西寺址

西寺址[指定史蹟]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電七条大宮下車、下京区唐橋にあります。西寺は右大寺ともいい、桓武天皇の平安奠都後に羅城門の東西に造営された二大寺のひとつで、左大寺となる東寺とは朱雀大路を距てて相対していましたが、早く衰微して鎌倉時代にはすでに旧観を失っていました。現在その遺跡は唐橋集落の東南、龍谷大学グラウンドの北に接して、金堂の朝日森と呼ばれる土壇があり、平安朝初期の遺瓦の破片を多く出土しています。この東北春日の森と俗称される地点にも土壇があります。巴瓦、鬼瓦等を出土し、両土壇を中心として火に遭った布目瓦が多く散乱し、朝日の森北約100mに講堂の地字あり、また金堂の南100mにも塔の本の地字があって、広大であった寺域を推測させ、また寺塔の配置は東寺とそれぞれ同じものがあったようです。寺域から発見される古瓦のうちには「西寺」の文字あるものがあり、また大内裏造営に用いられたものと同一の碧瓦が出土したものもあって、往古西寺の偉観を推察するに足るものがあります。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
西寺址
かな
さいじあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市南区唐橋西寺町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電七條大宮下車、下京區唐橋にあり。西寺は一に右大寺と云ひ、桓武天皇の平安奠都後に羅城門の東西に造營せられた二大寺の一で、左大寺たる東寺とは朱雀大路を距てゝ相對して居たが、早く衰微して鐮倉時代には既に舊觀を失つた。今その遺址は唐橋部落の東南、龍谷大學グラウンドの北に接して、金堂の朝日森と呼ばれる土壇があり、平安朝初期の遺瓦の破片を多く出す。この東北春日の森と俗稱さるゝ地點にも土壇がある。巴瓦、鬼瓦等を出し、兩土壇を中心として火にあへる布目瓦が多く散亂し、朝日の森北約一〇〇米に講堂の地字あり、また金堂の南一〇〇米にの塔の本の地字があつて、廣大であつた寺域を推測せしめ、且寺塔の配置東寺と相同じきものがあつたやうである。寺域から發見される古瓦のうちには「西寺」の文字あるものあり、また大內裏造營に用ゐられたと同一碧瓦の出づるものありて、往古西寺の偉觀を推察するに足るものがある。

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