元離宮二条城

二條離宮
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電堀川二条下車。離宮は旧二条城で慶長8年(1603年)徳川家康の築造によるもので、その後200年間、江戸幕府の京都鎮座の本拠でしたが、慶応3年(1867年)に徳川慶喜が大政奉還の策を決行したのもここでした。その後明治17年(1884年)宮内省に移管して離宮とし、大きく内外を補修して今日におよんでいます。

二条離宮の主要な建物は遠侍、大広間、黒書院、白書院の四棟からなり、それが順次連なり、その平面図はあたかも階段のような形をしています。

東大手門を入るとまず第一に壮大な唐門があります。四脚門で左右は切妻、前後に唐破風を有し、随所に精巧な彫刻の嵌装された極めて豪華な建築で、桃山城の遺構と伝えられています。この門を入ると宏大な御車寄があります。ここを上ると、遠侍入口の間で、三の間、二の間、若松の間、芙蓉の間および一の間があります。最も大きなものは一の間で76畳を敷き、金地の襖全部に竹に群虎の図を描いています。名筆とは言えませんが、構図に雄大豪壮な感があり、狩野派画家の描いたものといいます。なお北側には勅使の間があります。

大広間は遠侍の間から式台の間を過ぎて至ります。ここは将軍が謁見を受けたところで、上段の間には床、違棚、帳台飾および付書院があります。天井は二重折上格天井です。床には赤松を描き、襖はすべて金地で二の間、三の間、槍の間等に至るまで老松を写し、その規模は雄大にして梢は欄間に延びて高く空にそびえ、欄間の彫刻も桃山一流の自由豪華な意匠になるものが多く、よく広大な建築と調和しています。大広間の西側には林泉があります。なかに池があり、島を造り橋を架し、奇岩怪石を配して風致に富み、洛陽名苑中屈指のものと称されています。

黒書院は大広間から蘇鉄の間を過ぎて達します。ここは殿宇中で最も荘厳華麗な建築です。床の間の貼付絵には極彩色の雪松を描いています。緑青の濃彩色を加えた松の葉末は翠滴るような印象を与え、幹に胡粉を置いて雪景を思わせ、その間、紅梅を点描して景趣を添えています。袋戸棚の戸には山水を描き、上の壁には遠山の景を写し、帳堂飾には爛漫とした桜を描き、その桜樹の絵は連続して二の間におよんでいます。各所に使用された燦然とした金具、五彩の色鮮かな天井の文様は、四壁の彩画と相応じて、その華麗さは実に言いようがないものです。

白書院は黒書院の西北から細廊によって連ねられている建物で、将軍上洛の際寝室にあてられたところです。上段二の間、三の間、四の間に分かれ、その装飾は非常に瀟洒の趣を帯び、各室には山水若しくは花鳥画があって狩野典以の筆とされています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
二条離宮

令和に見に行くなら

名称
元離宮二条城
かな
もとりきゅうにじょうじょう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電堀川二條下車。離宮は舊二條城で慶長八年德川家康の築造にかゝり、その後二百餘年閒、江戶幕府の京都鎭座の本據であつたが、慶應三年に德川慶喜が大政奉還の策を決行したのもこゝであつた。その後明治十七年宮內省に移管して離宮となし、大いに內外を補修して今日に及んで居る。

二條離宮の主要な建物は遠侍、大廣閒、黑書院、白書院の四棟より成り、それが順次連り、その平面圖は恰も階段の如き形を成して居る。

東大手門を入ると先づ第一に壯大な唐門がある。四脚門で左右は切妻、前後に唐破風を有し、隨所に精巧な彫刻の嵌裝された極めて豪華な建築で、桃山城の遺構と傳へられて居る。この門を入ると宏大な御車寄がある。こゝを上ると、遠侍入口の閒で、三の閒、二の閒、若松の閒、芙蓉の閒及一の閒がある。最も大なるは一の閒で七十六疊を敷き、金地の襖全部に竹に群虎の圖を描いて居る。名筆とは稱し難いが、構圖雄大豪壯の感があり、狩野派畫家の描く所と云ふ。尙北側には敕使の閒がある。

大廣閒は遠侍の閒から式臺の閒を過ぎて至る。こゝは將軍が謁を受けた所で、上段の閒には床、違棚、帳臺飾及附書院がある。天井は二重折上格天井である。床には赤松を描き、襖はすべて金地で二の閒、三の閒、槍の閒等に至るまで老松を寫し、その規模雄大にして梢は欄閒に延びて亭々空に聳え、欄閒の彫刻も桃山一流の自由豪華な意匠に成るもの多く、よく廣大な建築と調和して居る。大廣閒の西側には林泉がある。中に池があり、島を造り橋を架し、奇岩怪石を配して風致に富み、洛陽名苑中屈指のものと稱されて居る。

黑書院は大廣閒から蘇鐵の閒を過ぎて達する。こゝは殿宇中最も莊嚴華麗な建築である。床の閒の貼附繪には極彩色の雪松を描いて居る。綠靑の濃彩色を加へた松の葉末は翠滴るが如き感を誘ひ、幹に胡粉を置きて雪景を思はせ、その閒、紅梅を點出して景趣を添へて居る。袋戶棚の戶には山水を描き、上の壁には遠山の景を寫し、帳堂飾には爛漫たる櫻を描き、その櫻樹の繪は連續して二の閒に及んで居る。各所に使用された燦然たる金具、五彩の色鮮かな天井の文樣は、四壁の彩畫と相應じて、その華麗實に云はんかたなき有樣である。

白書院は黑書院の西北から細廊によつて連ねられて居る建物で、將軍上洛の際寢室に充てられた所である。上段二の閒、三の閒、四の閒に分かれ、その裝飾は頗る瀟洒の趣を帶び、各室には山水若しくは花鳥畫ありて狩野典以の筆と稱せられて居る。

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