三条大橋

三條大橋
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電河原町三条下車、四条大橋、五条大橋と合わせて、鴨川の三大橋とされたものです。創設の年代は不明ですが、室町時代にはすでにありました。天正17年(1589年)豊臣秀吉がその家臣増田長盛に改造させたことがあります。長さ101m、幅約7m、欄干の擬宝珠は紫銅で造られ、当時の諸大名が寄附しました。明治維新後には14年(1881年)に改造し、同27年(1894年)に修理し、さらに45年(1912年)3月市区改正道路拡築の大方針に基づいて新たに築造に着手し、大正元年10月竣工しました。形式は旧観を維持していますが、幅員が大きく拡大したことにより天正の石柱は撤去して、新橋柱を用い、旧石柱は市中の神社、公園等に配布し、西詰にも記念物として保存してあります。擬宝珠は天正の分と大正改造の旨を銘した新造の分とを混用してあります。この橋は古来京都から起こる東海、東山、北陸等諸街道の起点となり、里程元標も西詰に建てられたほどで、行客が昼夜絶えず、これによって橋の東西に旅館旗亭が軒を並べています。近年京阪電車が橋東に停留場を設けてから、ますます交通の要衝となりました。

橋の東詰南側、前記停留場に接し、跪座してはるかに西山を拝する高山彦九郎の銅像があります。高さ180cm、基壇3.5m、高さ7mの台石上に立ち、正面に東郷元帥の揮毫による高山彦九郎正之の文字が彫刻されています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
三条大橋
かな
さんじょうおおはし
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
現在の橋は昭和25年(1950年)に架け替えられたものです。
住所
京都府京都市中京区、東山区
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電河原町三條下車、四條大橋、五條大橋と合せて、賀茂川の三大橋とされたものである。創設の年代は不明であるが、室町時代には既にあつた。天正十七年豐臣秀吉その臣增田長盛をして改造せしめたことがある。長さ一〇一米、幅約七米、欄干の擬寶珠は紫銅で造られ、當時の諸大名が寄附した。明治維新後には十四年に改造し、同二十七年に修理し、更に四十五年三月市區改正道路擴築の大方針に基づいて新に築造に着手し、大正元年十月竣工した。形式は舊に依つてあるが、幅員が著しく擴大したから天正の石柱は撤去して、新橋柱を用ゐ、舊石柱は市中の神社、公園等に配布し、西詰にも記念物として保存してある。擬寶珠は天正の分と大正改造の旨を銘せる新造の分とを混用してある。この橋は古來京都から起る東海、東山、北陸等諸街道の起點となり、里程元標も西詰に建てられた程であるから、行客絡繹として晝夜絕えず、隨つて橋の東西に旅館旗亭が軒を竝べて居る。近年京阪電車が橋東に停留場を設けてから、交通は益頻繁となつた。

橋の東詰南側、前記停留場に接し、跪座して遙に西山を拜する高山彥九郞の銅像がある。高さ一八〇糎、基壇三米半、高さ七米の臺石上に立ち、正面に東鄕元帥の揮毫にかゝる高山彥九郞正之の文字が彫刻されて居る。

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