誉田八幡宮

譽田神社(譽田八幡宮)[府社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

大阪鉄道誉田の北0.5km、古市町誉田、応神天皇陵の南にあります。品陀別命、帯中彦命、表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長帯姫命を祀ります。朝廷からの崇敬が厚く、後冷泉天皇の御代に宮殿を新たに造営されたと伝わります。鎌倉時代の建久7年(1196年)源頼朝が社頭を修造し、神与、長刀、神馬等を寄進しました。豊臣秀吉は神領を寄せ徳川氏はさらに山年貢の寄進がありました。当時本地堂は護国寺と称し、本尊阿弥陀仏を安置、奥院は宝蓮華寺と呼び真言宗に属し、かなり荘麗だったといいます。

  • 宝物
  • 神功皇后縁起[国宝] 紙本著色 二巻
  • 誉田宗暦縁起[国宝] 紙本著色 三巻
  • ともに本社の縁起を書いたもので、両者ともに足利義教の寄進になり、巻末に永享五年孟夏廿一日征夷大将軍左大臣兼右近衛大将源朝臣(花押)の奥書があります。書も衰退期の大和絵としては、将軍家の依頼であるので丹誠を凝らして描いた点は、特に見るべきものがあります。その服飾や風俗はその当時の風俗を反映せず、すべて室町時代の様式となっています。なお同じ奥書をもつ同じ縁起は山城男山八幡宮に所蔵されています。
  • 髹漆螺鈿鍍金装神輿[国宝] 一基 鎌倉初期製作の神輿として、頂上の鳳凰をはじめ金具装飾などすべて完備し、貴重な遺品です。
  • 劔[国宝] 銘真守 遊就館出陳 一口
  • 金鋼鞍金具 応神天皇陵付近で出土 一個
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
誉田八幡宮
かな
こんだはちまんぐう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府羽曳野市誉田3-2-8
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同譽田の北半粁、古市町譽田、應神天皇御陵の南にあり。品陀別命、帶中彥命、表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長帶姬命を祀る。歷朝崇敬厚く、後冷泉天皇の御代宮殿を新に造營し給うたと云ふ。建久七年源賴朝社頭を修造し、神與、長刀、神馬等の寄進あり、豐臣秀吉神領を寄せ德川氏更に山年貢の寄進があつた。當時本地堂は護國寺と稱し、本尊阿彌陀佛を安置、奧院は寶蓮華寺と呼び眞言宗に屬し、結構莊麗であつたと云ふ。

  • 寶物
  • 神功皇后緣起[國寶] 紙本著色 二卷
  • 譽田宗曆緣起[國寶] 紙本著色 三卷
  • 共に本社の緣起を書いたもので、兩者共に足利義敎の寄進にかゝり、卷末に永享五年孟夏廿一日征夷大將軍左大臣兼右近衞大將源朝臣(花押)の奧書あり。書も衰頺期の大和繪としては、將軍家の御用だけに丹誠を凝らして揮灑した點は、殊に見るべきである。その服飾風俗等は時代風俗には全く無關心で、總て室町時代の樣式である。尙同じ奧書を有する同じ緣起は山城男山八幡宮に所藏されて居る。
  • 髹漆螺鈿鍍金裝神輿[國寶] 一基 鐮倉初期製作の神輿として、頂上の鳳凰を始め金具裝飾等總て完備し、貴重なる遺品である。
  • 劔[國寶] 銘眞守 遊就館出陳 一口
  • 金鋼鞍金具 應神天皇御陵附近出土 一個

南河内地方のみどころ