聖徳太子磯長墓(叡福寺北古墳)

聖德太子磯長御墓
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

叡福寺の東北に続く丘陵の南腹に築いた大形円形墳です。もと太子の御生母穴穂部間人皇后の陵でしたが、推古天皇の30年太子は斑鳩宮で亡くなられ、妃膳臣女皇女もまた相次いで亡くなられたので、太子と妃とをあわせてこの陵内に葬り、世に三骨一廟と称し、墳丘中に三石棺を安置した石室があり、その入口の前面に屋宇を架しています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
聖徳太子磯長墓(叡福寺北古墳)
かな
しょうとくたいししながのはか(えいふくじきたこふん)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府南河内郡太子町太子2146 叡福寺内
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

叡福寺の東北に續く丘陵の南腹に築いた大形圓形墳である。もと太子の御生母穴穗部閒人皇后の御陵であつたが、推古天皇の三十年太子斑鳩宮に崩じ給ひ、妃膳臣女皇女また相次いで薨ぜられたので、太子と妃とを合せてこの御陵內に葬り、世に三骨一廟と稱し、墳丘中に三石棺を安置した石室があり、その入口の前面に屋宇を架して居る。

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