本圀寺
本圀寺[日蓮宗]
昭和初期のガイド文
市電西洞院松原下車、堀川通松原下ル西本願寺の北に隣りあっています。光明天皇の時代、室町時代の貞和6年(1350年)勅によって相模鎌倉の松葉谷にあった日蓮聖人の草庵法華堂を京洛六条堀川に移したのが始まりで、その後しばしば兵火の厄に遭いましたが、江戸時代後期の文化年間(1804~1818年)本堂その他の再建が完了しました。境内西南隅の経蔵は国宝で、桁行三間、梁間四間、屋根宝形造本瓦葺単層です。慶長12年(1607年)の再建のもので、内部の輪蔵は完全に保存され、内外の彩色装飾および壁面の羅漢天人の画も当初のまま残っています。寺宝に日蓮真筆と伝わる立正安国論その他があります。境内は広く諸堂が備わり、なかでも清正公祠は本堂の東南にあって参詣者が絶えません。またその塔頭の真如院には古来有名な林泉があり、老樹蓊鬱として奇趣に富んでいます。
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 本圀寺
- かな
- ほんこくじ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存しない
- 備考
- 昭和46年(1971年)ごろ、山科の現在地へ移転しました。六条の跡地は本願寺聞法会館や本願寺駐車場となっています。
日本案内記原文
市電西洞院松原下車、堀川通松原下ル西本願寺の北に鄰つてある。光明天皇の貞和六年敕によつて相模鐮倉の松葉谷にあつた日蓮聖人の草庵法華堂を京洛六條堀川に移したのが始まりで、その後屢々兵火の厄に遭うたが、文化年閒本堂その他の再建が成つた。境內西南隅の經藏は國寶で、桁行三閒、梁閒四閒、屋根寶形造本瓦葺單層である。慶長十二年の再建のもので、內部の輪藏は完全に保存され、內外の彩色裝飾及壁面の羅漢天人の畫も當初のまゝ殘つて居る。寺寶に日蓮眞筆と傳ふる立正安國論その他がある。境內廣く諸堂備はり、中にも淸正公祠は本堂の東南にあつて參詣者が絕えない。またその塔頭の眞如院には古來有名な林泉があり、老樹蓊鬱として奇趣に富んで居る。
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