大徳寺
昭和初期のガイド文
市電大徳寺前下車、紫野大徳寺町にあります。後醍醐天皇の御世、鎌倉時代の元応元年(1319年)の創建と伝え、開山は大灯国師です。後次第に大きくなり、室町時代には五山の上位に位置づけられ、しばしば火災のために焼失しましたが、その都度再建され、現在の諸堂は文明年間(1469~1487年)に一休和尚によって復興され、江戸時代前期の寛文年間(1661~1673年)に完備されたものです。禅宗建築が最もよく整備された洛北第一の大伽藍で、境内の中軸を南北に勅使門、三門、仏殿、法堂、庫裡の主要建築が縦一列に並び、方丈は庫裡の東に接続して建っています。
勅使門[国宝] 安土桃山時代の天正18年(1590年)造営の皇居の南門を寛永17年(1640年)に賜ったもので、桃山時代の建築です。屋根は切妻造、檜皮葺で、前後に唐破風を付け、大きな割に軽く見えます。虹梁、肘木、懸魚等に当代一流の絵様彫刻を施し、欄間に嵌めた松竹梅の丸彫、笈形の牡丹の彫刻などに自由奔放な刀法を用いています。
三門[国宝] 勅使門の奥にあります。重層で五間三戸、左右に山廊を有しています。天正17年(1589年)に千利休が修造したものですが、下層は既に大永年中(1521~1528年)に着手されていたといいます。上層には唐様三手先詰組の桝組を用い、下層は単に出組です。木割はやや細く、大建築の割に雄大さがいくらか乏しい感じがあります。上層には釈迦三尊、十六羅漢および千利休像を安置しています。天井に描かれた雲竜の絵は長谷川等伯の筆です。
仏殿[国宝] 三門の奥に建っています。寛文5年(1665年)の再建で五間四面重層、屋根は入母屋造、本瓦葺唐様の建築です。
法堂[国宝] 仏殿の奥にあります。寛永13年(1636年)稲葉正則の再建で、桁行七間、梁間六間、重層、屋根は入母屋造本瓦葺唐様の大建築です。内部は瓦敷で正面に高い壇があります。天井の丸竜は狩野探幽の筆です。
庫裡および侍真寮[国宝] 法堂と廊下によって接続しています。文明年間の再建ともされ、また寛永13年方丈を新造した際に旧方丈をもって庫裡に改造したものだという説もあります。その様式は室町時代の特質を現しています。侍真寮は造営の当時、御所女官局の一部を下賜されたものとされ、その様式は室町時代に属しています。
方丈[国宝] 庫裡の東に続いています。寛永13年後藤益勝の建立、単層屋根入母屋造の建築で、もとは檜皮葺でしたが、今は桟瓦葺の建築です。前面と一方の側面とには広椽および落椽を設け、内部との仕切には桟唐戸、舞良戸、明障子を立て、天井は竿天井、間仕切の襖には狩野探幽筆の四季山水の水墨画が描かれています。前庭は小堀遠州の築造にかかる指定の名園で、はるかに東山三十六峯の景を取り入れたところにこの庭の生命があります。
唐門[国宝] 聚楽第の遺構と伝わる桃山時代の建築です。常山諸建築中特に注目に値するもので、勅使門と同様四脚切妻造ですが、前後の唐破風がずっと小さく、形もよく整い、妻および軒の反に力があり、当時の唐門中その形からいって恐らくこれにおよぶものはないでしょう。装飾は非常に自由であり、また豊富です。頭貫以上は随所に彫刻を充たし、丸彫の獅子、松に孔雀、滝に鯉魚などは、特に華麗な桃山式装飾美を発揮しています。
このほか国宝に指定された建造物に浴室と経蔵があります。浴室は江戸時代前期の元和8年(1622年)の建築で、三門の東にあり、経蔵は慶長14年(1609年)益田元祥の建立で、浴室の北にあります。
- 宝物
- 大灯国師像[国宝] 一幅 絹本著色、建武元年の自賛があります。大灯国師は大徳寺の開山で鎌倉の末にあたり、花園、後醍醐天皇の御帰依が厚かった巨匠です。この肖像画はその寿像で、大和絵風の筆致をもって非常に写実的に描寛された日本の肖像画の名品です。
- 大灯国師像[国宝] 一幅 絹本著色、これも同じく大和絵の手法をもって描いたもので国師在世中の寿像でしょう。
- 後醍醐天皇御像[国宝] 一幅 絹本著色、御在世中の真影と思われます。
- 十王図[国宝] 十幅 絹本著色、南宋十王図の標本で、非常に濃厚な彩色が施されています。
- 楊柳観音像[国宝] 二幅 絹本著色、中国画で元末、明初頃の作です。
- 五百羅漢像[国宝] 八十二幅 絹本著色、林庭珪周季常等筆。この画は画中の記文によって南宋の淳熙5年に明州恵安院の僧義紹の勧縁によって同院に寄進されたものであることが知られます。このように製作の時と場所が明かな羅漢画の大作として最も珍重されています。82幅中20幅が京都奈良両博物館へ出陳されています。
- 竜虎図[国宝] 絹本墨画 伝牧渓筆 一幅
- 楊柳観音像[国宝] 絹本著色
- 運庵和尚像[国宝] 絹本著色、嘉定十一年自賛 一幅
- 虚堂和尚像[国宝] 絹本著色、成淳改元自賛 一幅
- 大応国師像[国宝] 絹本著色、正応改元自賛 一幅
- 養叟和尚像[国宝] 紙本淡彩 文清筆 享徳元年九月養叟自賛 一幅
- 楊岐和尚像[国宝] 紙本淡彩 文清筆 養叟賛 一幅
- 後醍醐天皇宸翰[国宝] 紙本墨書 元弘三年八月廿四日 一幅
- 後醍醐天皇大灯国師御問答[国宝] 紙本墨書 二幅
- 次の宝物は京都博物館出陳
- 中観音左右猿鶴図[国宝] 絹本墨画 牧渓筆 三幅
- 竜虎図[国宝] 絹本水墨 牧渓笵 二幅
- 楊柳観音像[国宝] 絹本著色 一幅
- 柏鷹蘆鶯図[国宝] 紙本墨画 二直庵筆 六曲屏風 一双
令和に見に行くなら
- 名称
- 大徳寺
- かな
- だいとくじ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 京都府京都市北区紫野大徳寺町53
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市電大德寺前下車、紫野大德寺町にある。後醍醐天皇の御世、元應元年の創建と傳へ、開山は大燈國師である。後次第に大を致し、室町時代には五山の上位に居り、屢火災のために燒失したが、その都度再建され、現今の諸堂は文明年閒に一休和尙によつて復興され、寬文年閒に完備したものである。禪宗建築の最もよく具備した洛北第一の大伽藍で、境內の中軸を南北に敕使門、三門、佛殿、法堂、庫裡の主要建築が竪一列に竝び、方丈は庫裡の東に接續して建つて居る。
敕使門[國寶] 天正十八年造營の皇居の南門を寬永十七年に賜つたもので 桃山時代の建築である。屋根は切妻造、檜皮葺で、前後に唐破風を附け、大なる割合に輕く見える。虹梁、肘木、懸魚等に當代一流の繪樣彫刻を施し、欄閒に嵌めた松竹梅の丸彫、笈形の牡丹の彫刻などに自由奔放な刀法を用ゐて居る。
三門[國寶] 敕使門の奧にある。重層で五閒三戶、左右に山廊を有して居る。天正十七年に千利休が修造したものであるが、下層は既に大永年中に始められて居たと云ふ。上層には唐樣三手先詰組の桝組を用ゐ、下層は單に出組である。木割稍細く、大建築の割合に雄大の氣が幾分乏しい感を與へて居る。上層には釋迦三尊、十六羅漢及千利休像を安置して居る。天井に描かれた雲龍の繪は長谷川等伯の筆である。
佛殿[國寶] 三門の奧に建つて居る。寬文五年の再建で五閒四面重層、屋根は入母屋造、本瓦葺唐樣の建築である。
法堂[國寶] 佛殿の奧にある。寬永十三年稻葉正則の再建で、桁行七閒、梁閒六閒、重層、屋根は入母屋造本瓦葺唐樣の大建築である。內部は瓦敷で正面に高い壇がある。天井の丸龍は狩野探幽の筆である。
庫裡及侍眞寮[國寶] 法堂と廊下によつて接續して居る。文明年閒の再建とも稱し、また寬永十三年方丈を新造した時舊方丈を以て庫裡に改造したものならんと云ふ說もある。その樣式は室町時代の特質を現はして居る。侍眞寮は造營の當時、御所女官局の一部を下賜されたものと稱し、その樣式は室町時代に屬して居る。
方丈[國寶] 庫裡の東に續いて居る。寬永十三年後藤益勝の建立、單層屋根入母屋造の建築で、もとは檜皮葺であつたが、今は棧瓦葺の建築である。前面と一方の側面とには廣椽及落椽を設け、內部との仕切には棧唐戶、舞良戶、明障子を立て、天井は竿天井、閒仕切の襖には狩野探幽筆の四季山水の水墨畫が描かれて居る。前庭は小堀遠州の築造にかゝる指定の名園で、遙に東山三十六峯の景を取り入れた所にこの庭の生命がある。
唐門[國寶] 聚樂第の遺構と傳ふる桃山時代の建築である。常山諸建築中特に注意を値するもので、敕使門と同樣四脚切妻造であるが、前後の唐破風がずつと小さく、形もよく整ひ、妻及軒の反に力があり、當時の唐門中その形から云つて恐らくこれに及ぶものはあるまい。裝飾は甚だ自由であり、また豐富である。頭貫以上は隨所に彫刻を充たし。丸彫の獅子、松に孔雀、瀧に鯉魚などは、特に華麗な桃山式裝飾美を發揮して居る。
この外國寶に指定された建造物に浴室と經藏がある。浴室は元和八年の建築で、三門の東にあり、經藏は慶長十四年益田元祥の建立で、浴室の北にある。
- 寶物
- 大燈國師像[國寶] 一幅 絹本著色、建武元年の自贊がある。大燈國師は大德寺の開山で鐮倉の末に當り、花園、後醍醐天皇の御歸依厚かつた巨匠である。この肖像畫はその壽像で、大和繪風の筆致を以て頗る寫實的に描寬された本邦肖像畫の一名品である。
- 大燈國師像[國寶] 一幅 絹本著色、これも同じく大和繪の手法を以て描いたもので國師在世中の壽像であらう。
- 後醍醐天皇御像[國寶] 一幅 絹本著色、御在世中の眞影と思はれる。
- 十王圖[國寶] 十幅 絹本著色、南宋十王圖の標本で、頗る濃厚な彩色が施されて居る。
- 楊柳觀音像[國寶] 二幅 絹本著色、支那畫で元末、明初頃の作である。
- 五百羅漢像[國寶] 八十二幅 絹本著色、林庭珪周季常等筆。この畫は畫中の記文によつて南宋の淳熙五年に明州惠安院の僧義紹の勸緣によつて同院に寄進されたものであることが知られる。かく製作の時と處の明かな羅漢畫の大作として最も珍重されて居る。八十二幅中二十幅宛京都奈良兩博物館へ出陳。
- 龍虎圖[國寶] 絹本墨畫 傳牧溪筆 一幅
- 楊柳觀音像[國寶] 絹本著色
- 運庵和尙像[國寶] 絹本著色、嘉定十一年自贊 一幅
- 虛堂和尙像[國寶] 絹本著色、成淳改元自贊 一幅
- 大應國師像[國寶] 絹本著色、正應改元自贊 一幅
- 養叟和尙像[國寶] 紙本淡彩 文淸筆 享德元年九月養叟自贊 一幅
- 楊岐和尙像[國寶] 紙本淡彩 文淸筆 養叟贊 一幅
- 後醍醐天皇宸翰[國寶] 紙本墨書 元弘三年八月廿四日 一幅
- 後醍醐天皇大燈國師御問答[國寶] 紙本墨書 二幅
- 左記寶物は京都博物館出陳
- 中觀音左右猿鶴圖[國寶] 絹本墨畫 牧溪筆 三幅
- 龍虎圖[國寶] 絹本水墨 牧溪笵 二幅
- 楊柳觀音像[國寶] 絹本著色 一幅
- 柏鷹蘆鶯圖[國寶] 紙本墨畫 二直庵筆 六曲屏風 一雙
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