上賀茂神社(賀茂別雷神社)

賀茂別雷神社[官幣大社]

昭和初期のガイド文

市電植物園下車、上京区上賀茂にあります。下鴨神社に対して上賀茂神社と呼ばれ、賀茂別雷神を祀ります。延喜の制において名神大社に列し、古来朝廷や民衆の崇敬をあつめた神社で、下鴨神社とともに桓武天皇の遷都後は王城の鎮護となり、歴代の崇敬が厚くたびたび御幸がありました。

社境は御生の緑を背負い、前に奈良の小川の清流を帯び、遠く俗塵を離れて清澄崇高の気に満ちています。境内に入るには東西の2道があり、東から参拝する者は御手洗川を、西から入る者は賀茂川を渡ります。一の鳥居を北に進むと梅樹、桜樹の並木が続き、二の鳥居の前、東側には往昔天皇行幸の時に御拝されたという御所屋(外幣殿)[国宝]があります。二の鳥居を入ると細殿(拝殿)、舞殿(橋殿)、土屋(到着殿)、楽舎、北神饌所(庁屋)等があり、いずれも国宝で、葵祭に用いられる建物です。御手洗川の河水は賀茂川から引いたもので、激しい流れが音をたてて奔流し、酒殿橋および玉橋が架っています。この川を渡って北進すると右に老松小祠を見て楼門の前に出ます。門を入ると右に幣殿、忌子殿、左に高倉殿があります。本殿は中門から透廊を隔てて拝することができます。本殿は権殿と並び建ちともに三間社流造、様式は全く御祖神社の本殿と同じで、江戸時代末期の文久3年(1863年)の改築です。その他の社殿も御祖神社に等しく江戸時代前期の寛永年間(1624~1644年)の建築で、本殿以下各社殿はこれに附属する廻廊、楼門とともにすべて国宝です。

例祭は5月15日で下鴨神社とともに葵祭が執行されます。このほか毎年5月5日葵祭とは別に競馬が催されます。古く宮中で行われていた衛府の騎射がこちらに移されて恒例の祭事となったもので、賀茂の競馬と称して名高いものです。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
上賀茂神社(賀茂別雷神社)
かな
かみがもじんじゃ(かもわけいかづちじんじゃ)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市北区上賀茂本山339
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電植物園下車、上京區上賀茂にある。下賀茂神社に對して上賀茂神社と稱せられ、賀茂別雷神を祀る。延喜の制に於て名神大社に列し、古來朝野の崇敬をあつめた神社で、下賀茂神社と共に桓武天皇の遷都後は王城の鎭護となり、歷代の崇敬厚く度々御幸の事があつた。

社境は御生の翠轡を負ひ、前に奈良の小川の淸流を帶び、遠く俗塵を放れて淸澄崇高の氣に滿ちて居る。境內に入るには東西の二道があり、東から參拜する者は御手洗川を、西からする者は賀茂川を渡るのである。一の鳥居を北に進むと梅樹、櫻樹の竝木が續き、二の鳥居の前、東側には往昔天皇行幸の時御拜をなし給うた所と云ふ御所屋(外幣殿)[國寶]がある。二の鳥居を入ると細殿(拜殿)、舞殿(橋殿)、土屋(到着殿)、樂舍、北神饌所(廳屋)等があり、何れも國寶で、葵祭に用ゐられる建物である。御手洗川の河水は賀茂川から引いたもので、飛湍淙々聲を放つて奔流し、酒殿橋及玉橋が架つて居る。この川を渡つて北進すると右に老松小祠を見て樓門の前に出る。門を入ると右に幣殿、忌子殿、左に高倉殿がある。本殿は中門から透廊を隔てゝ拜することが出來る。本殿は權殿と竝び建ち共に三閒社流造、樣式全く御祖神社の本殿と同じで、文久三年の改築である。その他の社殿も御祖神社に等しく寬永年閒の建築で、本殿以下各社殿は之に附屬する廻廊、樓門と共に悉く國寶である。

例祭は五月十五日で下賀茂神社と共に葵祭が執行される。この外每年五月五日葵祭とは別に競馬が催される。古く宮中で行はれて居た衞府の騎射がこちらに移されて恆例の祭事となつたもので、賀茂の競馬と稱して名高い。

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