本能寺

本能寺[本門法華宗]

昭和初期のガイド文

市電河原町御池下車、寺町通御池下ル本能寺前町にあります。室町時代の応永22年(1415年)創立当時は本応寺と号し五条坊門にありましたが、その後転々し、天文14年(1545年)には現在の本能小学校(中京区六角油小路)の位置を占め、塔頭子院47を数え大いに栄えました。しかし安土桃山時代の天正10年(1582年)6月2日ここに陣していた織田信長に謀叛を起こした明智光秀の乱入があり、堂宇はまた烏有に帰しました。天正15年(1587年)市区整理に際し現在の場所に移り、その後何度か火災に遭い、今はわずかに本堂、山門、その他を再建したのみです。境内の大イチョウ下に織田信長影塔があります。

  • 宝物
  • 梅樹雉雀文様銅鏡[国宝] 一面
  • 伝行成筆古詩残簡[国宝] 一巻
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
本能寺
かな
ほんのうじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電河原町御池下車、寺町通御池下ル本能寺前町にある。應永二十二年創立當時は本應寺と號し五條坊門にあつたが、その後轉々し、天文十四年には現時の本能小學校(中京區六角油小路)の位置を占め、塔頭子院四十七を數へ甚だ盛んであつた。然るに天正十年六月二日こゝに陣して居た織田信長を弑するため明智光秀の亂入あり、堂宇また烏有に歸した。天正十五年市區整理に際し現地に移り、その後幾度か火災にあひ、今は僅かに本堂、山門、その他を再建したのみである。境內の大公孫樹下に織田信長影塔がある。

  • 寶物
  • 梅樹雉雀文樣銅鏡[國寶] 一面
  • 傳行成筆古詩殘簡[國寶] 一卷

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