孤篷庵

孤蓬庵
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

大徳寺の塔頭で境内の西端にあります。江戸時代前期の慶長17年(1612年)小堀遠州が龍光院内に建てたのを、後にこの地に移して菩提寺としたものですが、後に江戸時代後期の寛政年間(1789~1801年)焼失し、間もなく松平不昧が再建したものです。本堂、忘筌、書院はいずれも国宝でその平面は非常に複雑です。ところどころ後世の修補はありますが、床棚、書院などに施された意匠は、高逸にして数奇の妙味を発揮しています。特に忘筌と呼ばれる茶室のようなものは独特の形式をもち、その道の典型とされています。庭園もまた指定の名園で、還州苦心の計画になり、樹石の配置は変化の妙を極め、その間に統一を保ち、よく閑寂の趣をたたえています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
大徳寺孤篷庵庭園

令和に見に行くなら

名称
孤篷庵
かな
こほうあん
種別
見所・観光
状態
現存するが非公開
備考
特別公開されている場合はありますが、通常は非公開となっています。

日本案内記原文

大德寺の塔頭で境內の西端にある。當庵は慶長十七年小堀遠州が龍光院內に建てたのを、後にこの地に移して菩提寺としたのであるが、後寬政年閒燒失し、閒もなく松平不昧が再建したものである。本堂、忘筌、書院は何れも國寶でその平面頗る複雜である。所々後世の修補はあるが、床棚、書院などに施された意匠は、高逸にして數奇の妙味を發揮して居る。殊に忘筌と題する茶室の如きは獨特の形式を有し、斯道の典型とされて居る。庭園もまた指定の名園で、還州苦心の計畫に成り、樹石の配置變化の妙を極め、その閒に統一を保ち、よく閑寂の趣を藏して居る。

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