新京極

新京極
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電河原町三条あるいは河原町四条下車。四条大橋の西200m、三条から四条まで南北に通じた街路で、京都市内で最も繁盛している繁華街です。演劇、映画、浄瑠璃、落語等の興行場を始め、料亭、酒場、喫茶店、洋食店、球戯場、雑貨店、化粧品店等が軒を連ね、往来の人踵を接し、夜は特に賑やかです。京極は京の果ての意味で、豊臣秀吉が洛中にあった寺院を洛外に移した時、東京極以東に移された寺が南北に連なってひとつの区域をなしたことから京極が寺町と改称されました。新京極は寺町の東にあるということでこの名がつきました。おおむねもと誓願寺の境内に属したところで、明治5年(1872年)南北に通じる道路を設けられ、以来両側に商店が建設されたものです。明治の末頃には付近に第二新京極が出現しました。しかし一般には単に京極と通称されています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
新京極
かな
しんきょうごく
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市中京区新京極通
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電河原町三條或は河原町四條下車。四條大橋の西二〇〇米、三條から四條まで南北に通ずる街路で、京都市中最も繁盛熱閙の地である。演劇、映畫、淨瑠璃、落語等の興行場を始め、料亭、酒場、喫茶店、洋食店、球戲場、雜貨店、化粧品店等軒を連ね、往來の人踵を接し、夜は特に賑はしい。京極は京の果の意で豐臣秀吉が洛中に存した寺院を洛外に移した時、東京極以東に移されたものは南北に連つて一區域をなしたから京極が寺町と改稱された。新京極は寺町の東にあるから云ふのである。槪ねもと誓願寺の境內に屬した所で、明治五年南北に通ずる道路を設けられ、爾來兩側に商店が建設されたのである。明治の末年頃附近に第二新京極が出現した。然し一般には單に京極と通稱されて居る。

洛中のみどころ