金閣寺(鹿苑寺)

金閣寺(鹿苑寺)[臨濟宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電北野下車、北へ約1.5km、金閣寺町にあります。この地は鎌倉時代には西園寺公経の別荘があったところですが、足利義満がこれを譲り受け、室町時代の応永年間(1394~1428年)大規模な山荘を造って後小松天皇の臨幸を請いました。その当時は豪華な殿堂が13棟ありましたが義満の死後遺命によって寺としたものです。金閣はすなわちその唯一の遺構です。

金閣[国宝] 園内の池に臨んで建てられた楼閣です。元来は住宅と仏寺の折衷で、楼閣建築としては東山の銀閣とともに全く新意匠になるものです。閣は三層楼で、初層と第三層の間には屋根がなく、腰に勾欄のみをめぐらしています。その平面は長方形ですが、第三層は方形で、宝形造の屋根に露盤を置き、これに金銅の鳳凰を上げています。初層および第二層は和様で寝殿造の式を取り入れ、蔀戸板唐戸を用い、極く僅かに唐様天竺様を混じているに反し、第三層は粽付の柱、火頭窓をはじめほとんどすべて唐様の手法を用い、純然たる仏寺的色彩を帯びているのは非常に注目に値します。また初層と第二層は黒漆塗の上に極彩色を施し、上層は内外至るところ漆地金箔を貼っています。

下層には足利義満法体の坐像(国宝)があります。木造玉眼入、もと彩色があった室町時代の優秀な作です。

金閣をめぐる周囲の庭園は当時名手の意匠になったものらしく、衣笠山の山容を遠景に取り入れて泉石を配置した林泉美は国内の名園との評価高く、現在指定の名勝・史蹟になっています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
金閣

令和に見に行くなら

名称
金閣寺(鹿苑寺)
かな
きんかくじ(ろくおんじ)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市北区金閣寺町1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電北野下車、北へ約一粁半、金閣寺町にある。この地は鐮倉時代には西園寺公經の別莊のあつた所であるが、足利義滿がこれを讓り受け、應永年閒大規模な山莊を經營して後小松天皇の臨幸を請うた。その當時は豪華な殿堂が十三棟あつたが義滿の死後遺命によつて寺としたのである。金閣は卽ちその唯一の遺構である。

金閣[國寶] 園內の池に臨んで建てられた樓閣である。元來は住宅と佛寺の折衷で、樓閣建築としては東山の銀閣と共に全く新意匠に成つたものである。閣は三層樓で、初層と第三層の閒には屋根なく、腰に勾欄のみをめぐらして居る。その平面は長方形であるが、第三層は方形で、寶形造の屋根に露盤を置き、これに金銅の鳳凰を上げて居る。初層及第二層は和樣で寢殿造の式を取り入れ、蔀戶板唐戶を用ゐ、極く僅かに唐樣天竺樣を混じて居るに反し、第三層は粽附の柱、火頭窓を始め殆どすべて唐樣の手法を用ゐ、純然たる佛寺的色彩を帶びて居るのは頗る注意に値する。また初層と第二層は黑漆塗の上に極彩色を施し、上層は內外至る所漆地金箔を貼つて居る。

下層には足利義滿法體の坐像(國寶)がある。木造玉眼入、もと彩色のあつた室町時代の優秀な作である。

金閣をめぐる周圍の庭園は當時名手の意匠に成つたものらしく、衣笠山の山容を遠景に取り入れて泉石を配置した林泉美は海內の一名苑たるを失はず、今指定の名勝・史蹟になつて居る。

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