東寺(教王護国寺)

東寺(敎王護國寺)[眞言宗東寺派總本山]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電七条大宮東寺道下車、下京区九条町にあります。

平安京造営の際左右両京鎮護のために朱雀大路を挟み、羅城門の近くに東西両寺を建てたのが始まりで、西寺の方は早く荒廃してしまいました。東寺は平安時代の弘仁年間(810~824年)空海に賜わり、天長2年(825年)講堂を建て仁王護国の本尊を造立して堂中に安置し、奏して教王護国寺と改称しました。以来本寺は大いに勢力を得 真言密教の道場として名高く、皇室と深い関係を結ぶに至りました。伽藍は最初唐式の七堂伽藍配置法によったものでしたが、その後多くの消長を経、また火災等のため後世のものに変わってしまいました。現存建築の主なものには金堂、五重塔、大師堂、八脚門、北大門、慶賀門、四脚門、東大門、南大門、宝蔵などがあります。

金堂[国宝] 江戸時代前期の慶長10年(1605年)豊臣秀頼が勅を奉じて建築したもので、薬師三尊を本尊として安置しています。七間五面、重層入母屋造本瓦葺、床を瓦敷とし、下層正面軒の中央を一段高くしてあるのは、東大寺大仏殿の古制から来ているのではないかといわれています。意匠として特に注目すべきものは、初重に天竺様の挿肘木を用い、上層に和様四手先を組んでいることです。しかもその間少しも不自然な感じを起こさせず、折衷建築としてよく成功を収めています。

五重塔[国宝] 寛永18年(1641年)の建立です。方三間石壇上に立ち高さ約56m、日本に現存する塔のなかで一番高い塔です。古制に則り造られたもので、あまり江戸の手法を見せず、当代に稀な傑作です。

講堂 金堂の後ろにあります。慶長年間(1596~1615年)の再建、九間四面、入母屋造本瓦葺の建築です。内部は瓦敷で、諸仏の配置は密教教儀により、中央に金剛界大日如来、東に阿閦、西に弥陀、南に宝生、北に釈迦を安置しています。この他にも多くの仏像を安置し、そのなかには国宝に指定されたものもあります。講堂の後ろにある食堂は近年火災のため焼失しました。

大師堂[国宝] 境内の西北隅にあり、仏師康勝の作と伝わる大師の像を安置しています。室町時代の康暦2年(1380年)の建築で、桁行七間、梁間八間、単層、後堂、中堂、前堂、各棟違人母屋造、檜皮葺の建築にして平面は非常に複雑になっています。柱上には舟肘木を用い、建物の外面に蔀戸を嵌め、間々妻唐戸を用い、古い寝殿造を思はせる建築です。

八脚門[国宝] 境内の西部にあり、蓮華門とも呼ばれ、三間一戸、切妻造本瓦葺の建築です。平安時代の延暦15年(796年)創建のものを鎌倉時代の建久2年(1191年)文覚が改築したと伝えています。総丹塗で壁は白く、天井は組入格天井を張り、軒の出深く奥行あり、姿態は非常に古調を帯び、あたかも鎌倉時代に描かれた絵巻物中の八脚門を見るような感があります。

北大門[国宝] 三間一戸の八脚門、屋根は切妻造、本瓦葺で室町時代の永徳2年(1382年)の建築とされますが、その形式手法は蓮華門、慶賀門と同一で明らかに鎌倉初期の風を残しています。

慶賀門[国宝] 三間一戸の八脚門、屋根切妻本瓦葺で、建久年中文覚上人が修造したものと伝わり、形式手法に鎌倉初期の風があります。

四脚門[国宝] 北総門と呼ばれ、屋根は切妻造本瓦葺で、鎌倉末期の特色があります。

東大門[国宝] 八脚門 屋根切妻本瓦葺で、不開門とも称し、蓮華門と同式の建築に属し、手法は非常に雄健です。

南大門[国宝] 八脚門、屋根切妻造本瓦葺、桃山風の特質をもつ建築で、豪華の風があります。

寳蔵(経蔵)[国宝] 方三間、屋根四注造、本瓦葺、校倉造にして屋根の唐草瓦は藤原時代の特色をもつものが半数近く残り、建築の構造なども鎌倉時代前の古調を帯びています。

  • 宝物
  • 五大尊像[国宝] 五幅 絹本著色 藤原時代の作で、古い五大尊の完備したものとして有名です。
  • 十二天像[国宝] 十二幅 絹本著色 藤原時代の作で、金銀箔を盛んに用い、色彩は目覚めるばかりに美しいものです。
  • 弘法大師行状絵詞[国宝] 十二巻 紙本著色 伝土佐光信筆 うち六巻は奈良帝室博物館出陳
  • 蒔絵筥[国宝] 一合 弘法大師が青竜寺の慧果から付与されたという有名な犍陀穀糸の袈裟を納めた筥で、藤原時代の作です。
  • 牛皮華鬘[国宝] 十三枚 牛皮を透して著彩したもので、仏殿内部の荘厳具です。現存最古の華鬘で、あるものは草花を透彫にし、あるものはその間に伽陵頻伽を配し、あるものは透彫を用いず全面に金箔を張り彩画を加えています。これを絵画として見ても優に藤原時代の一佳作です。うち二枚は東京帝室博物館に出陳。
  • 毘沙門天立像[国宝] 木造 一体
  • 四天王立像[国宝] 木造 四体
  • 五大尊像[国宝] 木造 伝弘法大師作 五体
  • 弘法大師遺告文[国宝] 紙本墨書 一巻
  • 弘法大師画像[国宝] 後宇多天皇宸筆御賛 絹本著色 一幅
  • 後宇多天皇宸筆庄園敷地御施人状[国宝] 紙本墨書 二巻
  • 後宇多天皇宸筆東寺興隆条々御事書[国宝] 紙本墨書 一巻
  • 後宇多天皇宸筆御日記[国宝] 紙本墨書 一巻
  • 後宇多天皇宸筆御消息[国宝] 紙本墨書 一巻
  • 後醍醐天皇宸筆御消息[国宝] 紙本墨書元弘三年九月廿二日 一巻
  • 後醍醐天皇宸筆舎利奉請誠交[国宝] 紙本墨書 一巻
  • 後光厳天皇宸筆舎利奉請文[国宝] 紙本墨書 一巻
  • 慈覚大師入唐求法巡礼行記[国宝] 紙本墨書 四巻
  • 東宝記十五巻[国宝] 付目録二枚 一冊
  • 三宝絵詞[国宝] 紙本墨書 文永十年奥書 三冊
  • 悉曇蔵 巻三、巻八[国宝] 紙本墨書 巻第八に天慶5年4月書写の奥書あり。
  • 山水画[国宝] 六曲屏風 一双 絹本著色 伝弘法大師将来 東京帝室博物館出陳
  • 次の宝物は京都博物館出陳
  • 七祖像[国宝] 絹本著色 七幅 弘法大師賛 唐李紳筆 但竜猛竜智二像伝弘法大師筆
  • 十二天像[国宝] 六曲屏風 絹本著色 詫摩勝賀筆 一双
  • 聖僧文珠坐像[国宝] 木造 一体
  • 十二天面[国宝] 木造 七面 梵天、帝釈天、多聞天、風天、日天、火天、自在天の七面でその内、二面は東京帝室博物館出陳。
  • 天蓋[国宝] 木造 一箇
  • 弘法大師筆消息[国宝] 風信帖 紙本墨書 一巻
  • 請来目録[国宝] 紙本墨書 伝弘法大師筆 一巻
  • 後醍醐天皇東寺塔供養願文[国宝] 一巻 紙本墨書 建武元年九月二十三日
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
東寺五重塔 教王護国寺(東寺)境内平面図

令和に見に行くなら

名称
東寺(教王護国寺)
かな
とうじ(きょうおうごこくじ)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市南区九条町1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電七條大宮東寺道下車、下京區九條町にある。

平安京造營の際左右兩京鎭護のために朱雀大路を挾み、羅城門の近くに東西兩寺を建てたのが始まりで、西寺の方は早く荒廢して終つた。東寺は弘仁年閒空海に賜はり、天長二年講堂を建て仁王護國の本尊を造立して堂中に安置し、奏して敎王護國寺と改稱した。爾來本寺は大いに勢力を得 眞言密敎の道場として名高く、皇室と深い關係を結ぶに至つた。伽藍は最初唐式の七堂伽藍配置法によつたものであるが、その後幾多の消長を經、また火災等のため後世のものに變つてしまつた。現存建築の主なるものには金堂、五重塔婆、大師堂、八脚門、北大門、慶賀門、四脚門、東大門、南大門、寶藏等がある。

金堂[國寶] 慶長十年豐臣秀賴が敕を奉じて建築したもので、藥師三尊を本尊として安置して居る。七閒五面、重層入母屋造本瓦葺、床を瓦敷とし、下層正面軒の中央を一段高くしてあるのは、東大寺大佛殿の古制から來て居るのではあるまいかと云はれて居る。意匠として特に注目すべきは、初重に天竺樣の插肘木を用ゐ、上層に和樣四手先を組んで居ることである。しかもその閒少しも不自然な感を起さしめず、折衷建築としてよく成功を收めて居る。

五重塔婆[國寶] 寬永十八年の建立である。方三閒石壇上に立ち高さ約五六米、我が國現存塔婆中第一の高塔である。古制に則り造られたもので、餘り江戶の手法を見せず、當代に稀な傑作である。

講堂 金堂の後にある。慶長年閒の再建、九閒四面、入母屋造本瓦葺の建築である。內部は瓦敷で、諸佛の配置は密敎敎儀により、中央に金剛界大日如來、東に阿閦、西に彌陀、南に寶生、北に釋迦を安置して居る。この他にも多くの佛像を安置し、その中には國寶に指定されたものもある。講堂の後にある食堂は近年火災のため燒失した。

大師堂[國寶] 境內の西北隅にあり、佛師康勝の作と傳ふる大師の像を安置して居る。康曆二年の建築で、桁行七閒、梁閒八閒、單層、後堂、中堂、前堂、各棟違人母屋造、檜皮葺の建築にして平面は頗る複雜して居る。柱上には舟肘木を用ゐ、建物の外面に蔀戶を嵌め、閒々妻唐戶を用ゐ、古き寢殿造を思はせる建築である。

八脚門[國寶] 境內の西部にあり、蓮華門とも稱し、三閒一戶、切妻造本瓦葺の建築である。延曆十五年創建のものを建久二年文覺が改築したと傳へて居る。總丹塗で壁白く、天井は組入格天井を張り、軒の出深く奧行あり、姿態頗る古調を帶び、恰も鐮倉時代になれる繪卷物中の八脚門を見るが如き感がある。

北大門[國寶] 三閒一戶の八脚門、屋根は切妻造、本瓦葺で永德二年の建築と稱するが、その形式手法は蓮華門、慶賀門と同一にして明かに鐮倉初期の風を存して居る。

慶賀門[國寶] 三閒一戶の八脚門、屋根切妻本瓦葺で、建久年中文覺上人の修造する所と傳へ、形式手法に鐮倉初期の風がある。

四脚門[國寶] 北總門と稱し、屋根は切妻造本瓦葺で、鐮倉末期の特色がある。

東大門[國寶] 八脚門 屋根切妻本瓦葺で、不開門とも稱し、蓮華門と同式の建築に屬し、手法頗る雄健である。

南大門[國寶] 八脚門、屋根切妻造本瓦葺、桃山風の特質を有する建築で、豪華の風がある。

寳藏(經藏)[國寶] 方三閒、屋根四注造、本瓦葺、校倉造にして屋根の唐草瓦は藤原時代の特色を有するもの半近く存し、建築の構造なども鐮倉時代前の古調を帶びて居る。

  • 寶物
  • 五大尊像[國寶] 五幅 絹本著色 藤原時代の作で、古き五大尊の完備したものとして有名である。
  • 十二天像[國寶] 十二幅 絹本著色 藤原時代の作で、金銀箔を盛に用ゐ、色彩は目覺むるばかり美しい。
  • 弘法大師行狀繪詞[國寶] 十二卷 紙本著色 傳土佐光信筆 內六卷は奈良帝室博物館出陳
  • 蒔繪筥[國寶] 一合 弘法大師が靑龍寺の慧果から附與されたと云ふ有名な犍陀穀絲の袈裟を納めた筥で、藤原時代の作である。
  • 牛皮華鬘[國寶] 十三枚 牛皮を透して著彩したもので、佛殿內部の莊嚴具である。現存最古の華鬘で、或ものは草花を透彫にし、或ものはその閒に伽陵頻伽を配し、或るものは透彫を用ゐず全面に金箔を張り彩畫を加へて居る。これを繪畫として見ても優に藤原時代の一佳作である。內二枚は東京帝室博物館に出陳。
  • 毘沙門天立像[國寶] 木造 一軀
  • 四天王立像[國寶] 木造 四軀
  • 五大尊像[國寶] 木造 傳弘法大師作 五軀
  • 弘法大師遺吿文[國寶] 紙本墨書 一卷
  • 弘法大師畫像[國寶] 後宇多天皇宸筆御贊 絹本著色 一幅
  • 後宇多天皇宸筆庄園敷地御施人狀[國寶] 紙本墨書 二卷
  • 後宇多天皇宸筆東寺興隆條々御事書[國寶] 紙本墨書 一卷
  • 後宇多天皇宸筆御日記[國寶] 紙本墨書 一卷
  • 後宇多天皇宸筆御消息[國寶] 紙本墨書 一卷
  • 後醍醐天皇宸筆御消息[國寶] 紙本墨書元弘三年九月廿二日 一卷
  • 後醍醐天皇宸筆舍利奉請誠交[國寶] 紙本墨書 一卷
  • 後光嚴天皇宸筆舍利奉請文[國寶] 紙本墨書 一卷
  • 慈覺大師入唐求法巡禮行記[國寶] 紙本墨書 四卷
  • 東寶記十五卷[國寶] 附目錄二枚 一册
  • 三寶繪詞[國寶] 紙本墨書 文永十年奧書 三册
  • 悉曇藏 卷三、卷八[國寶] 紙本墨書 卷第八に天慶五年四月書寫の奧書あり。
  • 山水畫[國寶] 六曲屏風 一雙 絹本著色 傳弘法大師將來 東京帝室博物館出陳
  • 左記寶物は京都博物館出陳
  • 七祖像[國寶] 絹本著色 七幅 弘法大師贊 唐李紳筆 但龍猛龍智二像傳弘法大師筆
  • 十二天像[國寶] 六曲屏風 絹本著色 詫摩勝賀筆 一雙
  • 聖僧文珠坐像[國寶] 木造 一軀
  • 十二天面[國寶] 木造 七面 梵天、帝釋天、多聞天、風天、日天、火天、自在天の七面でその內、二面は東京帝室博物館出陳。
  • 天蓋[國寶] 木造 一箇
  • 弘法大師筆消息[國寶] 風信帖 紙本墨書 一卷
  • 請來目錄[國寶] 紙本墨書 傳弘法大師筆 一卷
  • 後醍醐天皇東寺塔供養願文[國寶] 一卷 紙本墨書 建武元年九月二十三日

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