂[国宝] 本堂に至る石段の右手にあり、室町時代の天文年間(1532~1555年)の再建で一間社檜皮葺春日造の小建築ですが、蟇股、欄間、手挟、木鼻等に見るべきものがあります。

書院[国宝] 庫裡に接続して建っています。七間五面、単層、屋根入母屋造、本瓦葺、虹梁の彫刻、欄間の意匠などに、桃山時代書院造の特徴を示しています。

宝庫 表門を入って左側にあり、次に陳列品の主要なものを列挙します。

  • 如意輪観音坐像[国宝] 一体 木造彩色、高さ約60cm、相好は優美で藤原時代の作です。
  • 聖観音立像[国宝] 二体 木造、高さ約182cm、漆箔その他の彩色が残り、形相は雄大でよく弘仁時代の手法を伝えています。
  • 十一面観音立像[国宝] 一体 木造彩色、高さ約182cm、弘法大師の作と伝わる弘仁時代の優秀な作です。
  • 聖僧坐像[国宝] 一体 木造著色、高さ約45cm、資財帳に唐聖僧像とあるのがこの像で鼻高く、峻烈な表情をしていて、衣紋の彫法は簡素で平安時代一木彫の力強い特徴を伝えています。厨子は室町時代の作で、小堂の形をしていて、正面に唐戸を付け、方立に唐草の彫刻をもつ優美な作です。
  • 観音菩薩立像[国宝] 二体 金銅製、大きなものは高約36cm、小さなものは高さ約18cm、奈良時代の作です。
  • 如意輪観音半珈像[国宝] 一体 金鋼製高さ24cm、奈良朝前期の作と思われますが、その表情、衣文および肢体の釣合などになお推古仏の古拙を残しています。
  • 釈迦如来半跏像[国宝] 一体 金銅製、高さ35cm、方形の台座上に坐し、右手で衣の一端を胸側に引き上げているのは、稀に見る自由な形相ですが、なお推古仏に見る古拙な様式を伝え、奈良時代前期の作と思われます。
  • 大随求像[国宝] 一幅 絹本著色、彩色美しく精巧な藤原末期の作品です。
  • 腹巻[国宝] 一領 藍革肩赤威、稲本正成所用と伝わり、小形で金具には菊の一折枝を現しています。
  • 金鋼花瓶[国宝] 一箇 台に和鏡を応用しています。
  • 観心寺勘録資財帳[国宝] 一巻 紙本墨書、元慶6年に当寺の縁起資財を勘録したもので、創立後間もない時代の寺観をうかがうことができます。
  • 写経 二百十四巻 高野山に藤原秀衡が寄進した一切経の分巻です。
  • 古文書 楠木氏の関係から吉野朝の文書や正成自筆の文書が多数に所蔵されています。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
観心寺如意輪観音像

令和に見に行くなら

名称
観心寺
かな
かんしんじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府河内長野市寺元475
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同長野の東南約三粁半、川上村大字寺元にあり、自動車の便がある。

大寶年閒の創建と傳へ、はじめは雲心寺と稱したが僧空海これを再興して觀心寺と稱し、その弟子實慧に附したので實慧を開山として居ると云ふ。實慧の弟子眞紹は大に伽藍を造營し、承和年中定額寺に列し、歷朝皇室の御歸依が厚かつた。吉野朝の頃には楠木氏との關係が特に深く、正平十五年後村上天皇當寺を以て行在所となし給うた。今表門を入りて右側の池中に、「後村上天皇御舊址」と刻せる碑の建てるは、その跡を表せるものである。その後慶長年閒には豐臣秀賴、片桐且元を奉行として堂宇を修理せしめた。

現存諸堂中の古建築には本堂、訶梨帝母天堂及書院があり、その他優秀な古佛像を多く安置して居る。

本堂[國寶] 寺記によると後醍醐天皇建武中興に際し、楠木正成を奉行として再建されたもので、その構造樣式には唐樣、和樣、天竺樣を自由に取り入れ、よく折衷統一の功を奏し、特に觀心寺樣と稱され、鐮倉末期の優秀な代表的建築である。七閒七面單層入母屋造本瓦葺で正面に三閒の向拜があり、桝紙は主として和樣三斗組を用ゐ、隨所に唐樣を混じ、桝組の閒には特に雙斗を用ゐて居る。前面には棧唐戶を用ゐ、周圍に廻緣をめぐらして居る。內部は前方の七閒二面が外陣で、殘りの七閒五面が內陣になつて居る。內外兩陣の境は格子戶によつて限られ、內陣には奧壁に接して須彌壇があり、壇上には厨子がある。厨子の中央には國寶の如意輪觀音像を、また左右には同じく國寶の不動及愛染明王の像を安置し、須彌壇の四隅には四天王像を安置して居る。須彌壇の前面には三個の大壇を置き、その左右兩側には兩界曼荼羅を描いた板壁を造り付けて居る。密敎道場として實に森嚴莊重の設備を具備して居る。

如意輪觀音坐像[國寶] 本堂安置の本尊にして元慶六年勘錄の當寺緣起資財帳所載のものである。木造著色、高さ三尺五寸九分、六臂半跏の坐像で、六臂中の一手を以て頬をさゝへ、思惟の相を現はし、面貌姿態豐麗にして靈妙な表情が漂つて居る。頭上には寳珠及雲形を透彫した金箔押の寶冠を戴き、腕には金屬製の釧を著けて居る。全體の作風は神護寺の五大虛空藏像などによく似たもので、本像に附屬する八重の臺座の蓮瓣には極めて優美な繧繝彩色が殘つて居る。平安初期に發達した密敎佛像中稀に見る優秀な傑作で、正に海內無比の靈像である。左右の愛染明王と不動明王の兩像は鐮倉末期の作で國寶である。

愛染明王像[國寶] 本堂の厨子內に安置されて居る。木造、鐮倉時代末期の作で、後村上天皇の御念持佛と傳へて居る。

四天王像[國寶] 本堂の須彌壇上に安置されて居る。木造著色、多聞持國の二天、廣目增長の二天各二軀づゝ對をなして、別手のものを取合せて四天としたもので、高さは何れも五尺內外あり、平安時代初期木彫の雄大な刀法を示した像で、面貌姿態ともに一種の特色を有し鈍重ながら莊重な形相を現はして居る。

觀音立像[國寶] 五體あり、本堂內陣の一隅に陳列寳藏內の三觀音と共に八觀音像と稱して居る。何れも木造にして高さ四尺乃至六尺、刀法遒勁にしてよく弘仁式佛像の特徵を傳へて居る。

地藏菩薩立像[國寶] 本堂內陣の一隅に前記觀音像と共に陳列されて居る。衣に朱色を施し、袈裟には寶相華文が殘存し、手法雄大にして弘仁式の特徵を示して居る。

藥師、釋迦、寶生及彌勒像[國寶] これ等の諸像も本堂內陣の一隅に陳列されて居る。木造漆箔、藤原時代の作でよく保存されて居る。

鐵燈籠[國寶] 本堂の庭前に建つて居る。鐵製の鑄物で高さ約六尺五寸、笠及火舍ともに圓形をなし、四方の格子には四天王像を鑄出して居る。竿の鑄出銘に貞永二年願主沙門良心大工大原光爲とあつて製作年代と作者を明かにされて居る。

塔婆 本堂の東南にあり、楠木正成建掛塔と稱し、初重のみを存して居る。

詞梨帝母天堂[國寶] 本堂に至る石段の右手にあり、天文年閒の再建にして一閒社檜皮葺春日造の小建築であるが、蟇股、欄閒、手挾、木鼻等見るべきものがある。

書院[國寶] 庫裡に接續して建つて居る。七閒五面、單層、屋根入母屋造、本瓦葺、虹梁の彫刻、欄閒の意匠等に、桃山時代書院造の特徵を示して居る。

寶庫 表門を入つて左側にあり、左に陳列品の主要なるものを列擧する。

  • 如意輪觀音坐像[國寶] 一躯 木造彩色、高さ約二尺、相好頗る優美にして藤原時代の作である。
  • 聖觀音立像[國寶] 二躯 木造、高さ約六尺、漆箔その他の彩色殘存し、形相雄大にしてよく弘仁時代の手法を傳へて居る。
  • 十一面觀音立像[國寶] 一躯 木造彩色、高さ約六尺、弘法大師の作と傳ふる弘仁時代の優秀な作である。
  • 聖僧坐像[國寶] 一躯 木造著色、高さ約一尺五寸、資財帳に唐聖僧像とあるのがこの像で鼻高く、峻烈な表情を有し、衣紋の彫法は簡素にして平安時代一木彫の力强い特徵を傳へて居る。厨子は室町時代の作で、小堂の形をなし、正面に唐戶を附し、方立に唐草の彫刻を有する優美な作である。
  • 觀音菩薩立像[國寶] 二躯 金銅製、大なるは高約一尺二寸、小なるは高さ約六寸、奈良時代の作である。
  • 如意輪觀音半珈像[國寶] 一躯 金鋼製高さ六寸二分、奈良朝前期の作と思はれるが、その表情、衣文及び肢體の釣合等に尙推古佛の古拙を存して居る。
  • 釋迦如來半跏像[國寶] 一躯 金銅製、高さ一尺一寸五分、方形の臺座上に坐し、右手を以て衣の一端を胸側に引き上げて居るのは、稀に見る自由な形相であるが、尙推古佛に見る古拙な樣式を傳へ、奈良時代前期の作と思はれる。
  • 大隨求像[國寶] 一幅 絹本著色、彩色美しく精巧な藤原末期の作品である。
  • 腹卷[國寶] 一領 藍革肩赤威、稻本正成所用と傳へ、小形にして金具には菊の一折枝を現はして居る。
  • 金鋼花甁[國寶] 一箇 臺に和鏡を應用して居る。
  • 觀心寺勘錄資財帳[國寶] 一卷 紙本墨書、元慶六年に當寺の緣起資財を勘錄したもので、創立後閒もない時代の寺觀がうかゞはれる。
  • 寫經 二百十四卷 高野山に藤原秀衡の寄進した一切經の分卷である。
  • 古文書 楠木氏の關係から吉野朝の文書や正成自筆の文書が多數に藏せられて居る。

南河内地方のみどころ