北野天満宮

北野神社[官幣中社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電北野下車、菅原道真を祀り、古くは天満天神、天満大自在威徳天神、火雷天神とも呼ばれます。道真は学徳識見が高く、宇多天皇の殊遇を得、右大臣に昇進して天下の大事にあたりましたが、権臣の企みによって太宰府に左遷されました。平安時代の延喜3年(903年)2月道真が太宰府で客死して後、都に雷火、地震等の災厄が頻発したため朝廷はこれを恐れて道真のたたりと考え、道真の本官を戻し正二位を贈られました。村上天皇の天暦元年(947年)現在地に祠を建て、天徳3年(959年)に至り右大臣藤原師輔がさらに神殿を修築し、寛弘元年(1004年)に当社に行幸があって後、歴朝の行幸が絶えず、長く文学の神として崇敬され、今なお日本で最も有名な神社のひとつに数えられています。例祭は8月4日、10月1日には渡御祭があり、同月4日の還御祭は俗に瑞饋祭と称して大いに賑わいます。

現在の社殿は江戸時代前期の慶長12年(1607年)豊臣秀頼が片桐且元を普譜奉行として新たに造営したもので、本殿、拝殿のほかに中門、東門、廻廊、透塀、後門等を備えています。

中門(三光門)[国宝] 一の鳥居から二の鳥居および三の鳥居を経、素木造の楼門を入って絵馬堂の前を北に進むと正面にあるのが三光門です。四脚の唐門で前後に軒唐破風をもち、その上部に千鳥破風を懸け、左右は入母屋造になっています。正面に掲げられた天満宮の額は後西天皇の宸筆です。前後破風内および蟇股内には尾長鳥、孔雀、鳳凰、兎その他の彫刻を施し彩色を加えています。特に人目を惹くものは中央冠木の上に置かれた巨大な唐獅子の彫刻で、首を下げ尻を高くし、口を開き立髪を逆立てています。その形態雄壮、彩色も非常に濃艶で、よく桃山式の豪放な気分を現しています。

本殿[国宝] 本殿の前に拝殿、楽の間および石の間を備えた壮大な権現造で、屋根の形態が複雑なので八棟造の称があります。本殿は五間四面入母屋造檜皮葺、朱塗の建築で廻楼をもち、西側には長方形の孫廂すなわち脇殿があります。

石の間は五間一面、すなわち幣殿で、本殿の拝殿より一段低く、本殿と拝殿を接続するもので、権現造の重要な形式になっています。前後に巨大な蟇股があり、前方の蟇股には大きな虎の彫刻があります。

拝殿は七間三面、正面に千鳥破風および唐破風をもち、七間の向拝があります。その蟇股には各種の華麗な彫刻があり、手狭には牡丹、尾長鳥、雲に天人などの非常に精巧な彫刻があります。また前面高欄の擬宝珠には「右大臣豊臣朝臣秀頼公再興於北野天神聖廟是神前欄干金帽子也、慶長十二暦丁未霜月吉日片桐東市正且元奉旃」の銘文があります。拝殿の左右に楽の間が取付けて建ち各三間二面、拝殿よりも一段低くなっています。

社殿全体の構造は桃山時代末期における権現造の代表的建築にして複雑さのなかに正整の美を現した美建築で、仙台市の大崎八幡神社とともに権現造の双璧をなすものです。外部においては蟇股および彫刻を施した部分にのみ極彩色を施し、その他は全体朱塗で、華麗な点においては大崎八幡のそれに劣りますが、雄大な点においてはかえって勝っています。

廻廊、透塀、後門[国宝] 廻廊は切妻造檜皮葺で中門の左右に、透塀は本殿の周囲にあります。また後門は本殿の後方中央透塀の中間にあり、いずれも本殿と同時期の建築です。

宝物殿 楼門を入って右手にあります。陳列品は時々陳列替をしますがその主要なものを次に列挙します。

  • 北野天神縁起[国宝] 九巻 紙本著色、絵は藤原信実、詞書は藤原良経筆と伝わります。信実時代のものですが確証なく、特に詞書は数筆に分かれ一人の筆ではありません。この絵巻は道真の生涯ならびに死後の伝説と北野神社の起源を絵と詞書によって説明したものです。画は純大和絵のもので暢達の筆をもって自在に周辺の情景を写し、人物の姿態は千変万化の妙を尽し、その画趣の豊富なことはほとんど比類なく、絵巻中有数の名品です。この絵巻ができてからのち天神信仰の流布とともに天神縁起の作が多数となり、それらと区別してこれを根本縁起と称します。
  • 北野天神縁起絵巻[国宝] 二巻 紙本著色、伝土佐行光筆、根本発起によって作られた類本のひとつです。画詞ともに多くの脱簡がありますが、優雅な細筆をもって描かれています。鎌倉時代絵巻の中位に置かれるべきもので、室町時代の行光の筆ではないでしょう。
  • 北野天神縁起[国宝] 三巻 紙本著色、画は土佐光信、詞書は三条西実隆の筆で本巻奥書に北野根本縁起が紛失したので室町時代の文亀3年(1503年)新たに作ったとあるため、光信の確かな真践として推重されます。
  • 北野天神縁起[国宝] 三巻 紙本著色、画は土佐光起の筆です。土佐派三筆の一人で、江戸時代の著名な画家でした。京都博物館へ出陳。
  • 雲竜図六曲屏風[国宝] 一双 紙本墨書、海北友松筆、友松は狩野元信および永徳に学んで新機軸を打ち出した桃山時代の大家です。この図は縦横に墨線を揮い、雲竜の颯爽とした風趣よく桃山芸術の長所を発揮しています。
  • 舞楽図衝立障子[国宝] 絹本著色 一基
  • 日本書記[国宝] 二十八帖 紙本墨書、世に北野本と呼ばれて名高く、また卜部兼永の所持したことにより兼永本ともいいます。
  • 日本地図大镜 一枚 銅製 直径三尺二寸、伝加藤清正奉納
  • 日本北辺地図 一枚 銅製 直径三尺二寸、松浦武四郎奉納
  • 北野大茶湯高札 一枚 木製、天正15年(1587年)10月豊臣秀吉が当社の境内右近馬場において大茶湯を催した時に掲げたものです。
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
北野神社 北野神社境内平面図

令和に見に行くなら

名称
北野天満宮
かな
きたのてんまんぐう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市上京区御前通今出川上ル馬喰町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電北野下車、菅原道眞を祀り、古くは天滿天神、天滿大自在威德天神、火雷天神の稱がある。道眞は學德識見一世に高く、宇多天皇の殊遇を得、右大臣に進みて天下の大事に當つたが、權臣の讒言奸策によつて太宰權帥に貶せられた。延喜三年二月道眞配所に客死して後、京師に雷火、地震等の災厄頻々として起つたため朝廷これを懼れて道眞の崇となし、道眞の本官を復して正二位を贈られた。村上天皇の天曆元年今の處に祠を營み、天德三年に至り右大臣藤原師輔更に神殿を修築し、寬弘元年に當社に行幸ありて後、歷朝行幸絕えず、永く文學の神として崇敬され、今尙我が國に於ける最著名な神社の一に數へられて居る。例祭は八月四日、十月一日には渡御祭があり、同月四日の還御祭は俗に瑞饋祭と稱して大いに賑ふ。

現在の社殿は慶長十二年豐臣秀賴が片桐且元を普譜奉行として新たに造營したもので、本殿、拜殿の外に中門、東門、廻廊、透塀、後門等を具備して居る。

中門(三光門)[國寶] 一の鳥居から二の鳥居及三の鳥居を經、素木造の樓門を入りて繪馬堂の前を北に進むと正面にあるのが三光門である 四脚の唐門で前後に軒唐破風を有し、その上部に千鳥破風を懸け、左右は入母屋造になつて居る。正面に揭げられた天滿宮の額は後西天皇の宸筆である。前後破風內及蟇股內には尾長鳥、孔雀、鳳凰、兎その他の彫刻を施し彩色を加へて居る。特に人目を惹くものは中央冠木の上に置かれた巨大な唐獅子の彫刻で、首を下げ尻を高くし、口を開き立髮を逆立てゝ居る。その形態雄壯、彩色も頗る濃艷にして、よく桃山式の豪放な氣分を現はして居る。

本殿[國寶] 本殿の前に拜殿、樂の閒及石の閒を備へた壯大な權現造で、屋根の形態が複雜して居るので八棟造の稱がある。本殿は五閒四面入母屋造檜皮葺、朱塗の建築で廻樓を有し、西側には長方形の孫廂卽ち脇殿がある。

石の閒は五閒一面、卽ち幣殿で、本殿の拜殿より一段低く、本殿と拜殿を接續するもので、權現造の重要な形式になつて居る。前後に巨大な蟇股があり、前方の蟇股には大なる虎の彫刻がある。

拜殿は七閒三面、正面に千鳥破風及唐破風を有し、七閒の向拜がある。その蟇股には各種の華麗な彫刻があり、手狹には牡丹、尾長鳥、雲に天人などの頗る精巧な彫刻がある。また前面高欄の擬寶珠には「右大臣豐臣朝臣秀賴公再興於北野天神聖廟是神前欄干金帽子也、慶長十二曆丁未霜月吉日片桐東市正且元奉旃」の銘文がある。拜殿の左右に樂の閒が取附けて建ち各三閒二面、拜殿よりも一段低くなつて居る。

社殿全體の構造は桃山時代末期に於ける權現造の代表的建築にして複雜のうちに正整の美を現はした美建築で、仙臺市の大崎八幡神社と共に權現造の雙璧をなすものである。外部に於ては蟇股及彫刻を施した部分にのみ極彩色を施し、その他は全體朱塗で、華麗な點に於ては大崎八幡のそれに劣つて居るが、雄大な點に於ては卻つて勝つて居るのである。

廻廊、透塀、後門[國寶] 廻廊は切妻造檜皮葺で中門の左右に、透塀は本殿の周圍にある。また後門は本殿の後方中央透塀の中閒にあり、何れも本殿と同時の建築である。

寶物殿 樓門を入つて右手にある。陳列品は時々陳列替をするがその主要なるものを次に列舉する。

  • 北野天神緣起[國寶] 九卷 紙本著色、繪は藤原信實、詞書は藤原良經筆と傳へてある。信實時代のものであるが確證なく、殊に詞書は數筆に分れ一筆でない。この繪卷は道眞の生涯竝に死後の傳說と北野神社の起源を繪と詞書によつて說明したものである。畫は純大和繪のもので暢達の筆を以て自在に四圍の情景を寫し、人物の姿態千變萬化の妙を盡し、その畫趣の豐富なことは殆んど比類なく、繪卷中有數の名品である。この繪卷が出來てからのち天神信仰の流布と共に天神緣起の作が多數となり、それ等と區別してこれを根本緣起と稱する。
  • 北野天神緣起繪卷[國寶] 二卷 紙本著色、傳土佐行光筆、根本發起に依つて作られた類本の一である。畫詞共に甚しい脫簡があるが、優雅な細筆を以て畫かれてある。鐮倉時代繪卷の中位に置かるべきもので、室町時代の行光の筆ではなからう。
  • 北野天神緣起[國寶] 三卷 紙本著色、畫は土佐光信、詞書は三條西實隆の筆で本卷奧書に北野根本緣起が紛失したので文龜三年新に作つたとあるから、光信の確かな眞踐として推重せられる。
  • 北野天神緣起[國寶] 三卷 紙本著色、畫は土佐光起の筆である。土佐派三筆の一人で、江戶時代の著名な畫家であつた。京都博物館へ出陳。
  • 雲龍圖六曲屏風[國寶] 一雙 紙本墨書、海北友松筆、友松は狩野元信及永德に學んで新機軸を出した桃山時代の大家である。この圖縱橫に墨線を揮ひ、雲龍の颯爽たる風趣よく桃山藝術の長所を發揮して居る。
  • 舞樂圖衝立障子[國寶] 絹本著色 一基
  • 日本書記[國寶] 二十八帖 紙本墨書、世に北野本と稱して名高く、また卜部兼永の所持したるにより兼永本とも云ふ。
  • 日本地圖大镜 一枚 銅製 直徑三尺二寸、傳加藤淸正奉納
  • 日本北邊地圖 一枚 銅製 直徑三尺二寸、松浦武四郞奉納
  • 北野大茶湯高札 一枚 木製、天正十五年十月豐臣秀吉が當社の境內右近馬場に於て大茶湯を催した時揭げたものである。

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